The World of TONSEi RECORDS−ブラン公式サイト−


 

【Wat's Newと諸々】
5月23日/た〜いむまし〜ん
5月22日/俺雑記怒濤のアップ
5月20日/復活!俺雑記/アダチ龍光さんのこと
5月12日/昨日はありがとうございました。
5月9日/週末生ブランの予習に!最新音源4曲一挙up
5月6日/今週末は2002年前半戦の締めの生ブラン
5月2日/僕の好きだった頃の巨人軍
4月30日/憧れの人に会うと云うこと


5月23日(木) た〜いむまし〜ん

こっばやし克也です(笑)。

さてさて、日々浮かんでは消え、浮かんでは消えるWebの情報を後生に残す「The InternetArchive」。世界中のWebサイトを定期的に保管するというとんでもないことに挑んでいるサイトです。

「こいつは使えるサイトだ」といくらブックマークを付けても、必要な時にアクセスしたらそのサイトが無くなってたってこと、よくあるじゃないですか。そんな時ここでURLを入力すれば当時のコンテンツのままにサイトが見れちゃったりします。でも一方でサイト管理者が「うわっ、昔こんな恥ずかしいこと書いたんだ。消してしまえ」と思っても、このサイトにしっかり保管されてるって怖い恥ずかしな一面もございますが。

前々から注目しておったのですが、画像の保存抜けや、保存されてるサイト、されてないサイトの差が激しくて、正直「まだまだいまいちだなぁ」という印象でした。

いやいやでも最近精度上がったのか、びっくりしたのですが、私がネット参画当時日々更新、膨大コンテンツで夢中になった大滝さんのサイト「Ami-go Gara-ge」のURLを試しに入力したら、バリバリ当時の感動そのままにコンテンツが読めるではないですか


今やほとんどのコンテンツを引っ込めて、開店休業状態が長らく続いておりますが、「あの頃はすごかった」と私も含め色んな人が語り継ぐ「Ami-go Gara-geの良き時代」が堪能出来ます。

でかした!「The InternetArchive」。私自身当時全てのコンテンツをプリントアウトしたものを保有しておるのですが、こうしてまたPCの画面で見れるとなると感慨もひとしおであります。

ちなみに遁レコサイトは2001年6月当たりから保管されてます。これじゃあんまり面白くないですね。

いやいや実はこれまで3回サーバーとURLが変わっているのですが、昔のURL憶えて無いんです(笑)。

そんなこんなを「リンクリスト」に追記。あと沼田さんのサイトのところにZEPブートコレクターの基本情報源サイトを追記しました。


5月22日(水) 俺雑記怒濤のアップ

面白いかどうかわかりませんが、ずっと取り憑かれていた「俺雑記/アダチ龍光さんのこと」をひとまず手に入った情報を元に書き上げました。本日龍光に言及したくだりのある「さらば愛しき芸人たち」(矢野誠一・文春文庫)が届きましたので読み終わり次第また続きを書いていきたいと思っております。項のタイトル「博打狂いのアダチ竜光」ですって。楽しみです。

そんな合間に「俺雑記」別ネタで怒濤のアップです。
ここ数日引っかかってたお話。
いやいや私見ですよ私見。


5月20日(月)
復活!俺雑記/アダチ龍光さんのこと

遁レコ久々の長文ネタでございます。
1週間ほど前から夜な夜な取り憑かれたように調べに書きまくっておりました。
いやぁこんなはずじゃなかった。ふとした暇つぶしだったのに気が付いたら夢中になっておりました。

身内のことを書きます。身内で唯一芸事で大成した手品師、アダチ龍光氏のことを書きます。幼い頃、父親から「引田天功より偉かった」「笑点によく出ていた」「天皇の前で手品をやったことがある」と何度となく聞いていたのですが、それにしては私自身、龍光のことを何も知らな過ぎることに今更ながらに気づいたのです。

芸人としての活躍の明暗、アダチ家との関係の複雑さなど調べれば調べるほど、まだまだわからないことが多すぎます。

そんなわけで2年ぶりに「俺雑記」を復活!
アダチ龍光さんのこと」を2回分アップいたしました。続きはまだまだ書いていきます。

これってひょっとしてライフワークになるかも?
これだけ書いてもまだまだ導入としか思えません。
読んでいただいて面白いかどうかわかりませんが、是非とも何卒。

PS.「はっぴいえんどカバーBOX」発売は5月31日となった模様です。


5月12日(日) 昨日はありがとうございました。

いやぁホント良いイベントでした。
充実感でいっぱいです。
そんなこんなを取り急ぎレポいたしました

ブランは今月いっぱい充電期間に入ります。
また2002年後半戦、怒濤の活動ラッシュで皆様方の御期待に応えるべく頑張って参りたいと思います。

いやぁ、個人的にはまだまだ曲にしても、ギターにしても、唄にしてもモノ足りないです。
またまだやれるし、もっと良くなるはず。

とにもかくにもこの充電期間でさらなる精進をと心に決めた次第です。


5月9日(木)
週末生ブランの予習に!最新音源4曲一挙up

そんなわけでいよいよ迫る5月の生ブラン@吉祥寺マンダラ2。
そんなこんなの予習にひとつご活用いただきたく存じます、ブラン最新音源集「実況録音2002年3月」(TORCD-5)の試聴ファイルを一挙アップ。2001年〜今年出来た新曲群をまとめてお届け。
何卒何卒!


5月6日(月) 今週末は2002年前半戦締め生ブラン

そんなわけでGWはいかがお過ごしでしたでしょうか。
前半戦で帰省、後半戦はブランリハに高尾山散策とリフレッシュさせていただきました。
実に良いお休みでした。

高尾ついでに学生時代によく通った八王子の豚骨ラーメン屋、一撥ラーメンに久さーしぶりに云って参りました。どこぞのサイトで「店員の威勢が悪くなって味が落ちた」とのコメントがあってちと不安半分でございましたが、ちと思いで半分で贔屓目入ってるかもしれませんが、たまらんもんがございました。満腹満足でございました。

そんなわけで今週末は生ブラン@マンダラ2でございます。
GW明けのブルーな気分をぶち飛ばす濃い〜一夜をお約束。
何卒何卒。


5月2日(木) 僕の好きだった頃の巨人軍

さてさて来週5/11は5月の生ブラン。対バンも豪華なイベントです。2002年前期ブランの総決算!どうぞお見逃しなく。
(ちなみに2002年後半ブランの予定もちらりちらりと決定してきてます。。。こいつも凄いですよ、ひとりほくそ笑んでおります・・・・ご期待下さい)

さて、昨日だか歩きながらぼーっと考えてたら面白くなってきたことがあったのでつらりつらりと書いてみます。

もちろん私は「巨人・大鵬・卵焼き」なんてな世代ではないのだけれど、野球と云えば読売巨人軍を全く浮気することなしに応援し続けています。ここ数年は、飯時にテレビで野球中継がやっていれば見るといった感じで、あとはニュースやネットで結果だけチェックするという、決して熱心なファンとは云えなくなったのだけれど、巨人が勝った夜は気分がいいし、劣性だったのが、ぽーんと逆転なんかしちゃうと飛び上がって喜んだりなんかしちゃったりして、家人にうるさがられることしばしであります。

ほとんどの人がそうなのかも知れないけれど、贔屓チームというのは父親の影響が大きいのではないかと思うのです。小さい頃、父親が応援するのを一緒に見ていて、気が付いたら自分もそのチームを好きになっていた、もしくは反抗して違うチームを応援するようになった、そんな感じではないかと思うのです。

親元を離れて10年以上経つのだけれど、私の父親も熱心な巨人ファンでした。飯時と云えば必ず野球中継を見る、野球のない月曜日はキックボクシングを見る、そんな感じでした。この多くの世代の例に違わず長嶋フリークで、また同郷ということで中畑清を熱心に応援をしておりました。

プロ野球に関する私の最初の記憶は王が現役を引退するかしないか頃の時代で、特に熱心に見ていたのは藤田監督、王副監督、原入団ってな頃からの数年でした。V9以降レギュラー選手の衰えが始まり少々落ち目になって、少しずつ選手が入れ替わって行った時期と云った感じでしょうか。

そうそう「ヤングジャイアンツ」なんて云われてました。
未だに巨人と云えばあの頃のメンバーの印象が強烈だったりします。

少々年代が入り交じってしまうかもしれないけれど印象的な選手を並べてみます。

ピッチャーは江川、西本、定岡の3本柱にリリーフは角、鹿取。斉藤、槙原はまだまだ若手でした。全盛期は過ぎてだけど新浦もかっこ良かった。
ヘロヘロだったけど堀内もまだ時々投げてました。

キャッチャーはもちろん山倉。天才キャッチャーと言われ、今で云う阿部と重なるところがありますね。

ファーストは山本功二だったり、原の入団でサードからスイッチした中畑。
セカンドは職人的バッティングと華麗な守備で大好きだった篠塚。
ショートは河埜。サードは原。
外野は俊足松本、吉村、駒田にホワイト、トマソン、クロマティと云った外人勢。駒田は時々ファーストもやってましたね。柳田もまだ現役で時々出ていた記憶あり。

書いてて止まらなくなってきた。こういうの楽しいですねぇ。
後から見つけましたが、巨人軍オフィシャルサイトこの時代の資料がありました。

打率は篠塚、ホームランは原、盗塁は松本。エースは江川。
今みたいに派手な選手は決して多くなかったかもしれないけれど、すっごい巨人は強かったという印象が強いです。

そんなこんなで、18の時に上京をしてからすっかり熱心に野球を見るという習慣がなくなってしまいました。去年、キャッチャーの村田が引退したり、川井がベテランとか云われているのを見ていて「えーっ!私の中ではまだ若手か中堅だったのに」と驚いてしまったくらい。もうすっかりおいてけぼりであります。

今や原が監督になったり当時のレギュラー陣がコーチにずらっと並んでいるのを見ると、また違った意味で野球を見るのが楽しくなり始めた今日この頃であります。

先日のGWには帰省して、久しぶりにテレビの前に親父と並んで巨人を応援しました。
最近は二岡、仁志が好きだな。


4月30日(月) 憧れの人に会うと云うこと

久々更新で恐縮です。
GW前半戦は帰省で田舎でリフレッシュ。良いお休みでございました。そんなこんなの前日の出来事を田舎で書きました。

先週金曜日、4/26はヰタセクスアリスがバックを務める早川義夫さんのライブを見に南青山のマンダラへ。

前日スハラさんの代理でベースを担当しているシノワのアツザワ君から連絡をもらって「ライブの後、早川さんに紹介しますよ」などというありがたい話を聞いておりました。いやいやしかししかし、私にとっては憧れの人であっても、早川さんにとっては何だか知らんバンドの人であるわけで、「会って話をしてみたい。でも挨拶されても困るよなぁ」と複雑な気分でおりました。
「でももしそんな機会があったら」と念のため早川さんの著書2冊と「定本ジャックス」とアルバム数枚をカバンに忍ばせて会場へ。

ちょっと楽屋にお邪魔してヰタセクの皆さんにご挨拶。
出番前でもっとピリピリしているのかと思って遠慮しようかと思ったのだけれど、皆さんいつもの調子でというか、かえっていつもよりハイテンションでしばし談笑させていただきました。

そんなこんなでヰタセクの出番も近づいて来たということで、私も入場。
ビール片手に弾き語りのカナダ男性の唄声を聴きながら、満席の会場でせせこましい椅子席で小さくなりながらチビチビやっている内にヰタセクの登場。前隣のカップルが「これってどんなバンド??」なんてひそひそ話をしていて、心の中で「まぁ見てなさい」とニヤリ。

南青山マンダラはどちらかというと大人の雰囲気のハコで、照明も落ち着いた感じで一味違ったヰタセクを楽しむことが出来ました。年齢層の高いお客さんの反応も良かったです。でも5曲じゃモノ足りないっす。

ヰタセクは一度退場し、再び早川義夫さんとともに登場。

・・・確か1曲目って「堕天使ロック」だったよな。
気が付いたら20数曲終わってた感じ。

この人が60年代後半に作った音楽に、僕が10代の後半の頃に出会って夢中になって、決して数が多くは無い著書やインタビューを貪るように読んで、少しでもこの人の考えていることや音楽に対する姿勢を知りたいと思った頃のことや、当時のいろいろな出来事や出会った人々のことやらがごちゃごちゃと蘇ってきて、

「この音楽っていつの唄?」「私が夢中になってたのていつ?」「で、今はいつ??」

と不思議な感覚に襲われてしまいました。

唄われるのはもちろんジャックス時代の楽曲だけではなく、90年代中頃以降の楽曲や、新曲も含まれているのだけれど、なんというか、もうそれらがいつ作られた楽曲か、知ってる曲か知らん曲かなんて全然どうでもいい話なのです。
ブライアン・ウィルソンとも重なってしまうのだけれど、今現在彼らから発せられるものが、変わらず自分自身や時代に有効性を持っていることに驚嘆してしまうわけです。

個人的に珠玉だったのが「敵は遠くに」と「割れた鏡の中から」。

そしてラストに演奏した「いつか」。
この曲は早川氏の音楽活動再開の宣言でもあり、この曲を唄うために再び表舞台に立ったのではないかと勝手に思っているのだけれど、個人的にも自分の音楽活動に迷ったらこれを聴こうと心がけておる特別な曲であったりもします。

92〜3年でしたか復活1stアルバムが出たか出なかったかの頃、江古田のBuddyに早川さんを見に行った時も、ラストはこの曲でした。その時、早川さんは涙を流しながら叫んでいて、背筋がゾクゾクっとしたことを今でも覚えています。感動を伝えようと横を見たら、いつもは強面の大学先輩も泣いていた、そんな映像も蘇ってきました。

久々に早川さんを生で聴いた、去年のウダロックでもラストでしたね。あの時は私自身が涙を禁じ得ませんでした。

自分のことと思い出しか書いていないけれど、そういう形でしか感想やら意見やらが書けないという存在が、きっと誰にでもいると思うのだけれど、私にとって早川さんはそんな一人だったりします。早川さんも「評論家は何を生み出すのだ」と云っていたけれど、重要なのは自分自身がどう動かされたかであって、もちろん私には音楽的にどうこうなんて話は書けません。

ヰタセクとのパートナーシップも見ててキラキラしてくるほど美しかったです。
上手く云えなくてもどかしいのだけれど、今ここまで早川さんを「ロックな存在」として浮かび上がらせてくれるのはヰタセクくらいではないのかなと思います。例えどんな名うてのミュージシャンがバックを務めて、早川義夫の存在感を引き立てることが出来たとしても、バンドとしての演奏の魅力、スリリングさというプラスアルファの面白さはきっとここまで出て来ないことでしょう。上手く云えなくてもどかしいのだけれど、ホント素敵でありました。

終演後、ぼーっとしながらメグと合流して会場でビールを飲んでいると、アツザワ君が「じゃ楽屋行きましょか」と声を掛けてくれる。いやいや演奏終わったばかりだし、自分にとって早川さんが大きな存在だとしても、早川さんにとっての自分自身を考えてみた時のあまりのちっぽけさ加減に、とてもじゃないけど恐れおおくて何も云えなくなってしまう。しかしアツザワ君、こんなこんな晴れ舞台なのにすごい度胸だよ、立派だなぁ。

会場に来ていたPlace Called Spaceのオオキさんとと話をしながら再びビールを飲んでいると、この日スタッフをしていたウケモリさんが「ロッキングオンの松村雄策さんって知ってます?」と声を掛けてくれる。いやいや知っているなんて話じゃないですよ。私がジャックスを知ったのは彼の著作(多分「岩石生活入門」)だし、小説もエッセイも音楽評論も著作は全部買っているし、渋松トークライブも行ったことあるし、そこでサインもらったことあるし・・・・とにかく大好きな作家なんだって。

そんなこんなが一気に頭をぐるぐる回っていると「紹介しますよ」・・・「え???」

スミマセン。全然覚悟が出来てませんでした。
完全に舞い上がってしまって、「ブランってバンドをやってます。本は全部読んでます」といいながらブランCDを差し出すのが精一杯でした。

ロックだけでなくて酒の飲み方や猪木がどんなに強かったかなど、貴方から教わったことはたくさんあるのです。今も読む本に困ったときは必ず貴方の著書を読み返すのが常なのです。なんてここに書いていても仕方ないっすね。

そんなこんなであたふたして、打ち上げにおじゃまさせていただくことに。
うわー、早川義夫と松村雄策が向かい合って座ってる・・・なんなんだこの絵は。
そっと同じテーブルの端っこに座って、早川さんが熱く語っているのに耳を傾ける。
とにかく今ヰタセクとともに演奏をしているのが楽しくて仕方がないのだろう、ニコニコしながら反省点を交え松村さんやヰタセクのメンバーに身振り手振りを入れて話している・・・なんなんだこの絵は。

夢心地になりながらの数十分。
ご迷惑とは思いつつ、「定本ジャックス」にサインをお願いする。「こんなもん捨てちゃいなさいよ」と冗談を言われながら脇で「いやいやバイブルですよ」と松村さんがフォロー。

そしてブランライブアルバムを差し出すと、「あれこのバンドのCDもらったよね」と早川さん。前回の下北シェルターのライブの際、私は足を運べなかったのだけれど、アルバムをお渡ししたのを何と覚えてくれていたのだ。・・・何だかもう。

終電の時間が迫ってきたので、メグと一緒においとま。
松村さんが丁寧に挨拶してくれたのが感激でした。

こんな日もあるんですね。生きてて良かった、音楽やってきて良かった。もっともっと頑張ろう。


 

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