■アダチ龍光の本名
中川一と謎の死?
さて。そんなこんなで、面白がりながら色んなサイトを渡り歩いておったのですが、この「有名人辞典」掲載のプロフィールではたと疑問にぶつかりました。
名前 アダチ竜光
ヨミ アダチリュウコウ
本名 中川一(ナカガワハジメ)
→遁注)正しくはヒトシ
出生地 新潟県蒲原郡鹿瀬
生年月日 明治29年7月20日
学歴 岩倉鉄道学校中退
経歴 曹洞宗の寺の子として生まれる。18歳で家出。新派の見習い、活弁士などを経て24歳で奇術界に入る。越後なまりのとぼけた語りで人気があり、昭和46年には「天覧奇術」で天皇に奇術を披露したこともある。41年に芸術祭奨励賞を受け、同年から日本奇術協会の会長、48年からは同永久会長を務めた
私自身が持っていた知識の「妹である祖母が新潟のお寺の娘であったこと」「長男だった龍光が芸の道を目指したことによって若い頃に勘当されたこと」と確かにこのプロフィールは一致します。しかし本名が「中川一」とあります。
中川??
私は、身内で中川姓の方に会った記憶がありません。
また「今日は何の日〜毎日が記念日〜」というサイト[※15]で龍光で亡くなったのは1982年10月13日ということがわかりました。
1982年ということは、昭和57年。私は既に10歳です。さすがに物心がついている年代であるはずなのですが、「龍光さんが亡くなった」「誰それが葬儀に参加した」という話を聞いた覚えが正直ないのです。あれだけ「引田天功より偉かった」「笑点に出た」「天皇の前で・・・」と云っていた父親の口からですらです。
ここで前述の「パペポ傑作トーク集」から再びその続きも含め引用させていただきます。
鶴「わー、嬉しいなあ。天皇も〜!」
龍「さあ、そこでや!ここは一つ『その通り!』と言って 開けるべきか?アダチさん、一瞬迷ったんや。けど、えー いと思って、『残念でした〜』って。」
鶴「偉いわ!その後ですよ、アダチさん。なんか謎の死を 遂げられましたねえ。」
龍「アホ!」
触れられている「天覧奇術」が1971年(昭和46年)、龍光が亡くなったのが1982年(昭和57年)と10年以上の開きがあるので、単に「ネタだろ」と思わないでもないのだけれど、「謎の死」という言葉がどうしても気になって仕方がないのです。
「謎の死」だったからはっきりと私に伝えられなかったのだろうか?
兄弟である祖母は葬儀に行ったのだろうか?
行っていないのだとすると、龍光とアダチ家との関係はどんな状況だったのだろうか?
そして中川姓の理由は?
この身内とされる龍光への親しみが増す一方で、情報を集める内に疑問もどんどん湧いてきました。
龍光の華やかなプロフィールから正直
「父親の話は全部嘘で芸名がアダチの中川さんに勝手に感情移入して ただけだったのではないか」
それとも
「息子に嘘をついて信用しているのを裏でほくそ笑んでいたのか?」
という疑念も湧いていて来たのだけれど、ここまで来たら徹底的に調べてやろうという気持ちになり、早速、実家に電話を掛け父親に話を聞くことにしました。
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