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アダチ龍光さんのこと
落とし前編

(2003.8.30)
■第11回
アダチ龍光さんのこと3
(2002.6.30)
■第10回
N○K受信料私見
(2002.5.22)
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アダチ龍光さんのこと2
(2002.5.20)
■第8回
アダチ龍光さんのこと1
(2002.5.20.)
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オレハタイニホネヲウズム
(2000.1.5.)

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ブート道〜全部ZEPのせい〜
(99.5.7.)
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ブート道〜序章〜
(99.4.19.)
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顔文字論
(99.1.11.)
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屁音楽
(98.11.6.)
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自分コレクター
(98.9.15.)
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珍説万歳
(98.9.3.)

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第3回 屁音楽


最近出た志村けんの自伝エッセイ「変なおじさん」(日経BP社)に「やっぱり屁の音は本物に限る」というものがあって、志村がまだドリフターズに入り立ての頃、コントで使う屁の音がそれまでラッパの音だったのがイヤで本物の屁の音に変えてもらったという記述があった。

幼い頃から「全員集合」は毎週欠かさず見ていたものだが、私の記憶する時点ではもう既に志村加入からずいぶん経っており、荒井注脱退後、志村が最初なかなか世間から認められず「あの新入りつまんねぇな」などと云われていたな んて全く知らないわけで、当然ラッパで奏でられるの屁の音など知る由もない。

満員の公開録画の会場全体に響き渡るあの尻上がりの「プ〜」という音や下腹に響く「ブッ」というあまりにリアルなあの音こそが「全員集合」の屁の音であり、ドリフの屁の音だった。それが本物の屁の音であったことを尻、もとい知り、だからこそそれが大音量でオーバーに流されるからこそ我々は腹を抱えて笑うことが出来たのだと妙に納得した。

この本の中で志村は屁について何度か述べているが、例えば新人アイドルが番組に出演する際、志村はまずその子の前で屁をしてみると云う。彼女がそれに対して大笑いするなら一緒にコントで絡めると判断する。イヤな顔をする子は一緒に出来ないことが多いとか。
また志村が以前メキシコに行った際、現地の家族と一夜を共にすることになったが、言葉は通じず、また何をやっても笑いやしない。そんな中、何かの拍子で屁をしたら一同の緊張が一気にほぐれ、とたんに打ち解けることが出来たと云う。「屁は万国共通のギャグ」とは志村自身の弁だが、確かにその通りかもしれない。私も外国で困った時はしばし屁をすることにしよう。


そんなわけでドリフの屁の音は志村自身のものを録音したものだったのかと思ったら、そうでもなかった。屁の音を集めたレコードを使っているのだそうだ。どこかの大学教授が集めた一番長い屁だとか一番高い音の屁だとか様々な屁のバリエーションが丸々一枚に詰まっているとのこと。この教授、自分の生徒を家に呼び、様々な食べ物を与えては「屁を出せ」と迫ったそうだ。あきれた奥さんが離婚を決意したところ「別れてもいいがその前に屁をしていけ」と云ったものだから、さらにあきれて別れるのをあきらめたというから大したもの。屁は人の心をもつなぎ止めるわけだ。

事実、古今東西このつかみ所のない屁に並々ならぬ関心を示した者は多数おり、あのエレキテル平賀源内も「放屁論」を書いている。屁に関する本を挙げればきりがないが、名奇書としていたるところで語られる福富織部「屁」("おなら"と読む。双文館/1926年初版)がまず筆頭にあげられることだろう。私自身未読で恐縮であるが、新聞、説話集、落語などありとあらゆるものから屁に関するエピソードを集めた屁の集大成作品である。福富は実体がよくつかめていない人物で本名が「松木実」であることまではわかっているが、彼が一体何者であったのかということは知られていない。「屁」の謝辞には責め絵師の伊藤晴雨や「滑稽新聞」でおなじみ宮武骸骨も一文を寄せているというからますます気になる。屁の文献を当たると松木実の正体を追った話を頻繁に目にすることが出来るので興味を持った方は当たってみると良いだろう。ちなみに「屁」は随分売れた本らしく、古書店で未だ安価で容易に入手出来るらしい。また福富織部こと松木実には「褌」(ふんどし)、「臍」(へそ)という著作もある。ますますその人物像に惹かれるものを感じてしまう。永井荷風が「四畳半襖の下張」を、芥川龍之介が「赤い帽子の女」というポルノ小説をそれぞれ変名で書いたとされるように、あっと驚く人物が福富織部の正体であったらと期待してみたりもする。

最近出たものでは佐藤清彦「おなら考」(青弓社/1994年初版)がある。
これぞ現代の「屁」であるのだが、著者は福富織部の「屁」の存在を知りながら未読の状態で執筆の準備を進め、その途中で「屁」をやっと読むことが出来、集めたエピソードの内、民話の大部分が既に「屁」に掲載されていて愕然としたそうだ。
それを差し引いても福富織部が語り得ないこの現代までの屁のエピソードがまとめてある貴重な一冊である。屁好きの方は一読をお薦めする。

そんなわけで本題に戻るが、志村の著書を読み、私は屁の音を集めたレコードの存在に大いに関心を抱いた。屁は言葉で表すものではないのだ。音で発せられるからこそ屁の存在意義がある。故意にスカして出される屁など屁の風上にも置けない。屁に対して失礼だ。
あのダリもアメリカの放屁家クラブとやらで作った屁の音を集めたレコードを大切にしていたという。ちなみに彼は「トランペット伯爵」というペンネームで「放屁術」という著作を残してもいるということを何かで読んだことがある。

「おなら考」の中に屁のレコード、カセットに関するエピソードが収録されていた。
「テレビのバラエティーなどで(中略)あの(屁の)音はだいたい、このテープからとられ ており」(123ページ)
とあるから、「これがドリフの屁の音か!?」と期待したが残念ながら件の大学教授のエピソードではなかった。

登場するのは作曲家の和田則彦氏。正確には音響デザイナーという呼び方が正しいそうだが。
彼が屁の音を集めだしたきっかけは、東京芸大の学生時代にさかのぼる。昭和20年代後半彼はアルバイトで苦心して当時とてつもなく高価だったテープレコーダーを買ったそうだ。
おまけにテープ代も高い。ピアノ曲などを録音し、テープにほんのちょっと余りが出たりすると、それがもったいなくて仕方がない。その短い余りに何を入れようか、そこで思いついたのが自分の屁の音。これが集め出したら面白い。彼はどんどんのめり込んで行き、他人に頼んで屁の音を拝借するようにもなったという。

彼は集めに集めた屁の音を音響デザイナーの腕で電子音楽と融合し「ウインドロジー」として1971年音響デザイナー協会の音展で初めて世に問うた。テープで「ウインドロジー」が流される中、会場内に屁の臭いが満ちてきたという伝説があるらしい。事の真偽はともかく、この件に関して著者は3つの解釈が可能であるとして、その第一に
「『黄色い声』という言葉があるように、音を聴く(ママ)と色が見えることがある。これになぞらえていえば、"臭聴"というものがあり、音を聞くとにおいがしてくるということも、あるのではなかろうか」(120ページ)
と述べている。大変興味惹かれるテーマである。この件に関して誰か研究している人はいないだろうか。

そんなわけで和田氏は同様の手法でレコード「ワンダープーランド」(東芝EMI/1978年)、カセット「まるで屁のようなカセット」(ポニーキャニオン/1984年)という作品を残している。
自作曲はもちろん「黄色いサクランボ」のカバー、ソロによる「ぞうさん」など実に多彩な内容のようで、極めつけは「軍艦マーチ」に乗せて女子大生、OLなどの若い女性が「7発目標がんばりまーす!」などと掛け声の後に次々と屁を放つ「放屁軍団」。
軍艦マーチ、明るい掛け声、そして屁。
何ともエロティックな感情を抱いてしまうのは私だけであろうか。
中古盤店で見付けた方は是非ご一報いただきたい。

この和田則彦という人物、全く知らなかった人物なのだが、どうも電子音楽の世界ではかなり有名な方らしい。まだ現役で活躍されているようでサントリーホールの予定表に
11月11日(火)
小ホール-------------------
江口元子リサイタル
出演 ダルトン・ボールドウィン(Pf)、和田則彦(Pf)
開演 19:00 料金 5,000
問合せ 音楽出版ハピーエコー 03-3584-6470
という記述も見つかった。これを書いているのが98年11月6日であるから、来週の公演である。
またどこの出版社かは調べられなかったが今年8月に出た「電子音楽イン・ジャパン 1955−1981」という本に「重要な証言者」として冨田勲、ミッキー吉野、鈴木慶一、平沢進、佐久間正英と並んで和田氏が登場しているそうだ。
他にも「続 ミュージックシンセサイザ入門」(オーム社/1979年)という三枝文夫という方との共著作もある。
大した調査もしていないので同姓同名の別人だったら申し訳ないが、「おなら考」の文章から和田氏が電子音楽界と深い関わりを持った人物であることは間違いないので多分大丈夫だろう。

音展での「ウインドロジー」発表が1972年、「ワンダープーランド」が1978年、「まるで屁のようなカセット」が1984年。
和田氏の屁音楽の発表周期は6年であることがわかる。1992年に何らかの動きがあったかどうかはわからない(この本の和田氏取材は1992年)が、だとすると次は1998年・・・つまり今年である。
是非和田氏の屁新作を聴いてみたい。世知辛い昨今の風潮の中、和田氏の屁音楽で世の中を和ませて欲しいものである。

また最後に、敬愛する松沢呉一の名著「鬼と蠅叩き」(翔泳社/1995年)に屁の映像化に挑んだ唯一の本と思われるスカトロ系エロ雑誌「ビーバップオナラ」(KKジャクソン/発行年不明)が紹介されていたことを付け加えておく。
「(特殊器具でモデルが)肛門内に空気を入れて、シャボン玉や風船を膨らませる、ストローでコップの中に泡を作る、白い粉を舞わせる、といった方法で屁を映像化している」(14ページ)
そうだ。こちらも屁マニアには見逃せないアイテムだろう。

放たれた瞬間にかすかな香りを残して消えていく屁にもののあわれを感じ、それを何とかして形あるモノに残そうとする様々人物の試みに、笑い飛ばしては済ませない何かを感じるのは私だけであろうか。
無駄に屁をする事なかれ。己から湧き出たものの音を楽しみ、願わくば他人を微笑ませよ。そんな時は無臭が一番。
屁のたしなみ・・・男の贅沢。

(98.11.6.)

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