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アダチ龍光の生涯を時系列で追います!
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●故意に隠されてた?
●本名中川一と謎の死?
●アダチ家のタブー?
●文献から見る龍光像
●奇術師を志して家出ではなかった
●メディアでの活躍
●天覧奇術について
●龍光の演技が見れる場所
●税金を借金して払う
●龍光さんの死に際
●天覧奇術のカセットを探せ1
●天覧奇術のカセットを探せ2
●天覧奇術のカセットを探せ3
●天覧奇術のカセットを探せ4
●天覧奇術のカセットを探せ5
●天覧奇術のカセットを探せ6
●天覧奇術のカセットを探せ7
●天覧奇術のカセットを探せ8
●天覧奇術のカセットを探せ9
●大宅壮一文庫保有関連記事
●龍光さんと豆本
●NHK
ものしり一夜づけ
●めくらますが来た
●日本奇術協会から連絡が来た
●龍光さんと阿達家集合写真
●奇術協会記念誌が届いた
参考文献・今後のネタ
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■別に奇術師を志して
家出したわけではなかった
18の時の家出の理由も「芸で一旗あげたる!」なんて大層なものではなくて「その年に開通した磐越西線[※22]の車掌の詰襟に白手袋という格好に憧れて、岩倉鉄道学校[※23]を志願した」というお話。でも卒業したからといっても誰しもが鉄道員になれるわけでもなく、「気が付いたら」芸人になっていたということだそうです。
この辺り、身内から聞く「河原乞食呼ばわれされて」云々とは温度差を感じますが、なにぶん昔の田舎の村社会でのお話。ましてやお寺の長男さん。何となく理解できないでもないです。龍光の感覚が都会的だったのか、ホントに何にも考えてなかったのか。
そんなわけで、まず旅まわりの一座に加わって役者になり、女形なんかもやっていたそう。それから活動写真の弁士に憧れ、木村荘七だか荘六さんという方に弟子入り。しかし師匠がトーキー映画の出現で活弁に見切りをつけ、木村マリーニという名で手品師に転向。仕方なくなのか何も考えてなかったのか龍光もその道を歩むようになったそうです。その時期に鶯の鳴き真似を十八番としたという声帯模写芸人としても活動をしていたらしく、このネタだけで寄席を四件も掛け持ちする売れっ子であったといいます[※24]。
奇術の修行は大阪でし、26歳で上京。深川の「常磐亭」という寄席に定期的に出演していたらしいのだけれど、当時の奇術師は得意のネタひとつで商売していた中、龍光は20種類以上の持ちネタをとっかえひっかえ披露。客からは大好評を得るものの、芸人仲間から「若造のクセに生意気だ」とねたまれ、10日でクビになって再び大阪に戻ったなんて話も。
「世の中に芸人もずいぶんいるけれど、客に受けすぎてくびになった のは、俺くらい」
と龍光さんは云ったとか。普通文句のひとつも云いそうな話なのに、そのまま素直に大阪に戻るというのが実に龍光さんらしいではありませぬか。
そんなわけで大阪で才能が花開き、大正、昭和初期に掛けて活躍。吉本興業に所属。賭事に女遊びが大好きで、戦前に100円という決して悪くない給料をもらっていたにも関わらず、前借りばかりしていたそう。その吉本に入った理由もいい加減なもので、移動用に支給される阪急電車の定期券が欲しかったという、ただそんだけだったとか。
京都まで女遊びに行く足代が掛からなくて助かるってな話。
吉本興業と龍光の間にこんなエピソードも。
給料の条件の良い旅の仕事に誘われ、吉本をドロンしたことがあったそうです。しかし、途中吉本の社員に捕まって「給料200円にするから」と連れ戻され、素直にまた大阪の舞台に立っていたら、いつまで経っても200円どころか今までの給料100円ももらえやしない。さすがにこの時は文句を云わずにいられなかった龍光。社長に掛け合ったら、帰って来た言葉が
「お前をさがし出すのにちょうど200円掛かったんじゃ!」
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引用文中「龍光」「竜光」と表記を統一しておりません。原文ママです。
[※22]
現在も新潟−喜多方間を運行。今も帰省の際は、郡山から会津までの1時間半の道のりを利用しております。
[※23]
明治30年「私立鉄道学校」として神田錦町に開校。明治36年に「鉄道界の恩人」岩倉具視(私たちの世代には「500円札の人」として有名ですな)の名字を校名に冠す。昭和23年、泰東商業学校を統合し岩倉高等学校に。現在も鉄道・運輸業界を中心に優秀な人材を送り出している。現在は台東区上野にある。
[※24]
龍光の形態模写の芸は、「四季の風景」というタイトルで昭和初期にオリエントレコードで吹き込んだSP盤が存在します(品番60320)。
2003年7月末にこのSP盤がヤフーオークションに出品され、なんと2100円で落札。現在この音源は丸善が販売しているCD-ROM「古今東西噺家紳士録
CD-ROM」(エーピーピーカンパニー)で聞くことが出来ます。
作家の色川武大は「寄席放浪記」(廣済堂文庫)の立川談志との対談の中で、
「色川:だって、昔の擬声漫談のレコードを聴くと、ほんとにつまらんものね。」
とコメントしてます。
演芸評論家の矢野誠一も「さらば愛しき芸人たち」(文春文庫)で
「その『鶯の谷渡り』というのを、竜光が久方振りにやったのをきいたことがある。なにかの会で洒落でやったのだが、正直いってこれで売れたなんてほんとかしらと思われるくらい、面白くもなんともないものだった」と語っています。
「猫八さんのとあんまり変わらなかった」と感想を伝えると龍光さんは少し凹んだそうです。
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