【いよいよ来週!】次回生ブランは「ロックンロール以外は全部嘘」初出演!

いよいよ今度の土曜日です!
次回生ブランは「道場破りシリーズ」新宿編。
ロックンロール以外は全部嘘に7/9(土) 初出演!

フライヤー・デザインはもちろん、ブラン竹井メンバー!
何卒何卒!


2016年7月9日(土)新宿 ロックンロール以外は全部嘘

於:ロックンロール以外は全部嘘
東京都新宿区 歌舞伎町2-45 第2与三郎ビル
Tel.0422-22-4816
会場へのアクセス

open 19:30 / start 20:00
入場料 ¥1,600+1drink代

出演(出演順):
 ブラン
 Syd38
 仇花

※お問い合わせやチケットお取り置きのご連絡はこちらまで気軽に!

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アダチ龍光の師匠の父親のお話:「悲願千人斬の女」読前レビュー

先日、松沢呉一さんから

「木村荘平の伝記を読んでいたら、木村マリニーが出てきた」

とご紹介いただいた小沢信男「悲願千人斬の女」(筑摩書房)が着荷。

木村マリニーは奇術師アダチ龍光の師匠であります。

龍光さんが20代前半の役者時代、相部屋だった仲間、木村春夫(本名:木村荘七)に活動弁士になりたいと相談し、彼に紹介状を書いてもらって大阪に尋ねたのが、荘七の兄で大阪千日前の映画館、敷島倶楽部(現・敷島シネポップ)で主任弁士をしていた木村紅葉(本名:木村荘六)。
これが、大正8年か9年のお話。

「すぐ来い」と言われ、龍光さんが大阪に向かうと、紅葉は

「やがて映画というものも、もの言う時代が来るよ。」

とすでに芸名を木村マリニーに変えて奇術師として活動していたというのです。頼って大阪まできた師匠が奇術師になってるなら、オレもなろうって、志はどこに?って鞍替えしちゃうのが龍光さんらしい。
アクシデント的に龍光さんの奇術師の道がスタートするわけです。

ここに出てくる木村荘六、荘七の父親こそ本書「悲願千人斬の女」で取り上げられる木村荘平であります。実業家にして、市議会議員をやったり、上野に競馬場を作ったり。正妻の他に多数の愛人を持ち、授かった子供が男13人の女17人の30人。

で、その子供たちが、文学、演劇、映画、絵画の世界で幅広く活躍するのです。

この辺りまでは知っておりましたが、木村荘平さんの実像を知れるのがとても楽しみです。

*上記参考資料:席亭・立川談志のゆめの寄席_第十集 第五夜 下:漫談 アダチ龍光「僕の人生」と、
「アダチ龍光さんのこと 年表wiki編」
http://www.tonreco.com/ryukou/wiki/index.php
1919年(大正8年/23歳)~ の項









木村荘平を含め、この本は4人の「破天荒な人物」を紹介するというう内容。

表題の「悲願千人斬の女」松の門三艸子という人は不勉強にて知らないのですが、残るは「日本一の狂人」葦原将軍、「超俗の怪物」稲垣足穂。

芦原将軍!
久しぶりにその眩しいお名前を目にしました。
自らを将軍、後に天皇とも名乗った、精神を病んでしまったお方。
精神病院の巣鴨病院、松沢病院にいながら、何故か世間から注目された云わば「狂人スター」。
何か世間で大事件が起きると芦原将軍のコメントが新聞記事になたといいます。

私自身は、そんな芦原将軍の強烈なエピソードのみ記憶に残っているのみで、彼の生涯に関しては知らないのです。

「あれ?なんで芦原将軍のこと知ったんだっけ?」と本棚を見返したら、澁澤龍彦「狐のだんぶくろ」収録のエッセー「芦原将軍のいる学校」、種村季弘「アナクロニズム」の前書き「蘆原(ママ)将軍考」、あとは、宮武外骨の出版物であったと思い出しました。多分いちばん面白おかしく取り上げてた宮武外骨の出版物の印象が大かと・・・。

稲垣足穂は、学生時代澁澤龍彦からの派生で読んだものと記憶しています。
飛行機愛や「一千一秒物語」は、あがた森魚が音像化している世界観。

個人的には「少年愛の美学」、学生時代先輩が「人間は竹輪であることをまず認識しよう」と力説していた背景にあった「A感覚とV感覚」が印象に残ってます。

写真で見られる本人のごっつい姿からは想像が付かない透明感のある文章が好きでした。

以上、読前に思ったことであります。
読みどころたくさんの予感で楽しみです。

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その4

まだまだ続きます。

国会図書館での成果を得て、「ポールが行こうとしてかなわなかった」トルコ風呂の場所と名前がついに判明しました。

「ではではその次は、写真を探してみよう!」

と永田町から新宿御苑に移動し、四谷四丁目交差点の少し新宿寄りにある新宿区立四谷図書館へ参りました。

「四ッ谷の資料は地元の図書館をまず当たってみよう。」

と思った次第です。

すぐにリファレンスコーナーへ直行し、

「四谷四丁目交差点、大木戸の交差点の1960年代以降の写真を探してるんですが・・・。」

と司書と思われるEさんに相談。

テキパキした対応で、データベースをすぐに検索。

新宿歴史博物館が所蔵する写真資料の一部を公開している「新宿史博物館 データベース 写真で見る新宿」から検索結果を見せてくれました。

ただしかし、新宿通りを新宿側から四ッ谷方向へ写したもの、または四ッ谷側から新宿方向へ写したものは多数見つかるのですが、僕らが目的としている交差点を曲がって外苑西通りを靖国通りへ向かった風景というのがどうしても見つからないのです。

気になる写真を見ながら、

「こっちが新宿方向ですか?」

「この建物はなんですか?」

などと質問すると、Eさんは(おそらく20代後半か30代はじめくらいの方かと思うのですが)、これが実に詳しくよく知っていて感心しました。

「いかがでしょうか?」

「ここを曲がった外苑西通りを靖国通りへ向かった写真をさがしているんです。で、この辺りに煙突が立っていたらしいのです。その写真を見つけたいんです。」

早速、先ほど入手したばかりの1965年の地図をEさんに示しました。

「煙突ですか・・・。お風呂屋さんか何かあったのですか?」

「あ・・・はい。そうです。」

そこでEさんは再び検索作業を開始、

「しばらくお待ち下さい。」

と書架へダッシュ。待つこと数分。

Eさんは、新宿の文化歴史を写真で追った書籍など数冊を抱えて戻って来ました。

「あと四谷四丁目の公衆浴場の登録も調べてみますね。」

「あ、いやいや。・・・・特殊浴場なんです。」

改めて、1965年の地図で「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の場所を示します。

「あ、あぁ、なるほど。・・・ところで、どうしてこのことを調べてるんですか?」

「50年前にビートルズが来日した時、ポールがホテルを抜けだして・・・(云々)」

「えー!そんな話があるんですか!? 面白いですねー。ちょっとお待ち下さい。」

ニコニコとテンションが上った様子で、Eさんは再び検索作業を開始。

「しばらくお待ち下さい。」

と書架へダッシュ。待つこと数分。

今度は、「新宿」シリーズで、1960年代から新宿を撮り続けてきた森山大道の写真集などを抱えて戻って来ました。

「あとは、エログロ、アングラもの辺りにひょっとして、写ってないかなと思いました。」

そこで、山に積み上げられた10冊近くの本をEさんがめくり始めたので、

「いやいや、後は私が見ますので・・・。」

と、深くお礼をして、本を抱えて閲覧用の机へ移動。

それ以外にも、

「新宿歴史博物館にウェブで公開していない写真があるかも」

だとか

「四谷四丁目町会は積極的に地元の歴史を収集したり情報発信をしているので、広報に問い合わせてみてはどうか。その際は四ッ谷図書館からの紹介と言って見ると良いかも。」

など、あまりにも懇切丁寧な対応に感激をしてしまいました。

うん。
四谷四丁目町会のウェブサイトの充実ぶりは注目をしており、近々メールで問い合わせてみようと思っていました。

そんなわけで、Eさんにチョイスしていただいた本を1ページ1ページ夢中で確認することしばし。

いくつかいい感じ、でもどうしても惜しい写真を見つけては、一応しおりを挟みながらページをめくっていきます。

するとEさんがわざわざ私のところまでやって来て、
「この本は区内の他の図書館にあるのですが、取り寄せはすぐに出来ますよ。」

広岡敬一「トルコロジー トルコ風呂専門記者の報告」(晩声社)のメモを持ってきてくれました。

Eさん、いい人過ぎるよ・・・・。

お礼を伝えて、それまでに見つけた気になる写真をいくつか見てもらって、場所を確認させてもらったりと、有り難いことこの上なし。
あなたは図書館司書の鏡であります。

さて、そんなわけで一通り本を確認し、

「四谷四丁目交差点を外苑西通りを靖国通りへ向かった左手に煙突の写った風景」

は、残念ながらやはり見つけることが出来なかったのですが、1枚だけ「おっ!」っと、気になる写真があったのです。

「目で見る新宿区の100年―写真が語る激動のふるさと一世紀」(郷土出版社)のP175に掲載されていた「四ッ谷4丁目大木戸交差点(昭和39年)」という写真です。

手前に都電の走る姿を捉え、四ッ谷方面をおそらく新宿区文化会館(現在四谷図書館のある四谷区民ホール)から撮影したものと思われます。

ここに、同じ写真が、前述の「新宿史博物館 データベース 写真で見る新宿」に公開されているので引用します。

詳細は、1964年(昭和39年)9月25日の四谷四丁目大木戸交差点の写真とのことです。

さて。
ここで、交差点の外苑西通り方面(左)に目を凝らしてみます。
現在、旅館長良川とホテル新御苑の洒落た看板がある辺りに、何か文字が書かれたものが見えます。

ぐぐぐっと拡大してみると・・・。

あ!「トルコ大木戸」の看板を発見!!!

まず目に入るのが「トルコ」の文字。その文字を何か円形のもので囲んでいるデザイン。その円に重なるように何か文字か装飾がほどこされているように見えます。

それに重なるように中央に見えるのはタキシードを着た男性3人でしょうか。それを両方から囲むのは女性が数人?

その下には白抜きで「大木戸」の文字がはっきり認識できます。

「トルコ大木戸」の看板の左上には「長良川」の看板が!

松沢さんの記憶にあったという「外苑西通りを挟んだ、現、文象堂書店、旅館長良川側にも看板なり何か印象に残るものがあった。」というのはこれのことでしょうか?

ついにこれで私たちは、まだ「看板」という広告媒体を通じてのみではありますが、ポールが訪問未遂に終わった「トルコ大木戸」の存在を「間接的に」「画像で」目撃したことになるのです!


[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その5(執筆中)

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その3

前回からまだ続きます。

さて。
前回までに、ついにポールトルコの場所と名前までを解明することができました。

しかし、人間の欲はとどまることはありません。

次は、この目で画像として見たい。
「トルコ大木戸」の姿を・・とは難しいかもしれないけれど、何とか四谷四丁目交差点から、煙突が写った風景が見れないものか・・・。

訪問の順番は前後するのですが(四谷図書館での収穫は次回で・・・。)、四谷四丁目辺りで古くから営業してそうなお店として、隕石と古美術品店「宇宙村」の店主、もとい村長の景山八郎さんのことが、頭にずっと残っていました。

お店は、四谷四丁目交差点から新宿駅方面に少し進んだ右側にあります。「トルコ大木戸」跡地へは、大木戸下方面に通り2本ほどの距離にあります。

昔からテレビ番組や雑誌などで登場する店主の強烈なキャラクターが印象に残っていたものの、御年今年79という年齢といい、この地で長く商売を行ってきた方ということで、是非お話をうかがってみたいと思っていたのです。

通行人は「宇宙村」を前にして、ニヤニヤ笑ったり、奇異の表情を向ける人が多数。いや、まぁ、私だって正直この店に入るのは勇気がいりました。

入店前。私は、改めて宇宙村のサイトを確認し、1,000円くらいで買える小さい隕石か、宇宙パワーシールってのがあることを確認し、店内へ。

店主・・・もとい村長の姿は見えない。
しばらく、店内の商品を眺めていると・・・奥から「いらっしゃい。」という声が。

「こんばんは。」

「今日は何探してるの?」

「宇宙パワーシールが欲しくて。」

「あなた初めて来たの?」

「はい。ここはしょっちゅう通ってるんですが、おうかがいさせていただくのは初めてです。」

私は、1枚1,000円の宇宙パワーシールを手に取りました。

「隕石買ってかないの?1000円からあるよ。」

「いや、今日はこれが欲しかったんで・・・。」

「あなた仕事なにしてんの?」

そこで、少し話題を合わせようと思ったので・・・。

「あ、宇宙のカレンダーというか、衛生画像を使ったカレンダーを作ってるんです。」

「え!ならダメだよ、隕石持ってなきゃ。」

とにかく、営業熱心。グイグイきます。

いやいや、ここでなんとか本題の話聞かなきゃ。

「この店はいつからやってるんですか?」

「14〜15年前だよ。その前はもう少しあっち(新宿寄り)で30年くらいやってたよ。」
(【松沢呉一さんコメント】昔は新宿一丁目でしたよね、あの店。[*四谷四丁目の隣町])

「今、この辺のこと調べてまして、この裏にトルコ風呂があったってこと覚えてますか?」

「知らねーよ。そういうの興味ないから。」

「大きな煙突があったの知りませんか?」

「ああ、あったねぇ。真っ黒い煙突が。」

「そこに『トルコ風呂』って大きな文字がかいてあったと聞いたのですが・・・。」

「覚えねてないよ。興味ないし、そういうの行ったことないから。」

「どこかにその辺の写真ってないですかね。」

「誰が何でそんなとこわざわざ撮るのよ。(外苑西通りの)向こうっ側の古い人に聞いてみたらいいじゃない。」

「はい。この間、旅館長良川のご主人にお話を聞いてきたんです。」

ほぼ万事休す。

「どうもありがとうございました。隕石のこと勉強してまた来ます。」

「そうだよ、宇宙のカレンダーやってんだから隕石くらいもってないと。入口に説明書とか4種類あるから持ってきな。」

「ありがとうございました!」

と、チラシをもらって店を後にしました。

トルコ大木戸の煙突が

「真っ黒い煙突だった。」

という発言は、ひとつの収穫でした。

また、写真の存在に関しての問いに、

「誰が何でそんなとこわざわざ撮るのよ。」

というのは、一般的な人々のひとつの反応を表している言葉であったのかもと感じました。

後述する、四谷図書館、新宿歴史博物館の調査でも四谷大木戸交差点(現、四谷四丁目交差点)の画像はいくつか見つかるのだけれど、それは四ッ谷方面から新宿方面を写したものが、または逆からのものがほとんどでした。

トルコ風呂の真っ黒い煙突がある

「あの辺ってそれ以外、ボロボロの家があったくらいで何もなかったんだから。人通りも少なかったし。」(旅館長良川主人・談)

という交差点から外苑西通りを大木戸下方面へ向かった風景を確かにわざわざ撮影はしないのかもしれません。

でも見たいんだよ!


[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その4

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その2

前回から続きます。

まずはざっとこれまでのあらすじを。

ビートルズ来日から今月29日で50周年。

1966年7月1日にポールはホテルを抜け出し、明治神宮、神宮外苑を車で回って、皇居へ二重橋前辺りまで歩き、すぐにホテルに連れ戻されてしまったという有名なエピソード。

実はこれ、ポールは四ツ谷にあったソープ・ランド(当時の呼称はトルコ風呂)に行こうしていて、それが未遂に終わったという裏話があったというのです。

そんなこんなを検証しながら「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあった」という大きな煙突のあるトルコ風呂の場所までを知ることが出来ました。

こうなると、

・そのお店の名前は?
・大木戸の交差点(四谷四丁目交差点)から煙突が写った写真は存在しないのか?

など、さらに知りたくなることがどうしても湧いてきてしまいます。

「新宿歴史博物館に行こうか。でもあそこは展示中心で資料が大量にあったり閲覧できるところなかったような・・・。」

「となると、四谷四丁目交差点そばの、四谷区民ホール内の四谷図書館の方が資料が充実してるかも。」

「もう少しあの辺でヒアリングすべきところはないだろうか?」

などと考えを巡らせていたところ、Facebookコメントにノンフィクション・ライターの松沢呉一さんから、また有り難いアドバイスがありました。

店名は、1970年までの男性誌を探すと出てくると思うよ。それまでお遊びと言えばトルコ風呂なので。大宅文庫に「ポケットパンチOh!」とかがあればいいんだけど、大宅文庫だと「平凡パンチ」どまりかな。

そうか。当時の風俗情報が載った雑誌を当たれば、何か手掛かりがあるかも・・・。松沢さんがおっしゃるとおり、ウェブから確認する限りでは確かに「ポケットパンチOh!」は、大宅壮一文庫には所蔵していないようです。

ネット通販やオークションで買うのもじれったい。
神保町に探しに行くか・・・。

じゃ、国会図書館は?
ウェブから蔵書検索すると、欠番はかなり多いけれど所蔵を確認。

そうだ、国会図書館には地図専門の部屋もあったよな。
ここも有力情報がつかめるかも・・・よし、国会図書館に行こう!

既に時計はお昼を回っていましたが、大至急着替えて準備して永田町へ。

国会図書館に来るのは実に久しぶり。
それこそ10年くらい前にアダチ龍光さんの資料を探しに来た以来。
(これに関しては、知人のコネも使わせていただき、記事内容検索の強い大宅壮一文庫での方がたくさん資料を見つけることが出来たことを覚えています。

専用カードを作るなど、すっかりシステムが変わっていて若干戸惑ったけれど、利用者登録を済ませ、専用端末で「ポケットパンチOh!」を検索して、貸出の申請を。

本の用意が出来るまで30分くらい掛かるということで、その間に本館4階の地図室へ移動。

カウンターの司書さんに

「1960年代〜70年代の四谷四丁目の地図が見たいのですが・・・。」

と伝え、検索方法を教えていただく。

新宿の全域地図は、1962年から途中虫食いがありながら(発刊自体がされていない可能性もあります)、2015年12月版までの所蔵を確認。

1966年版はなかったので、1962年版、1963年版、1965年版の貸出を申請。

貸出の準備が出来るまで、15〜20分掛かるということでしばし待機。

アダチさーーーん!

大声で、名前が呼ばれ、地図3冊が出てきました。
ドキドキしながら資料閲覧用の机で地図を広げます。
地図の見方って以外に難しくて、戸惑いながら四谷四丁目周辺に目を凝らします。

あ、あった!

ではでは。
ここでは、1965年版の地図をメインに検証して参ります。

※参照用に大きいサイズのデータはここにアップします。
 
※真ん中にある縦のラインは、左右で地図掲載ページが離れていたためのブランクです。


さて。
ここではまず、くだんの料亭とトルコのあった場所を確認します。
地図をズームした画像をアップします。

つ、ついに疑問だった答えのひとつが明らかになったのです!
御覧ください。

「割烹 自慢荘」と、併設する「トルコ大木戸」の文字がはっきり見えます。

地名そのまんまのあまりにストレートな店名に、そして料亭とは思えぬネーミングにニヤリであります。

さて、ここで過去の地図も見ていきます。

まず、1962年の地図では、1965年版と全く異なる点はないように見えます。

次に1963年の地図を見てみると、「トルコ大木戸」の文字はなく、1965年版と1962年の地図で「割烹 自慢荘」+「トルコ大木戸」のエリアが「割烹 自慢荘」となっています。

これは、過日の旅館長良川のご主人の証言、

「地下にトルコ風呂があって、もともとはその上が料亭だったんだよ。」

という、「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」は同じ(少なくとも経営者が、)お店だったを裏付けることになるんでしょうか?
で。

この辺りのことはよくわからないのですが、大阪の飛田新地のかつての遊廓は、現在では表向きは料亭の集まりということになっていて、料亭で接客する女の子は仲居さんで、お客さんとは飽くまでも「自由恋愛」をする、ということになっていると聞きます。
「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」は、このシステムと同じだったと想像して良いのでしょうか?

1966年6月30日の夜、ビートルズのローディ、マル・エヴァンスは、共同企画の中村実氏に連れられて、四谷四丁目へ。
まず、「割烹 自慢荘」で食事をし、仲居さんと自由恋愛で「トルコ大木戸」に移動して行った・・・そんな感じなのでしょうか。

(【松沢呉一さんコメント】割烹とトルコの営業が併設されていることはないと思うので、別の店だと思います。経営が同じ可能性はありますが、たんに貸していた可能性もあり。)

さて。
このエリアの1965年版、1963年版、1962年の地図に共通しているのが、「割烹 自慢荘」から隣りの「飯塚」さんの住居との間に線が結ばれていること。これは、「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の経営者は、「飯塚」さんであったということを示すものなのでしょうか?

さてさて。
ここで、少し本題からずれるかもしれませんが、外苑西通りを挟んだ東側もとても興味深いので見ていきます。
ここでも1965年版の地図をアップします。

まず、旅館長良川が今と変わらぬ場所にあったことが確認できます。

もちろん銭湯蓬莱湯は、バリバリ営業中と察せられます。

本屋前の公園は、この頃から「新宿区大木戸児童遊園地」だったとは意外でした。高層マンションが立てられてその際に作られた公園なんだとばかり思ってましたが由緒ある公園なのですね。

あと、現「ホテル新御苑」は最初はこっち側にあったのですね。
そしてそして。

びっくりしたのが、旅館長良川(地図上の表記は「旅荘長良川」)周辺に宿が多いこと多いこと。

私が知る限り、旅館長良川以外は、現在一軒も存続していないはずです。

当時この辺りに宿が多かったゆえんとは!?
長年の歴史から、内藤新宿のあったころの名残なのでしょうか?

ふーー。
そんなこんなで、ポールトルコの場所と店名の解明までたどり着きました。

次は、トルコ大木戸の姿を・・とまでは欲は張らないので、何とか四谷四丁目交差点から、煙突があった風景が見れないものか・・・。

次に、私はその足で、四谷図書館に向かうことにしました。
この旅はまだまだ続きます。


PS.ちなみに国会図書館に所蔵されていた「ポケットパンチOh!」は、1968年創刊号の6月号と11月号、1976年1月号と4月号でした。
4冊をすみからすみまで目を通しましたが、斬新なデザインや三島由紀夫のエッセイや戸川昌子や五木寛之の小説連載に、唐突に西川きよしが自分の性癖について熱く語ってたり、ユーミンがインタビューで当時既に婚約者だった松任谷正隆のことを聞かれて「婚前交渉はテキトーよ」なんで発言してたりで、
「読んじゃいけない。読んじゃいけない。情報を目で追うだけにしなきゃ。」
と自分を制するのが大変でした。
神田、御茶ノ水、浅草、大阪の歓楽街の特集は確認出来たので、新宿を取り上げた回がある可能性はあるものと・・・。
これは、古書店やオークション等で地道に当たりたいです。


[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その3

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史


ライブ活動休止から50年、我々にとっては武道館公演から50年。
ビートルズがグループとしては唯一この日本の地にやってきた日、6月29日をいよいよ来週に控え、CDリリースに特集本の出版にドキュメンタリー映画公開にテレビでの特別番組の放送に関連イベント開催にと何かと慌ただしくなって参りました。

雑誌「レコード・コレクターズ」にて2009年から連載をスタートし、現在も継続中の宮永正隆氏の「ビートルズ来日学」(DU BOOKS)が、満を持しての発売。

2段組400ページを超える大著ながら、読み進めるごとに明らかにされる生々しい事実や、まるでその場、その瞬間を体感しているかのような空気が伝わってきて、わくわくすることたまらないのであります。

さて。
そんなこんな読み進めること百数十ページ。
インタビュー相手は、ビートルズ来日時に運転手を務めた協同企画(現・キョードー東京)の肥田勲氏。

超厳戒態勢にて、羽田空港へ6月29日の明け方間近に到着し、永田町の宿泊先の東京ヒルトンホテル(現・キャピトルホテル 東急)に入って以来、ビートルズの4人は武道館との往復以外缶詰状態。

これにはさすがにストレスがたまります。
時は第1回目の公演を30日の夜に済ました翌7月1日。

ここで、メンバーの脱出劇が始まります。
朝11時頃、まずはジョンが、続いてローディのマル・エヴァンスとともにポールがホテルを脱出。ジョンが原宿、麻布材木町、南青山で古美術を買いに、ポールが明治神宮、神宮外苑を車で回って、皇居へ二重橋前辺りまで歩いて、警官に「もうダメだ、戻りなさい」と5〜6分の散歩でホテルに帰された・・・ここまでは、誰でも知ってる有名なエピソードであります。

そして、そして。
それは「20章 ポール、そしてジョンの脱出」(P136)冒頭で、筆者から唐突に語られるのです。

 『ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た 伝説の呼び屋・永島達司の生涯』(*)で、ポールがホテルを脱出した真の理由が明かされた時の驚きは今も忘れられない。
 かいつまんでいえば「中村実というタレントの世話担当の社員がローディのマル・エヴァンスを四谷(本文ママ)にあった”外国人が喜ぶお風呂”に連れて行った。マルからその話を聞いたポールは翌日同行したいと強く懇願し、無理やり1階まで一緒に降りて来た。しょうがなく中村は二人を1階ロビーに待たせ、黒のプリンスを出した。玄関につけたプリンスに気づいた私服警官が近づきポールと押し問答になり、そのうちマスコミの中には気づく者も出始めた。刑事はやむなくポールを車に押し込み走り出した。読売の社旗を立てた車を先頭に何台か追っかけて来たため、まさか四谷に行くわけにいかず、やむなく皇居見学することになった」・・・と書かれているのだ。

[*遁注]ビートルズを招聘したプロモーター、協同企画社長、永島達司の伝記。野地秩嘉著「ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た―伝説の呼び屋・永島達司の生涯」(幻冬舎)

突然のブッコミネタに「外国人が喜ぶお風呂」と書かれても一瞬ピンと来なかったくらいでありました。

つまり、ポールはホテルを抜けだしてソープランド(当時の呼称は「トルコ風呂」。日本で独特に発達した営業形態の風俗店)に行こうとしてたというのであります。

当時ポールは24歳。

「おい、マル!なんで昨日てめぇだけ、そんないいとこ連れてってもらってんだよ。オレも連れてけよ。で、誰に言えばいいいんだよ!」

そんなやり取りがあったのかもしれません。

協同企画の肥田勲氏は、

「僕は黒のキャデラック専門だったから。あれは4人全員が正式に動く時以外、使わなかったからね。」

と、ポール脱走劇の運転には関わらなかったとして、

「この時読売社が撮った写真を見るとポールがどことなく沈んだ顔つきにも見えてきます。」

の問いに

「そりゃ面白くないですよ。オフロ行くはずだったのに(笑)。」

と暗に事実と認めているようです。

では、肥田さんの協同企画の同僚にて首謀者とされる中村実氏の発言を追ってみましょう。

ちょうど10年前に出た月刊「PLAYBOY」日本版2006年6月号。
「[総力特集]ビートルズ来日40周年記念 ビートルズ・イン・ジャパン」に「ビートルズ日本滞在103時間全記録展プログラム」からの転載として、中村氏のコメントが写真とともに1ページを割かれてに掲載されています。

ポールに「抜け出すから外に連れてってくれ」と頼まれたんです。警視庁も見張っているからだめだと私は言いました。でも、ポールが目配せで出ようと合図をして、ロード・マネジャーのマル・エヴァンスとエレベーターに乗ってしまったんです。あわててついて来た警視庁の方に、どうしても外の空気が吸いたいと言っています、ちょっと出ていいですかと頼むと、許可してくれました。ポールは別の場所に行きたかったようですが、警官が同乗していたので、外の空気を吸いたいなら公園へ行けばいいと思って、神宮外苑へ連れて行ったんです。
(以下、略:P37)

「ポールは別の場所に行きたかったようですが」

「警官が同乗していたので」

10年越しにやっと言外の意にピーーーンと来ました。

では「ビートルズ来日学」に戻ります。

「吉原とかじゃなく四谷にそんなオフロがあったのですね。」

の問いに肥田さんは

「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあったの。周りは住宅街だから、お忍びで行くとこにはピッタリのとこ。」

と回答して、この話題は終わり、次のテーマに移ってしまいます。

おいおい。
移動の飛行機の乗務員の名前や、搭乗者、JALの法被のことは執拗に追っかけといて、この話題に関してはあっさりにもほどがあるのではないか!ポールの若さゆえのリビドーを50年の節目だからこそ史実としてもっと明らかにすべきではないか!

どうせやるなら

・中村実氏インタビュー:6月20日の夜と7月1日のポール
 (※追記:中村実氏は故人でした。)

・マル・エヴァンスの相手をした姫インタビュー

・当時のお店の経営者、店長インタビュー

・(もし事前にポール来店を予約していたなら)7月1日のポールを待つお店の様子の証言者の声

くらい踏み込んでもよいのではないか!
・・・とも思いましたが、ま、デリカシーという言葉もございますしね・・・。

さて。
場所の話になりますが、四ツ谷の歓楽街だから、てっきり荒木町辺りを想像して読み進めていたのですが、

「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツン」

の言葉に、はたと思考が停止しました。

四ツ谷の大木戸の交差点って四谷四丁目交差点のことですよね?
かつてサンミュージックがあって、岡田有希子の例の件があったところ。


ほぉ・・・あの辺りにそういう場所があったのですね。
確かにそこからもう少し新宿の方へ向かえば、新宿2丁目があります。

ちょっと検索してみると・・・。

遊郭が、大正期に一か所にまとめられたのが現在の新宿2丁目の始まり。戦災で焼け、戦後赤線・青線となり現在のゲイの町へと遊里の歴史は変遷してきた。
「日本美集落探訪」遊里を歩く 第1話 東京 城西編

だそうで、「大木戸(四谷四丁目)あたりにも遊郭があったようだ」との記述も。
1966年当時、まだその名残があったということでしょうか?

※※※※※

・・・と。
まず、ここまでをFacebookに書きました。

このエピソードは、前述の永島達司の伝記で触れられたことで、知る人ぞ知る結構有名な話だったらしいのですが、「ビートルズ来日学」でもちょこちょこと「ポールが皇居に行くことになった経緯」に触れてきます。触れてはくるんだけれど

「しかし、ここではそれに関しては省略する。」(P314)

などと、サラッと逃げられてしまう。
裏が取れていることが前提で書かれているようなのであります。

さて。次の日。
まずはここまで書き殴り、ぶっ倒れるように布団に入り眠りに落っこちた夜が明け、寝不足で朦朧としながら起きると、Facebookのコメント欄に長年敬愛するノンフィクション・ライターの「ミスター・フィールドワーク」松沢呉一さんから情報が!

松沢呉一さんといえば、私の勝手な猛烈な片思いで、2003年リリースのブランの2ndアルバム「憧れと幻想」(いぬん堂)にライナーノーツを無理言って書いていただいたことがございます(いぬん堂牛戸社長が松沢さんと旧知の仲だったのです)。

以下、コメントを転載いたします。

よくぞ聞いてくれました(聞いてないってか)。サンミュージックの四谷寄りにかつてソープランドがありました。1990年代まであったんじゃなかろうか。ポツンと一軒だけ。

サンミュージックってもう移転したんだね。昔あった場所と、外苑西通りを挟んだ東側。今もあるかどうかわからないけど、小さい書店のある脇。
連れ込みっぽい旅館も近くにあったはず。今は反対側の裏道にラブホがあるけど。

おー!
めちゃめちゃ具体的な有力情報ではありませんか!
小さな本屋、あります。
古い旅館、あります。
外苑西通り挟んだとこにラブホ、ありますありますあります!

以下はわたしのレスです。

はい。小さな書店は今もあります。しかし建物がきれいになってますから、当時からは場所が変わっているのかもしれません。地図を作ってみました。この辺でしょうか?
そして近くに「長良川」という旅館が今も営業しています。これが「連れ込みっぽい旅館」のことでしょうか?
そのそばにいい雰囲気の銭湯があったのですが、昨日行ったら建物はそのままで廃業してて、中が雑貨屋さんになってて残念でした。


(画像クリックで拡大地図にリンクします)

そんなわけで、松沢さんのお話を元に周辺地図を作成、少しずつ「ポールが行きたかった場所」が見えてきました。

ちなみにここで触れた銭湯とは蓬莱湯。

松沢さんも時々訪れていたそうです。廃業してたとは前日その前を通るまで知りませんでした。しかも1年半以上前の2014年9月末で。

それまでも何度もこの前通ってたんどけどなぁ。
隣にあるコインランドリーは今も営業してるから気づかなかったのかなぁ。

さて。
そして、松沢さんから次のコメントが。

書店か長良川で聞けばわかるんじゃね? ワシはそういう聞き込みが得意中の得意なので、聞いたろか?

そして私のレス。

松沢さん地元ですよね?是非是非!
(注)実際は、松沢さんの地元ではありませんでした。

と言ったものの、これは

「知りたいことがあるのなら、知ってそうな人のところに行って聞いちゃえばいいじゃないか!というアドバイスなんだ。」

と気がつくと、私の足は四谷四丁目交差点の方へ向かっていました。

まずは、公園前の文象堂書店へ。

店内をしばらく本を探してるふりしてうろうろし、60代後半と思しき人のよさそうなお父さん(多分店主だろう)を確認。

「この年齢なら確実に知っているだろう」

と、今まで一度も買ったことのない「週刊文春」手にレジへ。

お金を払って本を受け取るタイミングで、

「ちょっと今、この辺の昔のことを調べてるんですけど。この辺りに”大人のお風呂屋さん”があったって聞いたのですが・・・。」

と口火を切りました。

「ああ、蓬莱湯さんだったら、やめちゃったよ。」

「いえ、この公園辺りにソープランド、トルコ風呂があったって聞いたのですが・・・。」
(文象堂書店さん前の公園がその場所では?というのは松沢さんの仮説でした。)

「ちょっとわからないなぁ・・・。」

「お店はもともと通り(外苑西通り)の向こう側にあったからねぇ・・・。」

「昔は、四ツ谷四丁目当たりまで、色街だったんですか?」

「いやぁ、わかりませんねぇ・・・。」

このお父さんがウソや隠し事してる様子には、とても見えなかったのですが、過去地元にそういうお店があったという事実を隠してるってことありますかね・・・。

松沢さんからは、

「トルコ風呂という文字が煙突に書かれていたと思う。」

という情報もいただいており、そんな煙突があったら地元の人が知らないなんてことがあるだろうか。あの時、奥に奥さんらしい人もいらっしゃったので、言いたくなかったのか・・・。

一発でなにか手掛かりが得られるものと思っていたら、全くの空振りに終わってしまいました。

気を取り直して、すぐそばの旅館長良川へ。

いざ、入り口に入る。

自動ドアは開くと「ピンポーン」とチャイム音。

「ごめんくださーい」

しーーーーーん。

ドアが閉まると「ピンポーン」。

しばらくしてまたドアが開いて「ピンポーン」。

「ごめんくださーい」

しーーーーーん。

そんなこんなを繰り返すこと5分ほど。全く音沙汰無し。
不用心過ぎ・・・・。

旅館長良川はまた来よう。
残念ながら2ヶ所とも空振りに終わってしまいました。

落ち込みながら辺りを歩いていると、お年寄りを一生懸命探している自分に気づきました。

手当たり次第
「この辺にトルコ風呂があったの知ってますか?」
と聞きたい衝動に駆られました。

数時間後。
食事を取りに外に出た私は、とにかく短い時間で食を済まし、足は再び旅館長良川に向かっていました。

ちょうど、旅館から出てくるおばあさんを発見。

「スミマセン。この旅館の方でしょうか?」

「え?そうだけど・・・。」

何だかめちゃめちゃ警戒されている様子。

「ちょっとおうかがいしたいことがありまして・・・。」

「いやいや、私はここに泊まってる人だからね!」

なんだよ・・・。

「今、中に宿の方っていらっしゃいます?」

「いるよ。」

さて、気を取り直して、いざ、入り口に入る。

自動ドアが開き「ピンポーン」とチャイム音。

「ごめんくださーい」

反応はないが、奥で掃除機か何かの音が聞こえるので人がいるのは間違いない。

「ごめんくださーい」

大きな布袋に洗濯物を抱えた男性の姿が見えて、こちらに気がついてくれました。

年は50代半ばくらいだろうか。おそらく旅館のご主人ではないでしょうか。

「お忙しい中、申し訳ありません。今この辺りの昔のことを調べてまして・・・。」

「はい。」

いきなりこちらの聞きたいことから入るのも不自然だから、まずは相手のことを聞くことから。

「こちらの旅館の創業は?」

「えっとねー、昭和29年。」

「長いんですねぇ。場所はずっとここで?」

「うん、そうだよ。」

いざ、本題へ!

「ところで、この辺りにトルコ風呂が1軒だけあったということを聞いたのですが・・・。」

「あ、うんうん。あったよ。ホテル新御苑のとこ。水晶ビル。」

「水晶ビルとは、具体的にどこに当たりますか?」

「その通り(外苑西通り)の向こう。水晶ビル、M◯◯ビルだよ。地下にトルコ風呂があって、もともとはその上が料亭だったんだよ。」

「大きな煙突があったって聞いたのですが・・・。」

「うん、あったよ。かつてこの辺は色街だったから、その名残りだったんだろうけど。ある時期からは料亭はやらなくなって、お風呂だけになったんだよ。」

「経営者は一緒だったということですか?」

「うん。そうだと思う。」

「トルコ風呂はそこ1軒だったんですか?」

「うん。」

「お忍びで行くところだったと耳にしたのですが、そんな大きな煙突があって目立たなかったのですか?」

「だってあの辺ってそれ以外、ボロボロの家がたくさんあったくらいで、ホント何もなかったんだから。人通りも少なかったし。」

「ビートルズが来日した時、それこそお忍びで来たって話があるんですが・・・。」
(正確には「ビートルズのスタッフが来た」または「メンバーが来ようとした」です)

「うん、そんな感じだと思うよ。巨人の選手もよく来てたって話だし。」

「90年代まで営業してたって話もあるんですが・・・。」

「うん。そうかもね。今のビルが建つまで、最近までやってたんじゃないかなぁ。」

「お店の名前とか覚えてらっしゃいます?」

「いや、わかんないなぁ。」

さすがに忙しい中、長い時間付き合ってられないという感じで、少しずつ私に背を向けて奥に向かおうとされる様子が感じられたので、

「どうもありがとうございました!」

と深くお辞儀をしお礼をし、旅館長良川を後にしました。

だ、だ、大収穫でありました!

その足で、四谷四丁目交差点を右に曲がり外苑西通りを大木戸坂下方面へ下ると、すぐに左手に「ホテル新御苑」(おそらく松沢さんが「今は反対側の裏道にラブホがある」とおっしゃったのはここ)が見えます。


(ホテル前を左折後、外苑西通りに向かって撮影)

ここを左に曲がり、ホテル新御苑入り口の前を通り、細い通りを挟んだ隣りのビル、M◯◯ビルこそが、我らが探し求めていた場所のようです。一面ガラス張りの作りであることが、旅館長良川ご主人の言うところの「水晶ビル」ということだったのでしょう。

現在はシステム開発を手掛ける会社の自社ビルとなっており、ウェブサイトによると設立は、1977年で、「新社屋ビル竣工、本社を東京都新宿区四谷に移転」が1996年(平成8年)とあります。

(定礎には「平成八年十一月吉日」の文字がありました)

「90年代まで営業してた」という話に関しては、「90年代はじめまで営業していた」という可能性はありそうです。

そんなわけで、本日のヒアリングで見えたポールトルコのあった場所はおそらく特定が出来ました。


(画像クリックで拡大地図にリンクします)

gooに古地図と現在を照合させるサービスがあるのですが(goo地図>古地図)、昭和22年の航空写真では、正直何もわかりませんが、昭和33年の航空写真を見ると、確かに何か立派な建物があることがわかります。


昭和22年の航空写真(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)


昭和33年の航空写真(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)

ちなみに明治時代の古地図と照らし合わせると、この場所は「理性寺」というお寺だったとされます。


明治時代の古地図(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)

トルコ風呂と理性寺・・・なんともなんとも。

そんな訳で「裏・ビートルズ来日学」はまだまだ深掘りをしなければなりません。


・一体この店の名は?

・そんな規模のどんな店だったのか。

・地元の方はこの店のことをどう思っていたのか。

・煙突も写った当時の画像はないのか?

・90年代に廃業した経営者は今いずこへ?

・廃れる前のかつて花街であったこの一帯の様子とは?

興味は尽きません。

しかし、ポールよ。
もし当日11:00頃の脱出で目的を果たせたとして、当日のスケジュールは

 12:30 開場
 14:00 前座演奏スタート
 14:05 ビートルズホテルを出発
 15:00 ビートルズ演奏スタート

これで、トルコ風呂行行こうって無理がありはしませんか?
(私は行ったことないけど)

せめて夜の部が終わってからの方が、警備も手薄でよろしかったのでは?
・・・・いや、僕らは24歳のビートルのリビドーにどうこう難癖をつけるわけにはいかないのであります。

最後に。
「アンソロジー」(リットーミュージック)から来日時のことを語ったポール言葉を引用します。

ポール 僕らはずっとホテルに閉じ込められてて、その間、いろいろな業者がやってきては象牙やら何やらいろいろなみやげ物を見せてくれた。みんな東京へショッピングに行くのに、僕らはホテルから出られない。一度抜け出そうとしたら警官が追いかけてきたよ。何とか外に出た時も、東京の警官隊の半分を動員して僕らにつけるんだ。僕は皇居を見に行きたかったんだけど、警察はそのアイデアにあまり乗り気じゃなかったね。(P215)

コラ。うそつけwww!!

※※※※※

[追記]
「ビートルズ来日学」にあった協同企画の肥田勲氏の発言
「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあったの。周りは住宅街だから、お忍びで行くとこにはピッタリのとこ。」
と旅館長良川主人の証言は合致しましたが、松沢さんの記憶にあった外苑西通りを挟んだ、文象堂書店、旅館長良川側にも看板なり何か印象に残るものが合った可能性は高そうです。引き続き追いかけたいと思います。

[追記2]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その2

 

【ブラン道場破りシリーズ】7/9(土) 新宿ロックンロール以外は全部嘘に初出演!

次回生ブランは「道場破りシリーズ」。
新宿はロックンロール以外は全部嘘に7/9(土) 初出演!
ガレージ・ロック系のいいところが集う一夜。
もちろんブランはトップバッターぶちかまし。
どうぞよろしくお願いいたします。


2016年7月9日(土)新宿 ロックンロール以外は全部嘘

於:ロックンロール以外は全部嘘
東京都新宿区 歌舞伎町2-45 第2与三郎ビル
Tel.0422-22-4816
会場へのアクセス

open 19:30 / start 20:00
入場料 ¥1,600+1drink代

出演(出演順):
 ブラン
 Syd38
 仇花

※お問い合わせやチケットお取り置きのご連絡はこちらまで気軽に!

最近のライブ実績はこちらで

 

昨晩吉祥寺生ブラン開催報告と次回道場破りシリーズ告知

昨日は吉祥寺生ブラン。久しぶりのブラック&ブルーでした。
ご来場、ご声援心より感謝申し上げます。

出演/
New Scape Door
ブラン
三文芝居
the tracks
フリンヂ

ブランのセットリストは

1.憧れと幻想
2.タブー 
3.お山の大将
4.ないがしろ
5.ムード
6.アレとソレの関係
7.自戒ロック

でした。

次回は、道場破りシリーズ、新宿 ロックンロール以外は全部嘘に初出演で7月9日(土)!


2016年7月9日(土)新宿 ロックンロール以外は全部嘘

於:ロックンロール以外は全部嘘
東京都新宿区 歌舞伎町2-45 第2与三郎ビル
Tel.0422-22-4816
会場へのアクセス

open 19:30 / start 20:00
入場料 ¥1,600+1drink代

出演(出演順不同):
 ブラン
 Syd38
 仇花

※お問い合わせやチケットお取り置きのご連絡はこちらまで気軽に!

最近のライブ実績はこちらで

 

読後雑記:増井修「ロッキング・オン天国」

増井修「ロッキング・オン天国」(イースト・プレス)読了。

今や洋楽リーディング誌にして、派生音楽誌多数の出版事業を中心に、フェスになんだのイベント主催まで多角経営でぶいぶい言わせてる同社でありますが、私が「ロッキング・オン」をちょこちょこと買い始めたのは私が東北の片田舎の高校生だった80年代半ば。

表紙には中身を表したコピーライトなどひとつなく、表紙に載ったアーティストが誌面で全く触れられてないなんてこともホントにあった(それが意図的であったことも本書で触れられています)。

妙に熱量の高い難解な文章が多くて、全て読むのにはホントパワーが必要だった。他誌ではなかなか情報が得られなかった西新宿のブート屋の広告を見ることの方が実は楽しみだった気がします。当時はスミスもエコバニもよくわからなかったのです。

そんなムードが変わったのが、1989年のある時期。
毎号毎号「ストーン・ローゼズ」という名の、当時大人気だった「ガンズ・アンド・ローゼズ」のパクリか?パロディか?と思うようなバンドがプッシュされるようになりました。

「何かマンチェスターですごいことが起きてる!」
毎号「ロッキング・オン」のローゼズに関する記事をむさぼるように読み、地元のCD屋で数週間掛けてやっと1stを手に入れて、中毒のように何度も何度も繰り返し聴いたものです。

これが全て、「ロッキング・オン」の増井を中心とした煽りで、大いに我々は乗せられてしまったわけですが・・・何というか当時は、それが実に気持ちよく「ロッキング・オン」に煽られ乗せられ、でもそれが決してウソではない。
半ば新興宗教的でもあり、「ロッキング・オン」というメディアに対する発信者と受け手の奇跡的な信頼感があったような気がするのです。

事実、他の音楽誌でローゼスを始めとしたマンチェスター・ムーブメントを取り上げる記事を見たことはほとんどなかったのを覚えています。これを「ロッキング・オン」主導の煽りであったとは受け止めず、「他誌では、捉えることの出来ないバンドの素晴らしさを我々は享受しているのだ」と選民意識すらおぼえていたことは、まさに新興宗教的。
でもまぁ、そのくらいの熱量にヤラれていたものであります。

その後、マンチェシーンに、ライド、マイブラ、ダイナソーなどを核としながら、その他毎号「ニューカマー!」とフューチャーされるバンドにほとんどハズレがなかった(ように感じていたのは)のは、当時の私の感性の鋭さだったのか、「ロッキング・オン」教の素晴らしさだったのか。

そんな「ロッキング・オン」との蜜月は1992年くらいまで続いたでしょうか?
以降毎月買ってはいたけれど、半ば惰性になってしまったような気がします。
ニルバーナ、オアシス、ブラー大活躍の頃は結構冷めてしまっていたかも。

そんなわけで、本書は「ロッキング・オン」二代目編集長の増井修氏による、入社から雑誌の世の中の勢いと読者とともにグイグイ発展して行く様のドキュメンタリーであります。

あの頃のロキノンの熱量とワクワク感を味わった方は必読ではないでしょうか。もちろんそれがローゼズの時期ではなく、オアシスやブラーだった方にも。

 

【月曜夜の諦観と告知】そんな訳で週末土曜日に吉祥寺で生ブランがございます。

こんばんは。
日曜の夜の憂鬱と違って、月曜の夜は諦観とでも申しましょうか、明日はまだ火曜だし・・・とついついまた深酒してしまう感覚。嫌いじゃないです。

そんな訳で週末土曜日に吉祥寺で生ブランがございます。
フリンヂをはじめ対バンも楽しみです。ブランの出番は2番目の予定ですので、是非開演に合わせましてご来場いただきまして、ゆっくりお酒と音楽とおしゃべりでおくつろぎいただけましたら幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。


2016年6月18日(土)吉祥寺ブラック&ブルー

於:吉祥寺ブラック&ブルー
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-24-5ライトビル3F
(吉祥寺駅北口から徒歩5分)
Tel.0422-22-4816
会場へのアクセス

open 18:00 / start 18:30
入場料 ¥2,000+1drink代(500円程)

出演(出演順不同):
 ブラン
 フリンヂ
 the tracks
 New Scape Door
 三文芝居

※お問い合わせやチケットお取り置きのご連絡はこちらまで気軽に!

最近のライブ実績はこちらで