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フルタツ 99.8.28.
 (サイケピンキーズ)
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 (ゴールデン・フォー)
平田徳雨 99.8.10. 2/5
 (シノワ)
山内 かおり 99.7.26. 
 (シノワ)
アダチカツノリ 99.10.19.
 (遁生レコード)

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アダチカツノリ 
(遁生レコード) kakou@t3.rim.or.jp


■ラジカセで録り集めたオムニバスカセット
始めて買ったシングルレコードであるエマニエル坊や「シティ・コネクション」と時期は似ているはずで、どっちをトップにしようか迷ったのだけれど、私が能動的に音楽に関わりだした原点は小学校1〜2年の時のココだということにする。「この曲を聴きたい」「この曲を手元に置いておきたい」と当時どこまで考えていたかはわからないけれど。

録音に使ったのは東芝製の妙に重たいラジカセで、革製のカバーが掛かっていたりして、今にして思うと中流の下の我が家には結構贅沢品だったハズである。同じものが母方の祖父母の家庭にもあって、そこの隣が 今何かと話題の東芝絡みの電機修理工かなんかだったから、「2台買うと安くする」とかそういう経緯があったのかもしれない。

「ラジカセをテレビスピーカーにくっつけて音楽を録音する」という技を一体いつ覚えたのかはっきりわからない。父親が演歌か何かをこの方法で録音しているのを見たような気もしないでもないが、ある日を境に 「録音するからシー!!」と家族に号令を掛けてテレビ主題歌やら歌謡曲を録りまくるようになった。そのカセットが手元にないから正確かどうかはわからないけれど、「さすがの猿飛」(だっけ?)の「こ、い、の呪文は〜スキトキメキトキス」とかいう曲から始まっていたと思う。最初の頃はアニメの主題歌が多く、徐々に「ベストテン」「トップテン」などから歌謡曲を録るようになって、「録音するからシー!!」は中森明菜の「禁句」で幕を閉じたと記憶する。その中には何故録ろうと思ったのか不思議なものもあって、正月の「プロ野球紅白歌合戦」かなんかで当時ルーキーだった原辰徳の唄う加山雄三の曲何てのも入っていて、今でこそ「若大将なんてあだ名付けられたからしょうがなしに唄わされたんだろうな」と原に同情するけれど、「録ったはいいけどこんなもん繰り返し聴きたくないわ」と幼いながらに感じていたことを思い出した。当時のラジカセには「頭出し機能」などと云う高尚なものは備わっておらず、聴きたくない曲を飛ばすのは一苦労だった。そうそう、CDプレイヤーを買っての初めての感激は音が良いということよりも、曲飛ばしが 簡単に出来ることと曲順変えが容易なことだったなぁ。

まぁとにかく。
一体何本くらい録りためたんだろうか。
多分実家の物置の奥に今も残っていると思うのだけれど。


■ダブルラジカセ
「ダビング」という言葉が何ともいかがわしくも甘美な響きを持って私を夢中にさせたのが小5の頃。何てったって1枚2800円もするLPの中身がこいつを手に入れりゃ簡単に手に入るってのだからたまらない。

お年玉はたいて買ったサンヨーのダックスフンドのマークが入った何とかっていう真っ黒のダブルラジカセの稼働率の高さっていったらホントなかった。もう学校は毎日「あれ貸して、これ貸して」のトレード交渉の場。ルールは1泊レンタル。7泊8日など不届き千万。

しばらく経ってからレコードレンタル店が全盛期に入り、多少の後ろめたさがあったダビングの世界が表舞台へ。こうなるともう止まらない。
ワムもマドンナもレベッカもアルフィーもニューロマもオメガトライブ(杉山期)もビートルズも明菜も落語もみんなみんなこの時期があったからこそ聴いたようなもの。
この時期録り貯めたカセットは未だに捨てる気にはならない。ある時期のおいらの生きてきた証って感じ? 人がおいらの音楽をミクスチャーロックと呼ぶなら、そりゃそうさ、だってこの時期があったから。

・・・まあとにかく。
音楽多感期の芽生えとこのダブルラジカセってのは何とも切り離せないわけで、FMのエアチェック何てもののこの時期夢中になったし、そうなると気に入った曲だけ集めて編集テープ何てものも作ったり、そうそうワープロでカセットレーベル作ったりねぇ。こういうことにいくらでも時間掛けて夢中になれるってのはこの時期があってのこと。何か根本は全然変わってねぇなぁとも思ったりもする。

しかし、今のラジカセやらステレオってカセットデッキがひとつってのが一般的みたいですな。ダブルラジカセなんて言葉、近い内に死語になるんだろうなぁ。


■中一英語のビートルズ
無意識に耳にしていたにせよ、現在まで脈々と続く自分でも時々あきれるご執心のきっかけの決定打は中一ん時の英語の授業の教材。曲は「Hello Goodbye」。「Magical〜」収録のポールのやつ。

黒ブチメガネの女教師K先生にはとにかく感謝しておかなければならないだろう。そうそうこの狩野先生、中一の2学期、夏休み明けの一発目の授業で突然現れたんだよなあ。1学期は30そこそこのS先生だったんだよ。このS先生、若くしてちょっとイっちゃってて、確かにちょっと神経質すぎる感じはあったんだけど、生徒がちょっとでもしゃべると怒鳴り散らすし、「全ての基本はアルファベットだ」とか云って26文字の発音とその順番を覚えさせることに異常に執着してた。生徒一人一人にアルファベット一文字一文字を書いたカードを作らせてそれをシャッフル、何分で順番通り並べられるかとか、1枚抜いてその文字を発音させたり。そんなこと何ヶ月もやっててさすがに幼心にも「こんなんでいいんかいな」と思っていたら、どうも学校内でも問題になったらしく、案の定1学期でクビだか勝手に壊れちゃったりしたらしい。どうしてるかなぁ、島村さん。

そんな経緯など伝えられることないまま、授業の遅れを取り戻すべく登場したのがK先生。さすがは何てたってベテラン女教師、要領よくスイスイーとカリキュラムをこなしていく。でもなあ、進行早すぎてついてこれなかった生徒がたくさんいた記憶があるなあ。

少なくとも40数名の英語修得をスタートからつまずかせてしまったS先生の罪はとてつもなく大きい。

そんなわけで、「単にテキストをなぞっていく授業では生徒が飽きるだろう」とたまには音楽教材ってなK先生の粋な計らいが「俺ロック史」に大きな足跡だか傷跡だかを残すことになった。
「You say Yes..I say No..You say Stop..and I say Go Go Go...」
対比語の繰り返しの余りに簡単な英詞と妙な浮遊感のあるサウンド、ここまでやるかのポップ感・・・ガツーン、ホントにガツーンと来たのを覚えている。
意外にここまでのどポップものってポールは多そうで少ないわけで、未だに彼らの楽曲の中では特別の場所にいたりする。

その頃はまだまだ「ダブルカセット期」を引きずっていて当然音源持ってる奴から「明日返すから」と借りまくり。で、こういう時は兄貴、姉貴持ちは強いわけでYMOとビートルズ好きのお姉さんを持つ長峰君には随分と頭を下げたもの。脂ぎった長髪で普段は嫌われ気味の長峰君。にわかに盛り上がったビートルズブームに突然「貸して貸して」攻撃、一躍注目の的に。でも「ビートルズは貸しちゃだめって云われてる」とか変にもったいぶったりして。もう借りるだけ借りたらその後はもうどうでも良し。あっという間に嫌われ 気味の長峰君に逆戻り。
しかし子供ってホント残酷ですねぇ。

そんなわけで浮気はもちろんしながらもロックもポップもおサイケも果ては人の生き様までも教わったこいつらのことはいくら書いても書ききれない。

その後K先生の音楽教材シリーズは何回かあったと記憶するが、全然印象に残ってない。
確かヤマタツの英詞の曲を取り上げてた記憶があるが・・・・。


■ライドこそオレのパンク体験
オールドロックにうつつを抜かしていた私に大いなる一撃を喰らわせたのが89年のローゼズ1stの登場。これもオールドロックの焼き直しだったと云われればその通りなのかもしれんが、リアルタイムで音楽を追っかけていたというのはまさにこれをきっかけとした数年間。今にして思えば何とも幸せな時期であった。

とにかくイギリスが面白かった。毎月雑誌で「にゅーかまー!」と持ち上げられるバンドが次々「当たり」で、雑誌読んでCD屋通うのが何てったって面白い時期だった。

とにかく当時「ロッキング・オン」はバイブルで毎月隅から隅まで読み回したもの。上京前のおいらにとってふらっと街の輸入CD屋で情報収集などという環境など当然なく、情報源はこの雑誌とNHK-FMの渋谷陽一の「ミュージックスクエア」、BSで週1やってたUKインディー番組とホントこんだけ。でも情報源が少ない分その情報に対する姿勢は本気でしたね。

そんな状況下で私の目の前に登場したのがライド。
当時はまだアルバム発表前でシングルが「赤ライド」「黄ライド」とか呼ばれてた「Chelsea Girl」「Like A Daydream」の時期。音の洪水に甘ったるいメロと声が乗る・・・今にして思えば決してこの方法論って彼らが始めた訳ではないのだけれど、あっという間に夢中になってしまった。
かといって輸入盤シングルなんて買えるわきゃなく、渋谷のラジオでエアチェックしたものを何度も何度も聴いたもの。

それと同時にやられたのがバンドのその佇まい。
その辺に居そうなお兄ちゃんがうつむきながらギターかきむしって唄ってるってのがたまらんものに映った。

だってロックって云ったら「イェー!」とか「カモーン!」とかそういう世界じゃないですか。そんな僕にロックの内省性というものに気付かせてくれたわけです。「オレがやるのはこういう音楽だ」と妙に盛り上がったもの。サウンド面に於いてもジミー・ペイジになれないということは当時の時点で何となく気付いていて、「これなら出来る」何て事も考えたモノ。

今までずっと自分がパンクの洗礼を受けるにはちと生まれるのが遅かったと 云うことが引け目だったのだけれど、こう考えるとライドこそが私のパンク 体験であり、自分にとっての音楽表現というモノが少し見えだしたきっかけ であったのだなぁと思うわけです。今、自分から出てくる音楽は随分とここからかけ離れてしまったけれど。まぁとにかくここから始まったというわけです。

思春期サイケと云われてしまえばそれまでかもしれないけれど、この甘くて切ない白昼夢のような音の洪水を大人になってもずっと良いと感じられる人間でいたいと当時は何度心に誓ったモノか。
そんなわけで改めて引っぱり出してちょっとだけ聴いてみようと思ったら「赤ライド」「黄ライド」「Nowhere」と止まらなくなってしまった。よしよし、まだまだ終わってないぜ。


■一人暮らしとダイナソー
予告で挙げてた「パーフリになりたかった」もこれはこれで面白いネタが書けそうだったのだけれど、また別の機会にするとして。

なんかこの前テレビ見てたら懐かしいメロが聴こえて来てラルクなんとかシェールってバンドが映ってました。「でもこれって英語の唄だったよなぁ、日本語カバーなんかなぁ」と思ったら彼らの新曲。で公式サイト覗いてみたら作詞作曲はメンバー名。
たまたま似たように聞こえてしまったのか、よく云われていることなのかわからんけど、その元ネタ収録つったら怒られるか、久しぶりにダイナソーJr「Green Mind」引っぱり出したら、軽い気持ちがなんかこうボーっとしてしまったわけで。ありがとうラルク!オレ5ラストはこのネタで!

こいつは東北の片田舎から上京した18の時、上京数日で初めて買ったCDであります。何で買ったかといえば答は簡単。当時はもう熱烈な「Rockin'On」信者だったこの私。この雑誌のレコ評でトップ扱いは逃さず買う、そんでむさぼるように聴く、そんないたいけな少年でありました。このアルバムもそう。アルバムの隅々まで覚えているわけで。
確かに今聴いてもよいアルバムであります。でも私なんかより深ーく聴きこんでいらっしゃる方はたくさんおいででしょうし、頭でラルクなんたらのファンも敵に回しちゃってるので(いやそんなつもりはないんですよ。枕、噺の枕です)、音楽的にどうこうは話しません。

このアルバムいつ聴いていつも浮かんでくるのは、初めての一人暮らし6畳一間のアパートでステレオガンガンならしながら洗濯している自分の姿。飯から金からなんだって全部自分で管理しなけりゃならぬ。何とかやってる洗濯だってやったことないからマニュアルとひたすらにらめっこ。それが終わったら夕飯食うぞ。コンビニ弁当は身体に毒。買い物行って料理の本と格闘だ。ガスだ電気だ水道は一体いくらかかるんだ。友達だってゼロから作り直しだよ。大学入ったはいいけど経済学って一体なんだ?

そんなこんなが頭ん中をグルグル巡る。そんな入学式から始業までぽっかり空いた一週間のお休みの昼下がりがパーッと目の前に広がって甘酸っぱい気持ちになるのであります。
あれから10年近く経ってるのにいまだそんな気持ちに持って行かれるとは 思わんかった。

思えば遠くに来たもんだって締めようと思ったけど、あんまり遠くには来と らんな。相変わらずダビングとかコピーって言葉にはゾクゾクするし、ビー トルズは大好きだし、金に不自由しないと思ったことは一度もないし、相変わらずわからんことばっかだし。こんだけ書いてまだ18ん時の話までだし。
(99.10.19了)



 

(C)TONSEI RECORDS