■龍光のことは故意に隠されていた?
今にして思うと大変不思議なのだけれど、
「引田天功より偉かった」
「笑点によく出ていた」
「天皇の前で手品をしたこともある」
ほどの人が父親の伯父、つまり祖母の兄弟に当たるというのに、生前祖母からはもとより、父親以外の身内の口から龍光のことをほとんど耳にした記憶がないのです。
私自身、リアルタイムで活躍を見ていないだけに深い関心を持っていなかったことも事実なのだけれど、引田天功より偉かったんでしょ?笑点によく出てたんでしょ?天皇の前で芸を披露したことがあるんでしょ?
しかも私が生まれ育ったのは、福島県会津若松市というは東北の云ってみれば田舎[※5]。そりゃあもう自慢の叔父さんで、ことある毎に話題に上がっても良いはずです。「もういいよ。その話、100万回聞いたよ」ってことになってもおかしくないのです。
そんなアダチ龍光という人物のことを、私はすっかり忘れておったのですが、いつでしたか、ふと検索エンジンに龍光の名を入力したことがありました。一体何故そんなキーワードが思いついたのか、よく分からないのですが・・・。
すると簡単なプロフィールや出演した番組、龍光に触れた書籍、芸人が語る思い出話など数十件のヒットがありました[※6]。
何とはなしに始めた暇つぶし行為に気が付いたら夢中になっていたというのはよくある話。父親から耳にしていた話の周辺や、決して耳にすることがなかった当時の活躍が、それぞれは点の情報に過ぎないのだけれどちらりちらりと見えて来て、面白いったらありゃしない。
立川談志が龍光に非常に可愛がられていたという話。自身のCDボックス「席亭 立川談志のゆめの寄席」(竹書房)に「立川談志の「アダチ龍光」解説」、龍光自身の漫談か何かでしょうか「アダチ龍光/僕の人生」、そして対談を収録しています。
また桂平治という落語家が幼い頃の寄席通いの思い出を語った「桂平治後援会会報2号」[※7]では、
今でも記憶にありますのは、奇術のアダチ竜光さんです。随分お爺さんに見えましたけれど、今思い返してみるとそうでも無かったのでしょう。ポツリポツリと話しながら見せる奇術は、とても楽しいものでした。奇術は、うまく騙される所が身上で拍手は多いけれども、笑いは其れ程とれるものではありません。
でも竜光センセイの芸は、爆笑が必ず有りました。身体は横を向いていて奇術の道具を手に携え、顔だけは舞台の方にあって説明している姿が今でも脳裏にに焼き付いています。
とあります。また、笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎の人気番組「パペポTV」[※8]トークを集めたとあるサイトでは、1971年(昭和46年)の天覧奇術(後述)に触れ、
龍「この頃、奇術とか大流行りでしょ。マリックさんを筆頭に。でも昔のアダチ竜光さんの奇術は凄かったよ。
けどあの人の場合奇術がどうとかテクニックが上手いとかじゃなくて、そこに滲み出てくる喋りによる人間性ね。あの昭和天皇の前で奇術をやったことがあるんですって。」
鶴「緊張するやろなあ〜。」
龍「ところがあの人のこっちゃからあんまり緊張せえへんねん。ほぼ同年代やったから。で、みんなの前で奇術していって、右と左のどっちに入ってるかってやつね。」
鶴「天皇陛下にどっちに入ってるかって聞くの?」
龍「ところが我々一般人が天皇陛下と直接口を利くのは本来違反なんや。」
鶴「違反や、んなもん!」
龍「ところがアダチさん、そんなこと知らんがな。『はい、どっちですか、陛下?』そしたら『右、右、右!』って。」
鶴「わー、嬉しいなあ。天皇も〜!」
龍「さあ、そこでや!ここはひとつ『その通り!』と言って開けるべきか?アダチさん、一瞬迷ったんや。けど、えーいと思って、『残念でした〜』って。」
とあります。
そしてそして龍光の弟子アサダ二世[※9]氏のプロフィール[※10]に
故アダチ龍光師の弟子。それを受け継ぎ、おしゃべりマジックを得意とする
とあるように、派手な手品を見せるタイプではなくて、天皇にお呼ばれされる位だからもちろん技術そのものは優れていたのだろうけれど、どちらかというとオーソドックスなネタを、(祖母の兄弟ということは)新潟訛りで朴訥なしゃべりで笑わせながら魅せるというタイプだったようです。こちらも大好きだったマギー司郎[※11]の姿とだんだんだぶって来て、親しみがどんどん沸いてくるのです。
父親から聞いていた、日本奇術協会[※12]の会長を務めていたという話もTV@niftyが提供する「有名人辞典」[※13](後述)で事実だとわかりました。昭和41年から務め昭和48年から永久会長となったそうです[※14]。後に引田天功が同協会会長を務めたということで「龍光さんは引田天功より偉い」の論拠はここから来ているものと思われます。
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引用文中「龍光」「竜光」と表記を統一しておりません。原文ママです。
[※5]
福島県会津若松市(赤丸)
白虎隊、鶴ヶ城、野口英世出生の地などで知られる観光地。
人口 116,856人(2003年6月現在)
[※6]
googleでの
検索件数(2003年7月)
アダチ龍光 92件
アダチ竜光 31件
[※7]
桂平治後援会会報2号
[※8]
笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が1時間ひたすらトークするシンプルな作りが人気だった深夜番組。日本テレビ、読売テレビ系で1987年から1998年まで計549回放送。
[※9]
日本奇術協会監事(2003年8月現在)。落語協会の寄席を中心に活躍中。
「笑芸人vol.7」(02年7月刊/白夜書房)に「我が恩師、アダチ龍光を語る」を寄稿。作家の阿佐田哲也の弟でもある。

[※10]
アサダ二世のプロフィール
[※11]
1946年生まれ。茨城県出身。
「お笑いスター誕生」(日本テレビ系で1980年から1986年まで放送された公開お笑いオーディション番組。B&B、おぼんこぼん、とんねるず、ウッチャンナンチャンなどを輩出)で、ギャグのセンスにあふれる新しいタイプのマジシャンとして注目された。
昭和56年、57年放送演芸大賞ホープ賞連続受賞、平成9年 奇術協会天洋賞受賞。
「埼玉県の越谷って駅知ってる?その駅前の商店街にクリーニング屋があるんですけどね。そこのたまみちゃんって女の子に評判良かった手品なんですけどね。」
などと、地域を盛り込んだ枕で手品とは思えない手品を披露するスタイルは今も健在。マギー審司の師匠。
近年テレビやライブでMr.マリックと共演する機会を多く目にすると、長年確執が続いたと伝え聞く日本奇術協会とMr.マリックの和解の模様が伺い知れて感慨深い。
小学生時代に買った著書「手と口で笑わせるタネ本 爆笑ギャグマジック」(1982年・KKベストセラーズ刊)は、いまだ手放せません。
[※12]
プロマシシャン(職業奇術家)の団体として、昭和11年に「日本奇術協会」として発足。平成5年に文化庁認可もと公益法人化。
公式サイト:http://www.jpma.net/
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