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SOS 2001年11月号 vol.116
(高円寺20000V屋根裏等アンチノック系ライブハウスで配布のフリーペーパー)
表紙とインタビュー(記述式)、プロフィール、、ディスコグラフィー、ライブ情報、他全4ページ特集

質問作成/早川俊介(20000V店長/KIRIHITO)
回答/アダチ


■Q1.ブランはどのような経緯で何時結成されたのでしょうか。
■Q2.始めた当初にイメージしていた音はどのようなものだったのでしょうか、そしてどのように変化していったのでしょうか。

結成は94年の夏頃だったと記憶してます。
それまで唄い手を別の人で立て、私はギターをという形でバンドを作っては壊し、作っては壊ししておったのですが、「何々みたいなバンドをやりたい」「何々みたいな曲を作りたい」と常に何かのお手本があってのバンドだったり曲作りというスタンスだったんです。

それがある時どうしても許せなくなって。当時私はまだ学生で卒業を半年後に控えていたのですが「このままじゃいかん。自分の言葉で自分で唄わなくては」と思い、曲を作り出して・・・最初に出来た曲がこのバンドでは取り上げなかったと思うのですが「雨が降る」という曲で、外で雨が降っていて僕は自部屋で唄を作っているというだだ単なる情景描写なのですが、 当たり前のことを当たり前に唄にしたらすごく気持ちが楽になって「開眼!」とばかりに次から次へと曲が出来ていったのを覚えてます。そんなそんなで曲がたまって、私の弾き語りに装飾的にリズム隊を付けてもらおうと前のバンドで一緒にやっていた初代のドラムと前の前のバンドでベースを弾いていたメグに声を掛けたというのがきっかけです。最初やろうとしていたのはフォークシンガー的なアプローチでした。当時メグはフリーボのメンバーとして忙しくしていて「後ろでルートだけ弾いてくれればいいから」とお願いした記憶があります(笑)。

それからしばらくして徐々にバンドとしての自我が目覚めてきたというか、メンバーで楽曲をあれやこれやいじってまとめるという当たり前と云えば当たり前の行為が楽しくなり始めて、自然な成り行きでバンドサウンドを志向し始めるようになりました。

気が付いたらヘビーサイケだとか爆音ロックだとかいわれるようになりましたが、その辺りは2代目、3代目とドラマーの変遷の影響もあるかと思います。自然にこういう音になったというか正直当初からこのバントへのスタンスは変わっていないつもりです。

あ、ちなみに97年頃まで遁生という名前で活動しておりました。ドラムが2代目に代わる際に改名をいたしました。



■Q3.某大学の音楽サークル出身だったように記憶しているのですがどのようなサークルでしたか、またそこに在籍していたことがブランの音楽性に何かしら影響を与えていますか。

フリーボのメンバーが同級生だったり先輩だったり、他にも先輩にシュガープラントのメンバーがいたり、古くはグレートリッチーズのメンバーがいたり、ロックあり、パンクあり、ポップありで音楽的嗜好が様々で、でも何となくひとつにくくれるような、そんな不思議な場所でした。現在のメンバーはメグが私の後輩でクリハラさんが先輩に当たります。歴代のメンバーも全てこのサークル出身者です。

今は雰囲気が変わってしまっているのかもしれませんが、組織論だとか大学論だとか真剣に議論するようなところもあって、非常に硬派な集まりであったことは確かです。そういったことを考えていると自ずと考えは「個」に向かうようになって、青臭く聞こえるかもしれませんが、「自分にとって表現とは?」「音楽とは?」などということを自問自答するわけです。10代から20代始めにそういう時期をもてたことは私にとって大きな財産だと思ってます。この時期がなければ現在こういう音楽はやっていなかったと思いますし、
音楽自体に向き合っていたかもわかりません。


■Q4.ライブハウスに出演するようになったのはいつ頃からですか。また出演するようになって活動は変わりましたか。

95年からだったと思います。
今は無き、代々木チョコレートシティが最初でした。
正直、どのライブハウスにどのような色があるかだとか全然わからない状態で、そもそも自分たちのバンドもどのような色を持っているのかもきちんと掴めていなかったので、しばらくは色々なライブハウスにデモテープを送ってブッキングしていただけるところは手当たり次第出ていたような感じでした。

そんな時期を経ながら人目、人耳にさらされて悪評も受けつつ、次第にバンドとしての向かうべき方向だとか、自分たちの個性というものが見えてきたのかもしれません。

音楽活動への変化という意味では、聴き手と相対することの面白さだったり、刺激だったり、重要性だったり。

聴き手の方々はお金を払って、わざわざ会場に足を運んで、その方の数十分の時間を自分たちに捧げているわけです・・・臭い云い方ですが。

だから下手なものは絶対見せられない、聴かせられないという責任と自覚は持っているつもりです。たまに「聴き手は意識してますか?」と質問されることがありますが、バカ云ってんじゃない、当たり前です。

「自分が感動できる音楽が作れればいい」、それは大前提の大前提、自分の納得出来ないものを人に聴かせるなんて言語道断です。

他者と相対した時に何が生まれるのか、ライブ活動の本質はそこにあるのだと思ってます。


■Q5.アダチさんの音楽遍歴等を教えて下さい(リスナーとしてでも、プレイヤーとしてでもよいです)。

→Q1/2の文章で書いている通りです。


■Q6.今のところ、全て歌詞は日本語で歌われていますがそのあたりのこだわりは、今後英語で歌う(作る)こともあるのでしょうか。

多分上手に出来ないと思います。


■Q7.アダチさんのボーカルスタイルは誰に影響を受けていますか、差し支えなければ教えて下さい。    

具体的な誰かとなると今はよくわかりません。
唄うことに対するスタンスとしては、「うれしい」とか「楽しい」ってなことばかり唄ってても仕方がない、というか・・・いや、もちろんそれもありだとは思うのだけれど日常における自分自信の歪みだとか不安定さもさらけだしてというのは根本としてあります。
基本的に自分に対して自分のことしか唄ってないですし。

でもさっきの「他者と相対する」という話と繋がるのですが、そんな個人的な世界を唄うにしてもどこか自分を客観視している自分がいて、単なる情念ドロドロものに留まらないようにしているつもりです。

だから練習の音源にしてもライブの音源にしても、自分の唄を客観的な耳で熱心に聴くことを心がけてます。言葉が音楽にきちんと載っているか、唄いまわしにいやらしさはないか、叫ぶにしても囁くにしてもその強弱が適切かというのはいつも気にしています。もちろん唄だけに限った話ではないのですが。

ライブにおいてたまたま出たひらめきは、次の機会には確実に自分のものにする。そしてまた新たなひらめきが起これば次の機会には必ずそれもモノにする。この繰り返しで、楽曲が確実に発展していく、これが私がブランの理想とするところです。天才じゃないんだから、普段出来もしないことが、ライブでもアルバムでもハレの場面で発揮できるはずはありません。


■Q8.邦楽と洋楽どちらを好んで聴きますか。

良いものはどちらも好んで聴きます。


■Q9.メンバーの皆さんのフェィバリットのミュージシャンを教えて下さい。又好きな曲、アルバム等もよろしければ・・・。(その他音楽以外のことでも何かありましたら)

アダチ:ビートルズ、ビーチボーイズ
クリハラ:(最近聴いているもの)Muffs、ゲントウキ、竹内正美さん
メグ:天城越え


■Q10.この程大阪のギューンカセットより待望のスタジオ音源をリリースされましたが、どのような経緯でこのようなかたちでリリースが決まったのでしょうか。

ギューンのスハラ社長との出会いも20000Vでした。
確か96年に「ギューンカセットナイト」という大阪のバンドメインの企画に出演させていただいたのがきっかけでした。本当に早川店長には感謝のしようがないというか、頭が
上がりません(笑)。

それから年1〜2回ペースで大阪でライブをさせていただけるようになり、98年に出たギューンのサイケオムニバス「あぶない音楽」(gyuune casseteCD95-13)に1曲に参加いたしました。

それからしばらくして、スハラ社長に突然「そろそろアルバム作ろか」とおっしゃっていただき、今回のリリースとなった次第です。


■Q11.レコ-ディングはいかがでしたか。

プロデュースをお願いしたフリーボの石垣、榎戸両氏が、客観的にブランを見て的確なナビゲートをしていただきました。ライブや練習の際のダイナミズムが見事にパッケージ化、出来たと思ってます。

BGMには向かないけれど、スピーカーと向かいあって気が付いたらアルバムが終わっていて、身体と頭がクタクタ、でもまた繰り返し聴いてしまう、そんなアルバムに仕上がりました。

ある種昨年までのブランの活動を総括させていだいた部分もあって、お陰でどこかふっ切れて曲を作れるようになりました。


■Q12.今後レコ-ディングの機会があり、金銭的にも時間的にも余裕があるとしたらどのようなものを作りたいですか。

クリハラさんから「木箱に入ったビンテージの高価なテルミンを弾きたい。アルバムでドラムセット3つくらいを曲によって使い分けたい。」という意見をいただいておりますが、確かに機材面での充実というテーマはありますね。良い楽器で良い音を追求してみたいというか・・・。

でも、今回のアルバムは実質20時間ほどで録音を行ったのですが、生々しいダイナリズムをパッケージングするという意味では、いくらお金と時間がたくさんあってもやることは基本的に変わらないような気がします。
少なくともあと1枚は(そんな機会があればの話ですが・・・)そうします。


■Q13.ありがとうございました、最後にSOSの読者にメッセージを。

読者の皆さんにはリスナー気質の方もいればプレーヤー気質の方もいらっしゃるかと思うのですが、今ライブハウスってどういう風に映っているんでしょうね?

私は優れたライブハウスはメディアたるべしということをずっと思っていて、それぞれのハコが独自の視点と切り口でバンドを集めて、そこに人が集まってくる、「とりあえず行ってみようか。覗いてみようか」と思わせるそんな魅力が第一だと思っています。そこで気に入ったバンドがあれば追いかけるもよし、CDを買うもよし。もちろん今後に期待するバンドを育てていくという使命もあるだろうし。

ただ、なかなか普段ライブハウスに足を運ばない方々に知らないバンドを見ていただくというのは難しいことだと思うので、「SOS」のようなメディアがその一助となればと思います。



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