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■第12回
アダチ龍光さんのこと
落とし前編

(2003.8.30)
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アダチ龍光さんのこと3
(2002.6.30)
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(2002.5.22)
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(2002.5.20)
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(2002.5.20.)
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(2000.1.5.)

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(99.5.7.)
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(99.1.11.)
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(98.11.6.)
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(98.9.15.)
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(98.9.3.)

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第11回/アダチ龍光さんのこと(その3)

独立コーナー化いたしました。こちらでお読み下さい。


※引用文中「龍光」「竜光」と表記が統一されておりません。原文ママです。

(その2からの続きです)

「奇術協会の会長サン」らしく、黒の背広にチョビ髭を生やし、一見、イギリス紳士風の高座は絶品。それに加えて、越後訛りのまだ残る独特の話術のうまさ。まずは「最高の寄席の色物」である。

「談志人生全集第1巻・生意気ざかり」(講談社)で、立川談志は龍光の芸をこのように述べています。この本の「見どころ聞きどころの芸人たち」というコーナーでは、談志と交流のあった芸人数十人を各人2ページほどの短い文章で紹介しているのですが、桂文楽に続いて2番目に龍光が登場し、ネタは古いがひとたび舞台に上がれば話術で会場をどっかんどっかん沸かせる様や、普通手品師は楽屋でタネを仕込むのを他人には見せたがらないのに、龍光はそんなことお構いなしで、他の芸人が道具に触っても気にしない、そんなおおらかな人柄を親しみを込めて語っています。

この「おおらかさ」というか飄々とした龍光の人柄は、色々な本で共通に触れられていて、挙げだしたらきりがないのだけれど、特に笑ったのが矢野誠一「さらば愛しき芸人たち」(文春文庫)のエピソード。

トランプの奇術がうまくいかなかったことがある。ほんとだったら、スペードのエースが出なければならないのに別のカードが出てしまったのである。なのにまったく表情を変えることなくやり直して見せたのだが、また別のカードが出てしまう。このとき、たったひとこと、
「ま、たまにこういうことがあるの」
といっただけで、平然と次の奇術に移ってみせた。てれるでもなく恥じるでもなく、もちろんあわてるでもなく、ただいつもと同じように芸を続けていくのを見て、いったいこのひと、おどろくということがあるのだろうかと考えた。

全く持ってマギー史郎もびっくりである。というかマギー史郎だって失敗のあとにフォーローの芸でオチを付けるだろうってのに、そんなこんなもお構いなしと来たから驚きである。

死に際してですら、「なにしろ当人に、よくなろうという気がまったくないンで、医者も困っているらしい」と周りの芸人に云われてたというんだからたまらない。
ちなみに死因は心不全。東久留米病院でお亡くなりになられたそうです。

そんなこんなで、あれから図書館やフリーマーケットサイトで龍光に触れたものや奇術に関する文献を入手して、「この人やっぱ面白いわ」とさらに夢中になっていった次第。

「謎の死」やら「アダチ家のタブー」なんてものものしいキーワードからはあまりにもかけ離れて、思わず笑ってしまうことしばし。

■別に奇術師を志して家出したわけではなかった
18の時の家出の理由も「芸で一旗あげたる!」なんて大層なものではなくて「その年に開通した磐越西線(現在も新潟−喜多方間を運行。今も帰省の際は、郡山から会津までの1時間半の道のりを利用しております)の車掌の詰襟に白手袋という格好に憧れて、岩倉鉄道学校を志願した」というお話。でも卒業したからといっても誰しもが鉄道員になれるわけでもなく、「気が付いたら」芸人になっていたということだそうです。

この辺り、身内から聞く「河原乞食呼ばわれされて」云々とは温度差を感じますが、なにぶん田舎の村社会でのお話。ましてやお寺の長男さん。何となく理解できないでもないです。龍光の感覚が都会的だったのか、ホントに何にも考えてなかったのか?

そんなわけで、まず旅まわりの一座に加わって役者になり、女形なんかもやっていたそう。それから活動写真の弁士をしたり「鶯の鳴き真似」を十八番としたという声帯模写芸人などを経て、やっと晴れて木村マリーニという方に弟子入りし奇術師の道を歩むようになったとか。

大阪での修行後、26歳で上京し、深川の「常磐亭」という寄席に定期的に出演していたらしいのだけれど、当時の奇術師は得意のネタひとつで商売していた中、龍光は20種類以上の持ちネタをとっかえひっかえ披露。客からは大好評を得るものの、芸人仲間から「若造のクセに生意気だ」とねたまれ、10日でクビになって再び大阪に戻ったなんて話も。

「世の中に芸人もずいぶんいるけれど、客に受けすぎてくびになったのは、俺くらい」
とは龍光の弁。普通文句のひとつも云いそうな話なのに、そのまま素直に大阪に戻るというのが実に龍光さんらしくはありませぬか。

そんなわけで大阪で才能が花開き、大正、昭和初期に掛けて活躍。吉本興業に所属。
賭事に女遊びが大好きで、戦前に100円という決して悪くない給料をもらっていたにも関わらず、前借りばかりしていたそう。その吉本に入った理由もいい加減なもので、移動用に支給される阪急電車の定期券が欲しかったという、ただそんだけだったとか。
京都まで女遊びに行く足代が掛からなくて助かるってな話。

吉本興業と龍光の間にこんなエピソードも。
給料の条件の良い旅の仕事に誘われ、吉本をドロンしたことがあったそうです。しかし、途中吉本の社員に捕まって「給料200円にするから」と連れ戻され、素直にまた大阪の舞台に立っていたら、いつまで経っても200円どころか今までの給料100円ももらえやしない。さすがにこの時は文句を云わずにいられなかった龍光、社長に掛け合ったら、帰って来た言葉が「お前をさがし出すのにちょうど200円掛かったんじゃ!」。

■ラジオでも奇術を魅せる龍光
そんなこんなで戦後は拠点を東京に移し、テレビにラジオに活躍。
そう、さすがは話術の龍光。落語、漫才ならいざ知らず、ラジオ番組からも引き合い多数だったそうです。一度、最前列に目の不自由な方の団体が陣取るというシチュエーションで舞台に立つということがあったそうなのだけれど、終了後、楽屋に代表者がやってきて「あなたはうまい。私たちには心眼もあるし、ほかのお客さんの気配やなにかで、あなたがどんな奇術をやっているか、手にとるようにわかりました」と絶賛されたという逸話も残っているとか。ラジオで奇術をやることなんて龍光には大した話じゃないのです。

テレビ、ラジオでの活躍は、NET(現・テレビ朝日)「奥様あなたの11時」(司会・故桂小金治)の夏休み特集「ちびっこマジシャン大会」で審査委員長を務め、また演技を披露している記述をネット上で見つけることが出来ました。またNHKで1970年1月から1974年3月まで放送されていた音楽バラエティ「ステージ101」に71年12月1日(水)放送時ゲスト出演していた記録、TBSラジオ「早起き名人会」への出演も確認できました

あと、前回を書いた後何となく思い出したのだけれど、昔TBSの「テレビ探偵団」かなにかで、「笑点」出演時の龍光の映像を見たような見なかったような記憶があります。あやふやな記憶ながら、間違いなくあれカラーだったと思うのです。だとすると晩年の出演だったのか?

■今、龍光の演技に触れることは出来るのか?
いやいやしかし、とにかくテレビやラジオでの活躍、ましてや寄席での活躍に関しては、全然ちゃんとした記録をつかめていないのです。昭和30年代後半まで、テレビは番組を収録した上からまた別の番組を録画してしまうのが当たり前だったため、このころに最盛期を迎えた芸人の映像はほとんど残っていないというのが現実のようであります

そんな中、6〜7年前に大阪は難波にオープンした「大阪府立上方演芸資料館」で龍光の演技の映像を保管しているとの情報が
是非とも次回の大阪遠征時には何が何でも立ち寄りたい場所であります。


■税金を借金して払う男
お話戻って今度は晩年のエピソードですが、とある玩具メーカーが「アダチ龍光手品セット」みたいな手品ネタおもちゃを出したことがあって、こいつが結構売れたそうなのです。

で、龍光の懐にかなりの額のギャラが入って、それを元手にして、生まれの新潟の寺に立派な釣り鐘を寄贈したとか。「故郷に錦を飾る」って感じでここまでは格好いいお話。

しかし少し経ったら寄贈した鐘と売れまくった手品セットにごっそり税金がかかってきた。結局その税金を払うために借金をせざるを得なくなったそうです。なんともなんとも。

そんなわけで今回は龍光のおおらかというか、いい加減というか、聞いてるとこっちまで楽しくなってくるような人柄を中心に筆を進めて参りました。次回は天覧奇術の話から、龍光オハコのネタに関して触れていきたいと目論んでおります。

【参考文献】
矢野誠一「さらば愛しき芸人たち」(文春文庫)
矢野誠一「芸人という生き方 そして死に方」(日本経済新聞社)
立川談志「談志人生全集第1巻・生意気ざかり」(講談社)

(2002.6.30了/つづく)

■落とし前付けました。



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