【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その13


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続きです。

正直、出来ればずっとこの古き良き四谷四丁目を追う旅に浸っていたい気持ちもあるのですが・・・・いやいや、そもそもこれは「【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史」であります。

50年前、1966年のビートルズの唯一の来日時、「ポールが行こうとしたがかなわなかったトルコ風呂」を追うお話です。

あまり、ズルズルやるとビートルズ側からも、ポール側からも、「もうウチらは関係ないじゃないか!」と怒られちゃいそうですね。

ではでは締めに向かって筆を進めてみます。
最終章のスタートです!

(「四谷四丁目風俗史」または「四谷大木戸風俗史」は別枠で続けて行きたいです。)

——– ◆ ——–

「うわっ!? こ、これは!?」

「はい。私の記憶と色々な方からお話を聞いて『大体こんな感じだったよなぁ』というのを描いてみました。」

いきなり私の目に飛び込んできたのは、このイラストでした。

「大木戸トルコ」という大きな袖看板。

入り口には地下に続く階段があると思われる手すり。

横に木戸があり、おそらく割烹「自慢荘」と思われる建物が・・・・。

四谷四丁目町会の小林様からも、「詳しく話を聞くならこの方」とご推薦をいただいていたのが、老舗料理屋「多満川」のご主人である柳谷治様。

「多満川」は、我々がその姿を追う今はなきトルコ「大木戸」の数軒先の距離で、現在まで長年料理屋を営んでいらっしゃいます。

位置関係を、「全住宅案内地図帳 昭和42年度版」(住宅協会地図部・1967年7月1日発行)で確認します。

(調査実施がおそらく1966年であっただろうと想定し、今回メインで使用する過去の地図は1967年のものとします。)

「多満川」のはっきりとした創業時期はわからないとのことですが、1936年の226事件の時には、四谷四丁目でお店を始めていて、戦後に今の場所に移って来たとのことです。

創業者であるお祖母様のお姉さんの代から、現在のご主人で4代目に当たり、今年57歳。
そのオープンなお人柄、饒舌な語り口、そして明らかにされるお話の内容にすっかり引き込まれてしまいました。

映画関係者とのゆかりも多く、「地獄の黙示録」製作中のコッポラが身を寄せ(作曲家の冨田勲氏に音楽担当の依頼をするのが目的だったそう。実現はしなかったそうですが。)、市川崑はなんと柳谷様の義理の父親とのこと。お店のロゴにもなっているイラストも市川崑の作です。

四谷四丁目町会ウェブサイトにある柳谷様のインタビューも実に面白いです。

実は・・・・。
6月末だったか7月初めだったか、お店に向かったことがありました。
外苑西通り(環状4号線)歩道から上り坂になっている階段からお店の中の様子をうかがったりとウロウロ・・・。

その日は、カウンターに女性客2人がいらっしゃって、さすがに一見の私が、カウンターに座っていきなり

「そこに昔あったトルコのこと教えて欲しい。」

とは聞けないよなぁ・・・と退散いたしました。

まずはきちんと本意を伝えてお時間を頂戴しよう。
柳谷様にお店のFBページを通じてメッセージを、そして同じ内容で封書の手紙を送らせていただきました。

今、見返したらA4で7枚の手紙・・・知らない人からこんな手紙が突然来たら普通不気味で引いちゃいますよね・・・。

しかし、しばらくして柳谷様からご連絡をいただき、快くお時間を取っていただけるとのお話をいただきました。

あの時の興奮と言ったらありませんでした。

それから数日、質問項目とその流れを組み立てた、ヒアリングシートを作っては書き直し、作っては書き直し、を何度か繰り返したことを覚えています。

ではでは。
柳谷様からおうかがいしたお話を整理して参ります。

この3週間取り組んできた試験問題の答え合わせをするかのような心境です。

まずは、トルコ「大木戸」と割烹「自慢荘」のあった場所の確認と、当時の辺りの雰囲気に関して。

——- 諸説あったのですが、かつてトルコ「大木戸」と割烹「自慢荘」があったのは、現在ガラス張りのビルのある場所で間違いないでしょうか?

[柳谷様] 間違いないです。

——- 1995年に両店が取り壊しになり、現在のビルが作られたと・・・。

[柳谷様] はい、間違いないです。

以前この回で、ウェブの匿名掲示板にあったトルコ「大木戸」に関する書き込みを見ながら、ゼンリン住宅地図の1995年〜1998年を検証し、

1996年版(1995年11月発刊)の地図で、すでに現在のビルの建設が始まっていることが確認出来るということは、

 「確か95年か96年の2月いっぱいで閉店」

の書き込みに関しては、1995年2月末で「大木戸」は閉店した。
と考えるのが自然ではないでしょうか?

と結論付けましたが、その裏付けが取れたということになります。

改めて、ゼンリン住宅地図の1995年版(1994年11月発行:おそらく調査時期は1993年〜1994年)と1996年版(1995年11月発行:おそらく調査時期は1994年〜1995年)を見てみましょう。


以下、ここからは「全住宅案内地図帳 昭和42年度版」(住宅協会地図部・1967年7月1日発行)を見ながら是非。

——- 1960年代半ばのこの辺りの雰囲気に関しておうかがいしたいのですが。この辺りは料亭や旅館が非常に多かったようですが・・・。

[柳谷様] そうですね。ご存知の通りこの辺りはかつて三業地(※1)と呼ばれていたところです。江戸時代は全部墓場だったんです(※2)。だからその後、三業地の許可がすぐ出たんじゃないかな。
その名残りもあって、(1960年代の地図を見ながら)多分この当時よりも、昔はもっと料亭や旅館が多かったはずです。

※1:三業地:料理屋,待合,芸妓屋の3業が集まって営業している地域の俗称。その営業には公安委員会(第2次大戦までは警察署)の許可が必要であることと,3者が合流して三業組合(同業組合の一種)を組織していることにより,三業地とよんで特殊地帯であることを表した。芸妓の斡旋や料金の決済などの事務処理のため,検番を置くことが多い。三業から待合の抜けた所では二業組合となり,そこを二業地という。花柳街とほぼ同義に用い,20世紀前半における市街地の主要な遊興地帯であった。(「世界大百科事典」第2版・平凡社より)

※2:「新宿文化絵図 重ね地図付き 新宿まち歩きガイド」(著・東京都新宿区 /出版社・新宿区地域文化部文化国際課/2007年刊)収録の明治時代の地図参照。長年この一帯には理性寺というお寺があり、かなりの広い敷地をお墓が占めていたことがわかる。

地図でご覧いただけるように、環状四号線(外苑西通り)を挟んでトルコ「大木戸」や多満川さん側には料亭が、反対側には旅館の多いこと多いこと。

また、地図だけでは、民家なのかお店なのかわからないところもあって、

[柳谷様] ここに(地図の多満川の斜め向かい側。地図上で赤丸で示す。)「弥生荘」というのがあって、やっぱり料亭をやっていたんです。後に旅館に商売を変えたんじゃなかったかな。

というお話なので、この辺りの料亭、旅館の数は1960年代半ばでも相当なものであったことが想像されます。

[柳谷様] この辺りは(多満川のあるブロックの環状四号線に沿ったところ。地図上で紫色の枠で示す。)、駄菓子屋さんがあって、ここに仕立屋さんがあって(仕立屋の位置を紫色の枠内、青丸で示す。)・・・でも実際のところ、この辺はあまり建物がなくて、人もあまり住んでいなかったですね。

そして、ここに廃棄物を集めてきて販売する、大きなバッタ屋さんがありました(紫色の枠内、緑枠で示す。地図がずれているため緑線で結ぶ。環状四号線からトルコ「大木戸」、料理屋「多満川」の間の路地までに至る大きな敷地だった。)。

あと「自慢荘」の向かい側は大きな駐車場だったんです(新宿駐車場・現IDCフロンティア)。

あと、お話を聞きに行かれた(旅館)「長良川」さんとか、(環状四号線の反対側の)あの辺りは有名な連れ込み街でした。

地図ではそうなってないけど、「新御苑」(現・ホテル新御苑)も60年代半ばには、もうここ(地図上のトルコ「大木戸」、割烹「自慢荘」の通りを挟んだ向かいに赤丸で示す。四谷4-48)に来ていたかも。
「新御苑」さんは、もともと環状四号線(外苑西通り)の向こうの連れ込み街側と、(場所は変わったのかもしれないけれど)こちら側の2軒同時に開業したそうです。

「長良川」さんも初めは2軒やってたそうです。
両旅館とも、ある同じ場所からここにいらしたそうです。

——- (なるほど。だから今も両店連名で看板を出しているのか・・・。)

[柳谷様] というのも、これははっきり覚えてるんですが、東京オリンピック(1964年)の時に都内のホテルが足りなくなっちゃって、「新御苑」にもいっぱいの外国人客が来て、(この辺りが)ちょっとしたブームになったんです。
新しいビルの「新御苑」には屋上にプールがあったんです。同級生の家がやっていたので、よく遊びに行きました。

——- (そんなアクシデント的な賑わいはあったけれど)基本は建物も人も少ない、静かな場所だったということですね。トルコ「大木戸」は「お忍びで行く感じだった」というお話を聞いたのですが・・・。

[柳谷様] 「新御苑」もそうだけど、当然見られちゃ困る人が来るわけだから、お互い見て見ぬふりをして・・・という感じはありましたよね。
(トルコ「大木戸」は)「(行ったことが)ばれないから。」「他のところに行くとばれるから。」っていうのがあったみたいですね。

そして、お忍びでトルコ「大木戸」に来てた芸能人、有名人の名前が次から次へと・・・これは、どこまで書いて大丈夫なんだろう。
後半に保留。

ただ、トルコ「大木戸」が、芸能人、文化人、芸能関係者にとって「ばれないから」「他のところに行くとばれるから」お忍びで出掛ける「知る人ぞ知る」場所であった様子は、よくわかりました。

そして質問は、ずっと気になっていたトルコ「大木戸」と割烹「自慢荘」、そして途中から登場した料亭「自慢本店」の関係へ。

[柳谷様] そこを随分知りたかったみたいですね。
実はですね、全部縁戚関係なんです。Aさんという、この辺りで相当すごい権力を持った方がいらっしゃって。

Aさんの3人のお子さんが、それぞれ「自慢本店」、「自慢荘」、そして近くにあった焼き鳥屋さんを経営していたんです。

あと、小さい待屋がたくさんあって、そこはほとんどAさんのお妾さんだった(正確には、お妾さんが経営していた?)んです。

Aさん、その息子さんと代々で、お妾さんがどんどん増えていって、彼女たちに小さい店を持たせる、小料理屋を持たせるというような感じで・・・そこにウチがぽつんとよそから来ちゃったんですよ。
この辺りのお店は、ほとんどAさんの親戚や関係のある人がやっていると思ってまず間違いないというような状態になっていました。

でも今は、ウチだけが残っているのかな。あとは全部なくなっちゃいましたから。

トルコ「大木戸」は「自慢荘」を任されたAさんの息子さんの、その息子がやっていましたね。

「自慢荘」の隣りのIさんも、やはりAさんの家系の親戚なのは間違いないそうです。「自慢荘」で仲居さんをやっていた人に電話で聞いてみたんで、多分間違いないと思います。

——- だから地図を見るとIさん宅と「自慢荘」が線で結ばれているんですね(*3)。

*3:株式会社ゼンリンにこの2つの建物を結ぶ線の意味を問合せてみたところ、一般に知られている「土地の所有者」のみを表すわけではないことがわかりました。以下同社カスタマーサポートセンターからの回答メールから。
「『所有者』と限定しているのではなく、敷地内の同一の建物を表現している『接続線』とご理解頂ければ幸いです。」
この回答が表していたことは、後ほど明らかにします。

一気に点が線に繋がってしまいました。
トルコ「大木戸」、割烹「自慢荘」、料亭「自慢本店」は、全てAさんというこの町の有力者の縁戚関係の方による経営だったのです。
そしてこの3店のみならず、この辺り一帯が、何らかAさんとの関わりを持った方によるお店であったとは。

次に、前回取り上げた「三都花街めぐり」(著・松川二郎/誠文堂文庫/1932年刊)の「四谷大木戸」に関しての記述部分を見ていただきました。


今一度引用します(P56)。

 ここに花街のできたのは大正十一年、当市街内では一番新しい花街であるが、そこへ丁度彼の震災で下町の花街が一時全滅の姿に陥った機に乗じて俄然膨張したしたもので、世の中は何が幸ひになるかわかったものではない。
  現在藝妓屋 三十軒。藝妓 九十名。待合 三六軒。
  料理店 三軒(自慢本店、同支店、みやこ鳥)

——- 戦前、1932年(昭和7年)に出た花街に関するガイド本に「四谷大木戸」に関してページが割かれています。この土地を代表する料理屋として「自慢本店」が挙げられているのです。しかも「同支店」との記載もあります。

[柳谷様] 「同支店」は「自慢荘」でしょうね。「自慢荘」は、ウチがここに来る(戦後)よりずっと前からあるわけだから、はっきりはわからないけれど、ひょっとしたら大正時代からあるんじゃないかと思います。

ふぅ・・・。
ひとまず、最終章第1回はここまでとさせて下さい。

続いて、

・トルコ「大木戸」と「自慢荘」の構造に関して
・トルコ「大木戸」の建物の造りに関して
・トルコ「大木戸」の中の様子に関して
・看板と煙突に関して
・トルコ「大木戸」は地下だったのか?半地下だったのか?

おうかがいしたお話をまとめて参ります。

最後に「多満川」ご主人、柳谷さんの素敵なお写真を。

貴重なお話、本当にありがとうございました。 (つづく/ 2016.7.24.12:40加筆と修正)


[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

 

【後日談】裏ビートルズ来日学:「太陽にほえろ!」ロケ写真検証

先日アップした「太陽にほえろ!」ロケ写真検証。

本文中、「もしや!?」と記させていただいた「四谷大木戸 藪蕎麦」前のシーンで壁に張り付いて撮影をじっと見ている白いシャツに半ズボンの少年が、写真提供者である若き日の四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人 小林氏であることが判明!

これまた35年越しの大発掘でありました。
写真差し替えと文末に追記をいたしました。

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その11

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その12


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続きです。

「四谷大木戸」の花街時代、三業地帯の頃のことを知りたいと調べていたら、1929年に誠文堂から発刊された「全国花街めぐり」(著・松川二郎)という本の復刻版がカストリ出版から復刻されていることを知りました。

案内文には、

昭和戦前期の花街ガイドブック!

■800ページ超180ヶ所の大著 全国の花街・遊廓・私娼窟を紹介
タイトルは「花街めぐり」としながらも、約120ヶ所の花街の他に、花街に近在する遊廓や私娼窟まで紹介。

とあり、目次を見ると「四谷大木戸」の地名の記載もあります。
取り急ぎ、国会図書館で原書の所蔵を確認し、四谷大木戸の掲載該当ページの複写申請を行いました。

他に、この松川二郎という人の著作の所蔵がないかと検索してみると、
国立国会図書館デジタルコレクションに、同じく誠文堂から1932年に「誠文堂文庫」のシリーズとして発刊された類似書または抜粋版と思われる「三都花街めぐり」という書籍を発見。

誠文堂は、現在も誠文堂新光社として、雑誌「天文ガイド」「子供の科学」といった科学誌や、ペット、園芸等趣味・実用書を得意とする老舗出版社。

この本の冒頭、誠文堂創始者小川菊松による「誠文堂文庫発刊の辞」にて

出版界に一エポックを◯した「誠文堂10銭文庫」全百冊の中には、売値は十銭でも、内容は一円二円のものに比して、些かも謙遜の名著作が多かった。

から、始まるこのシリーズの主旨が述べられています。

要は1冊10銭での出版はキツイので、「誠文堂10銭文庫」で好評だったものを増補したり、「野球入門」と「野球の見方」といった好評な類似本を合本して、新シリーズを立ち上げるという話(しかし、野球を「やる」ための本と「見る」方法を説いた本を合わせるのは、ちと乱暴すぎないか・・・)。
この本の初版時の定価は25銭とあります。

つまりこの本も、安価な実用ガイド本としての位置づけであるものを察せられます。

この著者である松川二郎という人も実にユニークな経歴の持ち主だったようで、著書をみると、

 ・一泊旅行土曜から日曜(東文堂, 1919)  
 ・四五日の旅 : 名所囘遊 (裳文閣, 1922)
 ・珍味を求めて舌が旅をする (日本評論社, 1924)
 ・療養本位温泉案内(三徳社, 1922)

など、旅行ガイド本が多数で、彼の経歴を追った「東西南北 : 和光大学総合文化研究所年報」(2005年)掲載の「資料・松川二郎」(著・奥須磨子)

によると、旅に限らず執筆のテーマのジャンルは多岐に渡るが、

(略)松川二郎こそ、わが国最初のプロの旅行作家といえようか。そして趣味の旅を普及させた功労者でもある」と評されたり、1980年代初めには「旅行ライターの先駆者」と位置づけられたりしている。 

とあります。

さて。
「三都花街めぐり」の目次を開くと東京、大阪、京都の花街が詳細に紹介されており、ここでも「四谷大木戸」にページが割かれています。

該当ページはP56から

 ここに花街のできたのは大正十一年、当市街内では一番新しい花街であるが、そこへ丁度彼の震災で下町の花街が一時全滅の姿に陥った機に乗じて俄然膨張したしたもので、世の中は何が幸ひになるかわかったものではない。
  現在藝妓屋 三十軒。藝妓 九十名。待合 三六軒。
  料理店 三軒(自慢本店、同支店、みやこ鳥)

え!?

じ、じまんほんてん!?
ど、どうしてん!?

何と1932年(昭和7年)のガイド本の「四谷大木戸」を代表する料理屋として「自慢本店」が挙げられているのです。しかも「同支店」もあるとの記載も。

他に、国会図書館デジタルコレクションを掘っていくと、日本の農民運動家で農林大臣も務めた政治家、平野力三の活動を追った「大原社会問題研究所雑誌・2009年(11月)(613)」(法政大学大原社会問題研究所)掲載の「平野力三の戦中・戦後(上) : 農民運動「右派」指導者の軌跡」(著・横関至)

に、1942年(昭和17年)の東条英機内閣による翼賛選挙で、平野は当選したが、同じく農民運動家で落選した須永好という人物と会合する話が載っていて、「須永好日記」から、

1942年6月25日には,「今日は平野力三君が大木戸の自慢屋本店に招待してくれたので上京。(以下略)」

という引用の記述があるのです(ノンブル P55)。

「自慢本店」は、戦前の花街「四谷大木戸」を代表する料理屋にして、政治家が歓談する場でもあった老舗だったということか!!

完っ全に「トルコ大木戸」と「割烹自慢荘」の関係ばかりに目が行ってしまって、大きな見落としがあったかもしれません。

「三都花街めぐり」記載の「自慢本店、同支店」の「同支店」こそ、「割烹自慢荘」だったのではないでしょうか?

でもでもしかし、支店にしてはあまりにも両店の距離が近すぎはしませんでしょうか?

そこで下記の推察をしてみました。

三業地帯だった四谷大木戸にて「自慢本店」は戦前からの老舗料理屋で、支店の「割烹自慢荘」は待合だった。

戦後、銀座に1951年(昭和26年)オープンし、トルコ風呂という存在を広く世に知らしめ、その後のトルコ風呂発展の礎となった「東京温泉」が活況を制したことで、トルコ風呂は、まず上野浅草に、そして新宿、五反田、渋谷、池袋などへと続々オープンした。

一方、1957年(昭和32年)の売春防止法の施行(この年は客引きなど一部の施行で、全面施行は翌年)で、青線赤線業者は業態変化を余儀なくされ、トルコ風呂の経営に乗り出す。

新宿2丁目の御苑寄りに「御苑トルコ」がオープンしたのが1959年(昭和34年)。元は新宿青線の「初夢」という店だったとされる。

「割烹自慢荘」もこの業態変化の波に押され、同じ敷地に「トルコ大木戸」を開業。
時代に乗ったトルコ風呂の繁盛で、「割烹自慢荘」は営業を停止する。


※参考資料〜「東京温泉」オープンから「御苑トルコ」オープンのくだり:別冊週刊サンケイ 1960年5月1日号「女千人に浴室八百 −トルコ風呂繁昌記−」、「東京温泉」に関して:「エロスの原風景」松沢呉一(ポット出版)

これは、あまりに乱暴すぎますでしょうか?

  →続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その13



[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その11


(title design/S.Takei)

続きです。

少し前にご紹介した、四谷四丁目町会 ホームページ委員会 小林辰充様(四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人)からご提供いただいた、「トルコ大木戸」と並んで建っていた「割烹 自慢荘」の入り口がはっきりと写る、1981年の「太陽にほえろ!」ロケ写真の検証報告です。

あれからすぐに「太陽にほえろ!」研究サイトを当たったり、管理人の方に問合せをしたりして、はじめは

「結構スムースに放送回を特定出来るのでは?」

という感触を持っておったのですが、しかしこれが実に難航。

ロッキーとドックの出演がかぶると思われるのは、第415話〜第519話。
1981年の放送は第439話〜第519話の内の全80話に絞られるだろうというところまでは行けたのですが、どうしてもその先が進まない。

「80話くらいなら見てやろうじゃないか。」

と思ったものの、「太陽にほえろ!」のDVDはレンタルに出ていないし、各種映像オンデマンド配信サービスにも乗ってない。

事実上、VAPから出ているDVDボックスで観るしか、「観たい時に観る」手段がないことがわかりました。

本DVDボックスの国会図書館での所蔵が確認出来たものの、1日に閲覧できるDVDの本数は3本。DVD1本に4話収録されているので、80タイトル見るためには・・・80÷4÷3=6あまり2・・・つまり7回も永田町に通わなければならない計算になります。

「だったらDVDボックス買っちまおうか。」
という衝動にも駆られたのですが、1981年放送分は2つの箱に分かれていて、全部買うと6万円超えです。
さすがにこれでは道楽の度が過ぎます。

「この検証に深入りするのはやめようか・・・。」

そんな思いにもなっていた中、「『太陽にほえろ!』当直室 仮設日誌」というサイトにぶつかりました。「ロケ地検索&メモ」というシリーズで、1話1話の感想とロケ地のメモが記載されているのです。

「これだ!!」
と、四谷四丁目が関係する回を検索し、おおよそ2〜3話を「確認優先順位の高い回」として当たりをつけました。

これなら1日に閲覧できるDVDの本数が3本の国会図書館に検証に行く価値ありです。

そして、少し相談に乗っていただいたFacebookページ「太陽にほえろ!」の管理人様(心より感謝申し上げます)より、

「当時、太陽にほえろは撮影自体4話掛け持ち撮影だったので衣装が同じという事で絞り込める。・・・という事が言えます。」

というアドバイスを頂戴しておりました。

つまり、最大3話の優先順位で、DVD1枚4話収録なので、前後の回も要確認で3本で12話見ることでより当たる確率が、高まるということですね。

—————————-

そんな訳で、いざ国会図書館へ。
DVD閲覧ブースで、ひたすら作品のストーリーはまったく追わず、「ここか!?」と思うところ以外は、早送りで画面を凝視します。

気になるシーンは何度もコマ送りや一時停止、巻き戻しを繰り返して、お店の名前や地名に関係する記載を探します。

当たり前の話ですが、ドラマの映像は人物を中心に追うので、背景に見たいものがあっても、なかなかピントを合わせてくれないし、寄って行ってくれない。

いやぁ、もどかしいこともどかしいこと。

3タイトル観るのに恐ろしく時間が掛かりました。

—————————-

さて・・・。そんなわけで、見つけました。

まずは、「太陽にほえろ! 1981 DVD-BOX II」収録の

第465話「裏の裏」(1981年7月10日放送)。

まず、ひとつ前の回、第464話収録の次週予告を見て、「ぴーーん!」と来ました。

ロケ写真と、ドック、ロッキーの衣装が完全に一致しているのです。

出てきたのはこんなシーンです。
(ホントは画面キャプチャでも載せたいところですが、さすがにそれは気が引けますし、そもそも国会図書館でキャプチャ撮るのは無理。・・・ということで、苦肉の策。法廷画風に(?)トレースしたイラストと文章での解説でご勘弁を。)

・・・少し遠目の位置からのカメラ。
小さな坂道を登って来るようにロッキーとドックが上半身から少しずつ姿を現す。

捜査に行き詰まる中、語りながら考えを巡らすドック。

左側の電柱の上部に看板がある。

筆文字で「◯◯本店」と読める。

そして「パーティー、◯◯(割烹?土鍋?)料理」の文字、電話番号は下4桁「(多分)3831」が確認出来る。
そして、お店の位置を示す赤い矢印は右側を示している。

「◯◯本店」の「本」の上のもう一文字を確認したい。
偏(へん)と旁(つくり)に分かれている漢字であることは確認出来る。
「自慢」の「慢」の「曼」に見えなくもないが、断定できず。

続いてドックは立ち止まり、語り続ける。

右手後方にガソリンスタンドの看板が。
いちじくを横にしたような青の太いライン、いちじくのお腹の部分に大きな赤丸のロゴ。

このロゴだ。


JX日鉱日石エネルギー 新しいENEOS誕生までのあゆみより

 

見覚えがあるロゴ・・・共同石油(現・JX日鉱日石エネルギー株式会社、石油事業ブランドは「ENEOS」)だ。

次にカメラは左側からドックのアップ。

背後は瓦屋根の日本家屋は2軒? 間に低い木の緑が見える。
瓦屋根越し後ろに白い高い建物が。縦長の窓に特徴がある。

続いてドックは、今カメラがいた左側の方向へ、腕組みをしながら移動をする。

左側の道の端には駐車禁止の標識が。

その辺りがゴミ集積場なのだろう。その標識にオレンジ色の板が括りつけられていて、手書きで

「指定日以外 ゴミを捨て(おそらく→)禁止」

の文字と下に白い矢印のようなものが貼られているのが、確認出来る。

そこからまっすぐ歩みを進めるドック。

「大木戸産業株式会社」と社名が書かれた少々汚れたブロック塀が。
そこから先は下り坂となっていて、車通りの多い大通りへとぶつかる。

「そうかわかったぞ!」と、捜査のひらめきを得るドック。
そして、大通りへ向かって坂を走って降りていく。

右手に「朝日屋」というお店の入り口の看板と、その先の電柱に大きく「大和通信建設」の文字が確認できる。

反対側から少々呆れ気味のロッキーの姿。背後には先程のゴミ集積場近くの道路標識と、2人が登場した時に見えた電柱が遠くに見える。

つまり、このシーンは一本のまっすぐの道で収録されたということがわかります。

—————————-

さぁ。ではでは答え合わせです!
では、1982年のゼンリン住宅地図を見てます。

そして、四谷四丁目町会 ホームページ委員会 小林辰充様(四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人)からご提供いただいたロケ写真を見てみましょう。

じゃじゃーーん!!

地図と写真から

・共同石油

・民家と割烹自慢荘、間の緑の木、後ろの特徴的な窓のある高い建物

・自慢荘の向かい側のゴミ集積場にある駐車禁止の標識と「指定日以外 ゴミを捨て(おそらく→)禁止」のオレンジ色の板

・外苑西通りに出る坂道の「大木戸産業株式会社」「朝日屋」「大木戸産業株式会社」

が一致することがわかります。

そして自慢本店の看板の真偽こそ判断できないけれど、矢印の方角は当たっています。

また、写真で見られるゴミ入れの缶に「朝日」と書かれてるのは何故!?
という疑問も「朝日屋」のものだったということで繋がりました。

完全ビンゴです。間違いないでしょう。

現在の風景はこちら。


※googleストリートビューで確認

後ろを振り返ると、右に「ENEOS」のガソリンスタンド、左に電柱・・・基本変わってないのにびっくり。


※googleストリートビューで確認

—————————-

さて。
続いて、四谷四丁目町会 ホームページ委員会 小林辰充様(四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人)の証言

確か、ウチの建物の上から旧サンミュージック前の人物に向かって犯人が狙撃するようなシーンも撮ったと思います。 
道端に撮影に使うための血糊の入った瓶が何本も並べてあったのを覚えています。

の検証です。

それは、続く

第466話「ひとりぼっちの死」(1981年7月17日放送)

ですぐに見つけることができました。

こんなシーンです。

四谷四丁目の交差点。
小林ビルの全景が映されます。

合わせて現在見えるこの景色を見てみましょう。



※googleストリートビューで確認

交差点角に長年あったガソリンスタンドから小林ビルまで、まったく高い建物がなかったのですね。

シェル石油の隣に、大きく3文字の筆文字の看板がある低い建物が見えます。
小林ビルは、ほぼほぼ、現在から姿を変えていないようですが、1階〜3階の外観は当時は白色だったのですね。
縦に通るエレベータ? 階段? 部分も白色で、現在の全体が黒い印象とは異なっています。

隣りの写真館のある4〜5階建ての建物は何ひとつ変わっていないことがわかります。

その写真館のある建物に付いているのか、その隣りなのかわかりませんが、塗料メーカー「ロック・ペイント」の看板が確認できます。

次にシーンは、小林ビルの屋上から。
交差点のサンミュージックのあった大木戸ビル方面を狙うライフルの先。
うん、そういえば、今は白っぽい建物だけれど、昔は確かにれんが色っぽかった。

大木戸ビルの新宿方面に向かった隣り、今宇宙村や、喫茶店、お蕎麦さんが並ぶ第1シンコウビルは、まだ建築前なのか廃墟のように見える。

そして、大木戸ビルの反対側の隣り、吉岡ビルの入り口がアップに。
この辺は、隣の文房具店といい、まったく変わってない。

吉岡ビルから出てきた男がライフルで狙撃される。

交差点の歩道は大混乱。

現在の風景はこちら。


※googleストリートビューで確認

ゴリさんは、ライフルを撃った場所を探しに動き始める。
横断歩道を四谷三丁目側へ渡る。

この辺も歩道に車が数台停まってたり、まだ全然栄えていない様子。

現在の風景はこちら。


※googleストリートビューで確認

そして、さらに横断歩道を渡り、ゴリさんは小林ビルへ。

1階の蕎麦屋の(四谷大木戸 藪蕎麦)の扉に手を掛けた時、怪しい男が四谷三丁目方面から歩いてくるのに気づく。

ゴリさん越しに画面いっぱいに映る「四谷大木戸 藪蕎麦」

怪しい男は新宿方面へ歩いて行く。

追いかけて声を掛けるゴリさん。
その後ろにずっと「四谷大木戸 藪蕎麦」の入り口が。

(この辺りは、撮影協力へのサービス・ショットだったのでしょうか?このシーンは「このお蕎麦やさんどこだろう?」と、実に気になる映し方をしているように感じました。)

そしてこのシーンで、隣の写真館のある白い建物の1階で、壁に張り付いて撮影をじっと見ている白いシャツに半ズボンの少年が確認出来ます。

これは、ひょっとして、あのロケ写真を撮った、のちの「四谷大木戸 藪蕎麦」主人、小林少年の姿でしょうか!? だとしたらすごい。

下の写真は現在の風景。

そして、ゴリさんは小林ビルの屋上へ。
交差点が外苑西通り側、靖国通り寄りに映しだされます。

「おっ!これは!」
と期待しましたが、「トルコ 大木戸」までは通り1本分届かず。

しかし、あの一帯は、古い建物、住居が密集しているように見えます。

四谷四丁目ロケはここまで。

ただその後、唐突に女性2人がお蕎麦やさんで食事をするシーンが入ります。これは、ひょっとして「四谷大木戸 藪蕎麦」の店内なのでしょうか?
壁に掛かった丸い額に入った海老が描かれた色紙が、印象に残ります。

ではでは、今回のロケエリアを1982年の地図で確認してみます。


(画像クリックで拡大地図にリンクします)

—————————-

そんなわけで・・・。
1981年の「太陽にほえろ!」ロケ写真の検証でした。

さすがに、金曜夜8時放送のドラマで「トルコ大木戸」を映像で捉えることはないだろうとは思っていましたが、35年前のあの辺りの雰囲気を目で見て感じることができてとてもわくわくしました。

—————————-

四谷四丁目をロケ地にした回はその他にもあって、あと今回確認できたのは、第529話「山さんの危険な賭け」(1981年7月17日放送)。

犯人グループ、響組のビル「響興産」として、建物の名前は架空のものになってるけど、住所がはっきり「四谷4丁目24番地」と書いてある。

調べてみたら、一時期毎日ランチで通ってた魚の美味しい料理屋さん「旬香」の入ってるとこじゃない。建物はなんにも変わってないのでは??


※googleストリートビューで確認

最後は、余談でした。
ではでは。

【追記・後日談】
本文中、「もしや!?」と記させていただいた「四谷大木戸 藪蕎麦」前のシーンで、隣の写真館のある白い建物1階で、壁に張り付いて撮影をじっと見ている白いシャツに半ズボンの少年に関して。
後日、四谷四丁目町会 ホームページ委員会 小林辰充様(四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人)にお問い合わせさせていただいたところ

写りこんでる子供、それはまさしく私ですね(汗) その直後にゴリさんと並んで写真を撮ってもらったんです。 
私が写ってるとは、本当にビックリしました。

とのお返事! これまた35年経っての大発掘でありました。(2016.7.19.追記)

  →続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その12



[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その10


(title design/S.Takei)

続きます。

前回、四谷四丁目ホームページ委員会 小林辰充様(四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人)からご提供いただいた1981年撮影のドラマ「太陽にほえろ!」のロケ写真をご紹介させていただきました。

ここに「トルコ 大木戸」と、手前と奥の並びで建っていたとされる「割烹 自慢荘」の看板と入り口がはっきりと確認出来ることに、衝撃と感動をおぼえ、それを私たちは共有しました。

さて。
この写真に関する小林様のコメントに

この時には自慢荘は経営はしていなかったと思います。

というものがあり、この点がどうにも引っ掛かっておりました。


今一度、住宅地図を確認して参ります。

これが1982年版。

そして1995年版(1994年11月発刊)。

1996年版(1995年11月発刊)で「割烹 自慢荘」「大木戸ソープランド」は建て壊され、新ビル建設に向けて動き始めます。

つまり地図上では、「大木戸」とともに建て壊される1995年ごろまで「割烹 自慢荘」は存在していることになっているのです。

過去ご紹介した、ホテル長良川のご主人の証言でも、

「ある時期からは料亭はやらなくなって、お風呂だけになったんだよ。」

というものがありました。

単に私が見ている地図が正確ではないということなのでしょうか?

ではでは。
ここで少し話を変えます。
新宿区歴史博物館様からお借りした写真の中からもう1枚ご紹介します。

新宿区歴史博物館の例のピンク色のファイルには

「S40〜45? 四谷4-25 大木戸会館前」

という説明書きがありました。

御覧ください。
右の方の電柱に「割烹 自慢本店」と書かれた看板が見えます。

「お、おっ!これは? 『割烹 自慢荘』の看板なのでは!?」

新宿区歴史博物館の閲覧室で思わず声を出してしまったことを覚えています。

この写真を四谷四丁目町会のみなさまにご覧になっていただいたところ、

恐らくそれは大木戸坂下の交差点を花園小学校東の信号側から撮ったものと思われます。
正面の高い建物は関口貨物があった関口ビルですね。
その先には靖国通りの富久町の歩道橋が見えます。

との証言をいただきました。
現在の地図を見てみます。

右下の赤丸が「トルコ 大木戸」「割烹 自慢荘」がかつてあった場所と「ほぼ」確定しているエリア。

赤い矢印が、今回の写真が撮られた場所と思われるところです。
現在の写真を掲載します。


(2016年6月30日撮影)

すっかり風景は、変わってしまっていて、かろうじて富久町の歩道橋が共通の景色として残っています。

では、「割烹 自慢本店」と書かれた看板に関しての四谷四丁目町会のみなさまの証言をご紹介します。

看板についてですが、「自慢本店」ですよね。
実はこれはまた別の小料理屋さんがあったのです。 
閉店したのは比較的最近(7、8年くらいか・・)なので、ネットにも情報はあると思いますよ。ここは「Uさん」という方がやっておられました。
自慢荘との関係は私共も分からないのです。
  [注:人名等一部修正しています。]

「割烹 自慢荘」とは別の店!?

「割烹 自慢荘」は「1980年代前半には営業していなかった。」という証言と合わせ、これは一体なんなんだろうかと早速、ウェブで「自慢本店」を検索してみました。

確かに「食べログ」に「このお店は現在閉店しております。」として情報が載っています。

ジャンルは「懐石・会席料理」。住所は「新宿区四谷4-25」とあります。評価や口コミは、(すでに消されてしまったのかもしれませんが・・)ともに0件。


1996年にBrewster Kahle氏によって設立された非営利法人インターネットアーカイブによる、過去のウェブサイトのデータを保存しているサービスWayback Machineで検索を掛けてみましたが、情報はゼロ。

やはり、足を使うしかなさそうです。

「食べログ」にあった住所「四谷4-25」に向かうと、煉瓦色といえばよいのでしょうか正方形のタイル貼りの外観が特徴のマンションがありました(上記地図の青丸の場所)。

入り口なのか裏口なのか、黒い鉄柵があります。

そして灰色の塀には、今は使われていないようですが、木で出来た独特の長方形の枠がある、埋め込み型の壁面照明が一定の感覚で付けられています。

ここにオレンジ色のあかりが灯されたなら、とても趣ある雰囲気になりそうです。

受ける印象としては「割烹 自慢本店」があったのはこの辺りと感じました。

早速隣りのビルの1階の中華料理店のご主人に話を聞きました。

「この隣に『自慢本店』という店があったと聞いたのですが・・・。」

「あー、はいはい。ありましたよ。10年くらい前にやめちゃったんじゃないかなぁ・・・。」

「その頃から建物は変わってますか?」

「いや、このまんまですよ。」

「その角を曲がったちょっと先に『割烹 自慢荘』というお店があったと思うのですが・・・。」

「ああ、『多満川』さんでしょ?」
(「多満川」さんも古くから営業されている老舗の小料理屋さんです。)

「いえ、もう少し先です。」

「うーん。あったような気もするけど・・・。私もここはそんな長いわけじゃないから・・・。」

「食べログ」は株式会社カカクコムが、2005年にサービスを開始したグルメサイトであります。(株式会社カカクコムウェブサイト「カカクコムの歩み」より)

「自慢本店」の情報が、「食べログ」に掲載されているということは、少なくとも2005年・・・サイト立ち上げまでの準備期間中を鑑みても2003〜4年くらいまでは営業されていたと考えるのが自然ではないでしょうか?

今一度、新宿区歴史博物館所蔵の看板の写真に話題を戻しますと、撮影時期は「S40〜45?」とありました。

1960年代はじめから半ばには「自慢本店」は「割烹 自慢荘」の数十メートル離れたすぐ近くで営業していたことが想定されるのです。

ここまでの疑問点を整理します。


・「1980年代はじめには営業していなかった」とされる「割烹 自慢荘」は、何故最後まで地図上に名前を残していたのでしょうか?

・「自慢本店」と「割烹 自慢荘」の関係は?

 -「割烹 自慢荘」を閉めて「自慢本店」を新たに営業したのでしょうか?

 -系列店として2店舗並行して営業されていた時期があるのでしょうか?

 -もしくは同じ屋号を巡ってシノギを削ったライバル店だったのでしょうか?「元祖◯◯◯」「本家◯◯◯」いった感じで。かつての「ほっかほっか亭」と「ほっかほか亭」の争いのように。

嗚呼、今すぐお墓の前に行って、マル・エヴァンスに聞きたい!
共同企画の中村実さんに聞きたい!

あなた達が「トルコ 大木戸」に行った時、「割烹 自慢荘」は営業していたのですか?

  →続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その11



[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

 

【生ブラン開催報告】新宿 ロックンロール以外は全部嘘 初出演


ご来場、ご声援心より感謝申し上げます。
2016年7月9日(土)、常々噂をおうかがいしておりました新宿のロック・バー「ロックンロール以外は全部嘘」に初出演させていただきました。

暗めの赤を貴重にした、居心地よい空間。

是非また出演させていただきたいです。

ブランのセットリストは

 1.憧れと幻想
 2.ないがしろ
 3.ムード
 4.アレとソレの関係
 5.自戒ロック
 6.コントロール操作

でした。

会場:ロックンロール以外は全部嘘

出演:
 ブラン
 Syd38
 仇花




(フライヤーデザイン:ブラン竹井メンバー)



※過去のライブ実績はこちらにて。

 

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その9


(title design/S.Takei)

続きです。

再び、四谷四丁目町会様からご提供いただいた貴重な資料のご紹介です。

この3枚の写真は、四谷四丁目ホームページ委員会 小林辰充様(四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人)が幼少の頃、1981年に撮影した、ドラマ「太陽にほえろ!」(製作・著作:東宝株式会社/制作:日本テレビ)のロケ写真とのこと。

(当然俳優さんの肖像権等ございますので、人物はぼかす処理をさせていただきました。画像処理:ブラン竹井メンバー)




お、おおお!

初めてこの写真を受け取った時、衝撃と震えをおぼえました。

御覧ください。

はっきりと「割烹 自慢荘」の看板、入り口が確認出来るではありませんか!

ゼンリンの住宅地図 新宿区 1982年(日本住宅地図出版株式会社 発行)と合わせて見ていきましょう。

では。
小林様からの証言をご紹介します。

ドラマのロケは、どの回かは定かではありませんが、放送された筈です。
確か、ウチの建物の上から旧サンミュージック前の人物に向かって犯人が狙撃するようなシーンも撮ったと思います。 
道端に撮影に使うための血糊の入った瓶が何本も並べてあったのを覚えています。

この時には自慢荘は経営はしていなかったと思います。

  [筆者注]この証言に関しましては、次回以降で詳しく考察するつもりです。

つまり、このロケで撮影された「太陽にほえろ!」の回には、1981年同時の「割烹 自慢荘」前と周辺・・・つまりひょっとして「トルコ 大木戸」が映り込んでいる可能性もある映像、そして、狙撃シーンでは、地図の右下「C」の記号の下辺りの新宿通り沿いの四谷大木戸 藪蕎麦のあるビルの屋上(?)から、四谷四丁目交差点の元サンミュージックのあった大木戸ビルに向かっての、高所からの撮影映像が放映されている可能性があるということです。

煙突も見れる? 高所からの「トルコ 大木戸」も見れる?

これはなんとしても観てみたい!

しかし、「太陽にほえろ!」は、1972年7月21日から1986年11月14日まで、全718回放送された長寿人気刑事ドラマ。

果たして放送回を特定することは出来るのでしょうか?

そこで、ロケ写真に写っているロッキー(木之元亮)とドック(神田正輝)の出演回を、1998年から運営されている老舗サイト「太陽にほえろ!ファンサイト」で確認しました(本サイト掲載情報の詳細なウラは取ってませんよ)。

ロッキー(木之元亮)は、1977年6月17日放送の「第256話 ロッキー刑事登場!」から1982年8月20日放送の「第519話 岩城刑事ロッキーにて殉職」まで出演。

ドック(神田正輝)は、1980年7月18日放送の「第415話 ドクター刑事登場!」から
1986年10月10日放送 「第713話 エスパー少女・愛」まで出演とあります(最終回 第718話まで出演との説もあり)。

つまり、ロッキーとドックの出演がかぶると思われるのは、第415話〜第519話

1981年の放送は1月9日放送の「第439話 ボスの告発」以降ですので、第439話〜第519話の内の全80話に絞られるものと考えられます。

「太陽にほえろ!」の一部欠番をのぞく全タイトルはVAPからDVDボックスにてリリースされており、国会図書館の所蔵も確認が取れています。

また、CSのチャンネル「ファミリー劇場」で、「太陽にほえろ! HDリマスター版」として放送を続けています。

そして、千葉テレビでもかつての日本テレビでの放送時間と同じ、金曜20:00から再放送を行っているようです。

「国会図書館に80話見に行くことは、いとわないけれど、もう少し特定ができないものだろうか・・・?」

と、数日前、Facebookページ「太陽にほえろ!」の管理人様にロケ画像(取り扱い注意のご了承をいただいております)とともに、放送回が特定出来ないものかと、相談メッセージをお送りさせていただきました。

そして・・・。

「現在出先なので、帰ってみないとなんとも言えませんが・・・。」

と前置きがありながら、

「第◯話のタイトル『◯◯◯』っぽいですね。ゲストが◯◯◯さんの」

と回答が!!

しかし、一体なんでこれだけでスパっとわかるのでしょうか。

さすがは餅は餅屋です。

感動してしましました。

そんなわけで、現在続報を待っている状況であります。

つ、ついに私たちは、1980年代の活き活きとした四谷四丁目の映像を目にすることが出来るかもしれないのです。

そしてそこに、私たちがこれまで探し求めてきた「トルコ大木戸」の映像が確認出来るのかもしれないのです。

いやぁ、興奮します!
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
いやいや、過剰な期待は失望の母。
・・・冷静に、冷静に。。

→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その10



[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)

 

【今夜!最後のお願い】生ブラン:新宿ロックンロール以外は全部嘘初出演

今夜7月9日(土)です!ブランは新宿ロックンロール以外は全部嘘に 初出演させていただきます。

ブランの出番は20:00トップ。実にバンドはいい状態。対バンも充実!
何卒よろしくお願いいたします。

詳細下記です。


2016年7月9日(土)新宿 ロックンロール以外は全部嘘

於:ロックンロール以外は全部嘘
東京都新宿区 歌舞伎町2-45 第2与三郎ビル
Tel.0422-22-4816
会場へのアクセス

open 19:30 / start 20:00
入場料 ¥1,600+1drink代

出演(出演順):
 ブラン
 Syd38
 仇花

※お問い合わせやチケットお取り置きのご連絡はこちらまで気軽に!

最近のライブ実績はこちらで

 

雑感:早稲田大学大隈記念大講堂「新宿 1968―69」

早稲田大学大隈記念大講堂で開催の「新宿 1968―69 ドキュメンタリー/ハプニング/ジャズ」。
無理して行ってよかった。

破壊的なまでに面白かった。

まずは映像3本を上映。
おそらく来場者の多くの方のメインディシュだった田原総一朗が東京12チャンネル(現 テレビ東京)のディレクター時代に制作した山下洋輔を追ったドキュメンタリー「バリケードの中のジャズ」(1969年)のノーカット版。


(本編の一部)

続いて、(権利等諸々の関係で)事前告知がなかった1968年、同じく田原がディレクターの「青春ドキュメンタリー」から新宿のフーテン族を追った「新宿ラリパッパ」。

そして、最後は1968年、日本テレビで放送された「木島則夫ハプニングショー」第1回放送から一部分15分ほど。この番組は当日、新聞広告で「今夜10時半に新宿コマ劇場前で生放送番組をやる」と告知し、実際の放送時には集まった若者の大群衆にもみくちゃにされて、パニック状態で番組は進んでいく。

休憩を挟んで、これも事前に知らなかった山下洋輔のミニライブ。「バリケードの中のジャズ」で大隈記念講堂からピアノが学生運動家達に、自分たちとは対立する勢力の拠点に運ばれて山下洋輔トリオのライブが行われるわけだが、

「大隈記念講堂のピアノを山下洋輔が、今目の前で弾いている」

のを目撃しているということがまたすごい。

(実際は当時のピアノから新しくかわってしまっているそうだが・・・)

そして、最後は、田原総一朗、山下洋輔、テレビ東京プロデューサー五箇公貴、今年から早稲田で教鞭もとっているという宮沢章夫らによるのディスカッション。

「新宿ラリパッパ」と「木島則夫ハプニングショー」が、実は裏表の関係であって、「ハプニングショー」で、街灯のようなものに昇って、群集の「今どきの理解できない若者」の象徴として何度も映される若者は、「新宿ラリパッパ」撮影中だった田原がフーテンの若者をけしかけたものだった、というテレビ東京のゲリラ魂を感じさせるエピソードも。

「ドキュメンタリーは全部ヤラセ」
と繰り返す田原は、次から次へと生々しいエピソードを語る。

初めは半分虚なんだけれど、カメラと田原が追い詰める内に、本人が変わり、環境が変化し、時に世間の反応までも変わり、それが真実になってしまう様の面白さ。

プロレス的視点で面白がっていたらガチンコになって、気がつけば真剣に引き込まれてしまっていた。そんな感覚。

「ゆきゆきて、神軍」の原一男は田原の息が掛かってたのね。

「A」や「FAKE」の森達也も田原イズムの継承者だよな。

田原総一朗の東京12チャンネル時代のドキュメンタリー、ちゃんと観なきゃ。

いやぁ、実に面白かった。

 

【こっちが本業!いよいよ今度の土曜!】次回生ブランは「ロックンロール以外は全部嘘」初出演!

さて! こちらが本業ですぜ。

次回生ブランは今度の土曜日、7月9日(土)に新宿はロックンロール以外は全部嘘に 初出演させていただきます。

題して「道場破りシリーズ」!
ブランの出番はトップですので、是非開演に合わせましてご来場いただきまして、ゆっくりお酒と音楽とおしゃべりでおくつろぎいただけましたら幸いです。

実にバンドはいい状態ですよ。

対バンも充実!
何卒よろしくお願いいたします。

詳細下記です。


2016年7月9日(土)新宿 ロックンロール以外は全部嘘

於:ロックンロール以外は全部嘘
東京都新宿区 歌舞伎町2-45 第2与三郎ビル
Tel.0422-22-4816
会場へのアクセス

open 19:30 / start 20:00
入場料 ¥1,600+1drink代

出演(出演順):
 ブラン
 Syd38
 仇花

※お問い合わせやチケットお取り置きのご連絡はこちらまで気軽に!

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