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アダチ龍光さんのこと

■アダチ龍光って誰だ?

 私の身内で、芸事で大成したと云われるのが唯一この方、手品師のアダチ龍光氏です。私の父親の伯父、祖母の兄に当たる方・・・と云っても「そんな人知らん」という人がほとんどかもしれません。私自身もリアルタイムで氏の芸を見たことは無いのです。

 あるサイト[※1]に以下のようなプロフィールが掲載されています。

奇術師。上品な語り口でマジックを披露し人気をとった。まれにウグイスのモノマネや漫談などをやっていたようだが本職の奇術は評価が高く、昭和46年には、昭和天皇古希の祝いに皇居内でパンと時計の奇術を演じたこともある。

 龍光のことは小さい頃から父親の口から何度か耳にしていて「引田天功より偉かった」「笑点によく出ていた」「天皇の前で手品をしたこともある」などといった話を得意げにしていた記憶があります。でも「今テレビに出てない人のことはわからんよなぁ」と幼心に思っていたのも覚えてます。

 ちょうどその頃、私は日本テレビの「木曜スペシャル」などを舞台に、大掛かりな脱出もので一世を風靡してた引田天功(もちろん初代)[※2]に夢中になっていました。そんな 私を見て、父親がそういう話をするようになったのか、それとも父親からの話を聞いて手品・奇術に夢中になったのかは定かではありません。

とにかくその頃、小学館の入門シリーズや学研漫画などで、手品、奇術、マジックと名の付くモノは貪るように読んでいた記憶があります。簡単なマジックは家族や学校で友人の前で披露したりしたもの[※3]。

 そうそう。私の幼い頃書いた作文や卒業アルバムの類を見ると、「将来なりたい職業」ってやつが、幼稚園時代は一貫して「警察官」であるのに、小学校1年生から3年生に掛けていきなり「手品師」が登場します。その後はしばらく「漫画家」が1位を独占していくのですが、とにもかくにも一時期の私の手品・奇術への執着が伺えることかと思います。

 でも脱出モノの引田天功とテーブルマジックはあまりにかけ離れた世界であって[※4]、この両者を一体何が繋いでいたのかを考えると、やはり「身内にアダチ龍光がいた」ということが影響していたのかもしれないと今となっては思えてきます。

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引用文中「龍光」「竜光」と表記を統一しておりません。原文ママです。

[※1]
お笑い人名辞典

[※2]
引田天功大脱出放映リスト
昭和43年10月
海中大脱出

昭和44年3月
無人カー炎上大脱出

昭和48年3月
死のジェットコースター大脱出

昭和48年10月
死の水道管大脱出

昭和49年3月
地獄の岩石落とし大脱出

昭和50年4月
死の火炎塔大脱出

昭和50年10月
油地獄水面炎上大脱出

昭和52年2月
死のケーブルカー大脱

※企画段階では「引田天功」が敢行する案だったが、心筋梗塞に倒れて緊急入院した師匠に代わり、弟子の朝風まり(現・二代目引田天功)が出演した。

●笑芸人vol.7(02年7月刊/白夜書房)

ん?先代の最後の脱出特番が昭和50年
10月「油地獄水面炎上大脱出」っすから私3歳!?「死の空中ケーブルカー」は「引田天功じゃない〜!」って違和感覚えながら、でもでも手に汗握った記憶があります。先代の脱出は再放送で見たのでしょう。

[※3]
1983年(昭和58年)8月、日光での林間学校にて手品を披露する私

[※4]
念のためといいますか、言うまでも無いかもしれませんが、天功ももともとはテーブル・マジックの名手として名を馳せた人です。後述する天覧奇術では龍光とともに演技を行っています。天皇の前で大脱出ってわけには行きませんからね。


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