■龍光自慢の天覧奇術について
「アタシは陛下と友達なんだ」
「17万円かけてタキシード新調して出掛けて、宮内庁のくれたギャ ラが2万円」
などと晩年までネタにしていて、一方でその話を聞かれると
「あれは5月14日」
とすぐに答えられるくらい名誉にしていた天覧奇術は、1971年(昭和46年)の出来事でした。昭和天皇の古希(70歳)を祝う会で、奇術界からは龍光と引田天功が招聘されました。
前述の「パペポTV」で天皇に「どーっちだ?」と聞いたというのは、龍光が十八番にしていた「パン時計」というネタ。
スライスしていない食パンが1斤、お盆に乗って、テーブルの上に置いてあります。観客から腕時計を借り、それを小さな木製の箱に入れ、終始、観客から見える場所に箱を置いておきます。
食パンを取り上げ、どこにも切れ目のない、完全な食パンであることをよく確認してもらいます。ナイフでパンを二つに切り、観客にどちらか好きなほうのパンを指定してもらいます。選ばれなかったパンは、さらにうすく切って、中には何もないことを見せます。
選ばれたほうのパンに、ナイフを突き刺したまま、もう一度お盆の上に戻します。
時計の入っている箱を開けてみると、中から時計が消えています。ナイフの刺さっている食パンを取り上げ、ナイフを抜いてからパンをよく観客に示します。ナイフの切れ目以外、どこにも穴などははありません。
そのパンをむしって行くと、中から観客から借りた時計ができます。
出典[※26]
この時、天皇が「右!」と云ったという説と「天皇はニコニコ笑っているだけで侍従の人から、『陛下はお決めになりません』と言われた」という2つの説があります。
私は、前述の龍光の弟子、アサダ二世が「笑芸人vol.7」(02年7月刊/白夜書房) に書いている
古い時代では、そういう左右を選ばせる手品をした時は、絶対に陛下は発言をされなかった。国民が、陛下の言った方に一斉に流れるからね。でも、龍光がやった時は、宮内庁の変化もあったのか、元々奇術がお好きな陛下が「右!」って仰った。「それからアタシは陛下と友達なんだ」って営業でよく言ってた。
こちらを信じたいところです。
龍光はこの時の演技の模様を録音したカセットテープを大事に持っていて、人に聞かせては当日の模様をうれしそうに説明していたのだとか。
天覧奇術に関して、ひとつよくわからないのが、「笑芸人vol.7」(02年7月刊/白夜書房)に「天皇大いに笑う!」という「女性自身」の三遊亭円生、宝井馬琴、引田天功、そして龍光の対談記事が小さく掲載されているのですが[※27]、このキャプションに「昭和49年、女性自身4.27号」とあるのです。天覧奇術から3年後に当時を振り返っての対談なのか、奇術好きの昭和天皇が、3年後に再び龍光、天功らを招いたのか。しかしこの記事をよくよく目を凝らして見てみると
「天皇誕生日(この4月29日で73才)おめでとうございます」と語る寄席の芸人たち
とありますので、龍光は何度 か昭和天皇の前で奇術を披露している模様ですが・・・・詳細はよくわかりません。
ちなみに龍光は1972年(昭和47年)に勲五等双光旭日章を受賞しています。
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