2000年9月1日-3日 大阪訪問記
2000年9月1日-3日/ブラン大阪訪問記2000
■9/1ギューン夏祭り@十三ファンダンゴ
(共演:MUSIC START AGAINST YOUNG ASSALUT、SONIA、INDIAN NO ECHO SING BY NO)
行って参りました2年ぶりのブラン大阪遠征。
念願だったギューン夏祭り@十三ファンダンゴ初日の出演。こいつは盛り上がらないわけには行かない。ギューン陰の帝王(?)スパローズスクーター黒瀬さんからbaのメグに連絡が入り、私から「喜んで行かせていただきます」とお伝えさせていただいたのが6月25日。もうそれから落ち着かないったらありゃしない。落ち着かないのだけれど私的にもゴタゴタバタバタ、面白可笑しくも慌ただしい日々が続き、そんな喜びに浸る間もあまりなく「ギューン夏祭りが近づく、ギューン夏祭りが近づく」と寝る前になるときまって気持ちが焦り出す、そんな日々が続き、そんなこんなで8月も終わりとなった訳でございまして。
年頭に「2000年は爆裂活動」と私が勝手に宣言したブランでありました。
98年6月の大阪遠征後、メグの大阪武者修行や10月の変則メンバーでのライブ、メンバーの脱退とバタバタ続きで「もういい、1人でやる!」だの「別バンドを作る」だの音楽活動としてはさっぱり腰が据わらない時期が少々続きました。断片的な曲を作ってつたない宅録に興じ、可幸月貝名義で「fragment」(TORCD-1)をまとめたのが1999年の始め。唄っているテーマに類似点はあれど、全く外へ向かおうとしない楽曲群・・・このままじゃまずいわなぁと考えることしばし。気が付いたら前回の大阪遠征から1年が経ってしまいました。
そうこうしている内にメグが大阪から戻り、「ブランどうしようか」何てことを話すこと数ヶ月、その後真夜中にチャットをしている内に「ひとまずヘルプとして遊んでみよう」と学生時代の先輩のクリがドラムで参加と偶然が重なりながらブランは地味ながら再始動と相成りました。
そいつが99年の7月。当初は慣れないもの同士戸惑いながら根気強くリハビリを続け、2000年頭には「これは行ける!」と新生ブランに確信を覚えたわけでありました。安心と信用が芽生えてからは過去の楽曲のリニューアルだけではなく、あんなに作るのに苦労してた新曲もポンポン出てくるし「さあデモテ作ろう」「さあライブでお披露目だ」と盛り上がる一方でございました(私の中だけだったりして・・・)。個人的には演奏と唄に自信を持ちだした(っつったって大したもんじやござんせんが)のもこの時期です。「今度こそ本物だ。ゆっくり焦らずバンド内のこの関係を保ちつつ、更なる発展を」そんなことをいつも考えていたように記憶しております。いつの間にかリハビリが次第に再始動に向けてのリハーサルへと変わっていったのです。
そんなこんなでリハ毎にこまめに一発録り録音を行いデモCDを作成、20000V店長兼キリヒトのハヤカワ氏、ギューンスハラさんを筆頭に再始動宣言がてらばらまき出したのが2000年3月から4月に掛けて。遁レコサイトでは地味ながらリハビリ経過をお伝えしておりましたが、やっと遂に新生ブランが外へと向かいだしました。
5月3日にホームグラウンド高円寺20000Vで再始動一発目のライブ。その興奮醒めやらぬ内に9/1大阪公演のお誘い、しかも念願のギューン夏祭り!そしてもう一発8月6日に20000V公演。平行して相変わらず寡作ではありながら新曲が増える・・・誠にいい感じであります。とにかくとにかく4月だかに勝手に叫ばせていただいた「ブラン2000年は爆裂活動宣言」が具体的な形となり始めたのです。
前置きか長すぎです。
しかしかしとにかく前回の大阪遠征からのブランの2年間はこんな状況でありました。
情けなくもあり、偶然もあり、友情ドラマもあり(?)、熱き努力もあり・・・うーん素敵。
前置きついでにもうひとつ。
この2年間で状況が最も大きく変化した点といえばインターネット環境がホント一般に普及したってこと。知人やメンバー間の連絡がほとんどメールで済むようになったなんてことはもちろん、ブランのお知らせに遁レコサイトが大変効果的に働くようになった気がいたします。私のバカな文章やブランのお知らせや音源を興味を持った人が読み聴き、私にアクションをしてくれる・・・3?4年前だったら「そのはずだったんだが・・・」とインターネット幻想に幻滅していたところでありますが、それが現実のものとなったことを実感しております。
他サイトとの輪も広がりネット上の出会いをきっかけに深い友人となったり、ブラン、遁レコを好きになっていただいたり、この1年でネット上をきっかけに親しくさせていただくようになった方々は数知れません。それは年齢の差も距離さえも超えたもので、大きな宝であり、音楽活動の励みと刺激になっております。
そんなわけでそんなわけで本題へ。
今回のブラン大阪遠征は、演奏当日の9月1日朝7:05の飛行機で出発。
ブランメンバーとは6:30に空港で待ち合わせ。私の予定では4:00に起きてメシ食って自宅からは5:02の始発電車に乗る予定であったのだけど、前日何だかんだの準備バタバタ、結局寝たのは1:30過ぎ。そんでそんでパッと起きたら5:00ちょい前!目覚ましのアラームは間違いなく3:50を指しとるが、し?ん。黙ってもらってちゃ意味はなし。・・・つぅか黙らせた犯人はひとりしかいないのだけれど。
そんなわけで、ガー、バーとしょっぱなから慌ただしく駅へ向かい5:20の2番電車に。空港の待ち合わせ場所には6:45着でほっと一息。
メグ、クリはブーイング。
・・・さぁいよいよ始まるでよ!
「さぁ、いざ大阪へ!」
などと気合いをこめてる暇もなく、ぱっとひと飛び1時間、8時半前には大阪伊丹空港着。空港からバスで難波へと移動。
道中、交通事故による大渋滞。さすがに眠気がおそってきてうとうと。
予定所要時間の倍の1時間を掛けて9時半過ぎに難波着。眠気の次は腹のへりがおそってくるが、楽器だなんだ荷物がうざったいと何はともあれひとまずアメ村のスタジオパズルに向かうことにする。
地下鉄乗って1駅、心斎橋から歩いて5分ほどでスタジオパズルに到着。
「嗚呼、また音楽で大阪に来れたんだ」と感慨ひとしお。
私にとっては、全く持って関西ロック界の聖地ですな、ここは。
受付にいらっしゃったオカオさん(お名前は後から伺いました。ナイスフェロー、ミニマム等でご活躍。ミニマムは「Childish Soup2000」で聴かせていただいております)に「ブランですー」とご挨拶。あらかじめ宅急便でお送りさせていただいていた荷物を確認し、その他諸々を預かっていただき、さぁいざ朝食へ。
何だかんだと希望が出るが、若人の街アメ村の10時そこらの平日。しかも夏休み明けの9月1日と来りゃ開いている店も少なけりゃ、人通りも少ない。
そんなわけで、ビジネスホテルのレストランで800円のモーニングを食す。コーヒー飲んでほっと一息。てな内に11時。さてさてパズルに戻って最終リハ。
細かいことは気にせず演奏曲を一周軽く確認して切り上げる。途中スタジオのクーラーの使い方がわからず、オカオさんにお手数お掛けして快く応じていただいたことにお詫びと感謝を。「暑い、暑い!」云いながら必死こいて「除湿」していたみたい。
というわけで1時となり、スタジオ代を支払いご挨拶して、パズルを後に(結局3日間とも顔を出すことになったのだけれど)。荷物がたまらん状況なので、パズル前にてタクシーを拾う。一度ホテルに荷物を預けてという話も出るが、 お客さんの立場でもあるわけで、2時入りと云われておったのだけれど、早いことに越したこと無しとひとまずファンダンゴのある十三へ。
道中、運転手の方に「ファンダンゴへ」といっても案の定伝わらず、こんなこともあろうかと前日ファンダンゴのサイトhttp://fandango-go.com/jp/jindex.htm からプリントアウトして来た(そんなコトしてたから寝坊するとの話あり)地図を示し、10分ほどでファンダンゴ着。「嗚呼ここだここだ。2年ぶりに戻ってきた」とまたも感激モード。
タクシーのメーターは2,360円を示し、財布からお金を取り出そうとすると「2,300円でええわ」と運転手。関西ではタクシーも値切れる、もしくは安くするという伝説が事実であるということを目の前にし、一同またも感激。
しかし個人タクシーでないのに、会社も許可してるってことなんだろうか。
そんなわけで運転手にご挨拶し、少々早いがファンダンゴの扉を開け・・・しかし開かない。正面の入り口は開いてないのかと思い、裏口を探そうとすると、ファンダンゴ隣の駐車場の管理人さんの「2時まで誰もこんでー」の声。時間は1時半。
「ありがとうございます。どこかで時間つぶしてまた来ます」と楽器やらどでかい荷物をえっこらせとファンダンゴを離れてしばらく歩くと、駐車場の管理人さんが出てきて「時間まで荷物置いてきー」と大声で我々に。え?ホントに!?と一同驚くがお言葉に甘えることに。
しかしパズルのオカオさん、タクシーの運転手、駐車場の管理人さんとまだ大阪に入って5、6時間だというのに出会う人出会う人ことこどくいい人だったと感激している我々は相当汚れた精神の持ち主なんでしょうか? この時点で既に相当「来てよかったー」状態。
そんなわけで身が軽くなったブラン一同、時間つぶしに十三の商店街をぶらつき喫茶店にでも入ることに。商店街の終わり、Y字の大通り挟んでまた別の商店街へ変わろうかってところに前回遠征時「やはりロックにドラッグは付き物」と良い形で作用していただいたドリンク剤購入の薬局にたどり着く。「これも縁起担ぎ」というわけで、今回は何にしようかと滋養強壮コーナーを物色。ガツンと行ってみましょうかとオットセイ、牛黄配合の錠剤「オットビン」3錠入り350円を。黒地に金文字毛筆体で「滋養強壮剤オットビン」の文字、その下に同じく金文字で素敵な書体の「OTTOVIN」。「O」の中にオットセイが真顔で「効きっませ」とこちらへ訴えかけてくる。そして「滋養強壮剤オットビン」の文字に掛かる真紅の逆三角形が、男の力強い仕事の達成感を約束してくれるべくアクセントを添える。
「取り敢えずひとつ行っときますか」と袋を開けると思いっきり金色の玉でびっくり。医薬品なのに一体何で色付けてんだろうと気色悪くなるが、何はともあれ一粒口へ運ぶ・・・身体がカッカして来た・・・いやいや、まだちと早いんだけど。
残り2粒は演奏直前にとポッケにしまい、ブラン一同喫茶店へ入店、コーヒーをすする。
ぽつりぽつりと会話をしてたら時刻は2時。さてさてそろそろ戻りましょう。
荷物を預かっていただいた駐車場の管理人さんに深くお辞儀とお礼を告げ、いよいよ行きましょファンダンゴへ。
2年ぶりのあの黒くて重い扉を開け入店。
ステージから向かって右にある控え室に繋がる階段、高い天井・・・嗚呼、ファンダンゴだ?。
お店の方にご挨拶し、楽器やらステージのセッティングが進むのをぼーっと眺める。
他のバンドの方はちらほらと集まっている状態みたい。
PAご担当の方と諸々簡単に打ち合わせし、出番が2番目から3番目に変更になったことを聞き、リハが始まるのを待つ。缶コーヒー飲んで、タバコ吸ってボー・・・。
逆リハはトリのINDIAN NO ECHO SING BY NOから。
バンドに関しては後述するとして、初っ端から「むむむ」と身を乗り出して聴き入る。
いいねぇ、いいですねぇ等とボソボソ思ったり口にしたりしてる内に、次はウチの番。
リハは出音の確認と少々の最終練習のつもりだったのだけれど、対バンの方やスタッフの方で結構な数の人々が会場入りしている状態で、気が付いたら本番さながらの気合いの演奏・・・リハ中にギューンスハラさん来店、思わずステージ上から会釈。それでまた余計気合いが・・・リハでクタクタ・・・いかんいかん。
予選では多少手抜きで決勝進出、決勝で本気の力で結果を出す、これが強いアスリートの鉄則、であるからして・・・。
そんなわけで4時半頃ブランリハ終了。
スハラさんに改めてご挨拶。初対面のクリを紹介。しばし談笑。
笑ってはいたものの「ヘタなもんは見せられん」という緊張感がむくむく。
そして数日前パズルへの電話や遁レコBBSでやりとりさせていただいた新生シノワBaのアツザワさんをご紹介いただく。今回はギューンのスタッフとして参加だそうだ。数日前の電話でのやりとりと同様、実に好青年という印象・・・この時はね(笑)。
そんなこんなで他のバンドの出方を確認したかったが、気分転換と諸々大荷物でたまらんというわけで一度ホテルにチェックインすることに。
今回の宿泊先である梅田駅から徒歩10分ほどの所にあるサンルート梅田までタクシーで移動。車中「長い充実した1日だ」だとか「また本番は始まってないよ」だとか何とも高揚した気分でチェックイン。荷物預けて一休みして5時30分フロント集合というわけで各自部屋へ。
とはいっても部屋でうろうろ落ち着かず。
お茶飲んでテレビ観て「ファンダンゴに持ってくもので忘れ物ないかないか」なんてやっている内に5時半。そんなわけでファンダンゴへトンボ帰り。
十三着。
さすがに朝食以来、何も食ってないとあって腹ペコペコ。楽屋で何か食べるものをと商店街をぶらつく。
ぱっと眼前に現れたたこ焼き屋。いかにも「30年ここで焼き続けてます」ってな感じのおばぁちゃんと「まだまだあんたにゃ任せられんわ」とばかりサポート役に甘んじているが思しき40過ぎのお嫁さん。「こいつはうまいに違いない」と早速アダ、メグ注文。
「今混んどるからちょっと時間かかるけどー」とお嫁さん。
いやいや旨いんだから、少しぐらい喜んで待ちましょうって。
「さぁさぁお手並みを拝ませていただきましょう」とばかり、じっとおばぁちゃんの手元を見つめる。
さぁーっとたねを鉄板に流し、少々固まって来たところで例のたこピンでくるくる・・・しかしどうも様子がおかしい。おばぁちゃん、一生懸命クルクル作業をしているのだが、さっぱり回らない。「あれ?あれ?」ってな具合で、少しでも回りやすそうなことだけやってあとはほったらかし。「これやってー」とお嫁さんに。「はいはい」とお嫁さんが場所を代わり、それはそれは手際よく焼き上げていく。
失礼いたしました。お嫁さんの方が本命でした。
時間は開場の6時を回り、こんなことなら向かえ側で暇そうにしている方の店にしておけばよかったななどと思いつつソースとマヨネ大盛りにしていただきファンダンゴへ急ぐ。
6時を回りいよいよ開場でお客さんがちらほら入り出す。
ライブ観戦前に腹ごしらえとたこ焼きを食べよと楽屋へと。あのファンダンゴのシンボルとも云える階段を上り一度外へ出て隣のさっき荷物を預かっていただいた駐車場を1フロア上がって扉の中。お部屋が6畳ほどの3つ。INDIAN NO ECHO SING BY NOのお姉さん方お二人がくつろぐ中をお邪魔して食す。そしてしばし談笑。「リハよかったです」と伝える。今回一番の期待大のバンド。たこ焼きの味はまぁまぁでした。腹は充分膨れました。
そんなこんなで開演時間が近づいたのでビールを買って客席に。
シノワ平田氏、山内女史来場。平田さんとは約半年ぶりの再開。山内さんとは、前回の大阪遠征時顔を合わせていたものの、挨拶するのは初めて。うれしくて思わず大手を振ってしまった。
大阪遠征の何が楽しいって演奏はもちろんだけれど、たくさんの新しい出会いがあるってこと。
早速新生シノワのDrヤギさん、そして改めてBaアツザワさん、シノワBBSでお名前を、そしてメグの友人として常々お噂聞いておったゲントウキ吉田さんをご紹介いただく。吉田さんは今年のSlapp Happyのオープニングアクトで羅針盤のdrも叩いてたりするんですよね。ひょうひょうとした佇まいだけれども強者と察する。どもども初めまして、ブランでございます。
そしてそして関西インディーギャルズバンドの生き字引、カナモリさんとも再会。昔は紅二点、黒私1人でしたが今や紅一点バンド。そんなブランでもOKっすか?
客席の端でギューンがお店を広げているのでブラブラ眺める。「どうもー」との声にはっと顔を上げるが、ピンと来ない。思わず「初めまして」と答えると「いやいや黒瀬です」とスパローズ・スクーター黒瀬さん・・・何かスタイリッシュになっていて印象変わりましたなぁ。「う、うそ?黒瀬さん?」と大笑いで実に久々の再開。今回お呼びだていただきましてありがとうございます。
そんなこんなで平田さんのそばに戻りあれやこれや。
「今日ブラン目当てのお客さん多いですよ」のお言葉に「そんなバカな」と答えつつ緊張高まる。
ビールを煽る。スハラさんに「アダチ君あんまり飲み過ぎんようにね」とご注意をいただきつつ、いよいよギューン夏祭り2000初日スタート。
トップは何とも若々しいギャルズ4人バンドSONIA。でもMCで「うちらももう若くないし?」みたいなこと云ってたから違うんかいな。何かこれだけ読んでいるとヤンキーバンドみたいだけれど、いやいや、なかなか勢いあって尖ったヘビーなロックをかましていらっしゃいました。最前列に陣取ったスーツ姿のおっさん含むコアなファンと思われる方々が身体を揺らし、熱いまなざしでステージを見つめていたのが大変印象的。そんな私はビール1本目終了。2本目に突入。「OTTOVIN」2粒目をin。
さぁさぁ続いてはMUSIC START AGAINST YOUNG ASSALUT(以下、MSAYA)。
ギューンからのCD発売も間近に控えた段階での、本日のいわばメインアクトといった存在。当初ウチが出演2番目でMSAYAがトリの予定だったのだけれど、メンバーの1人がライブ後仕事が入ってしまったということで急遽この順番に。 G、B、Drの鋼のようなサウンド。羅針盤にも在籍のチャイナさんのDrが格好良く大変印象的。ギターのトラブルやせっかくのヴォーカルがオフ気味だったのでMSAYAの全貌は捉えきれなかったという感じで少々残念でした。また是非別の機会に拝見したし。
MSAYAのラスト2曲ほどになり、「さぁさぁいよいよ次でござんすよ」と楽屋、もとい階段上へ移動。
有り難いことに緊張感は悪い方向ではなく、大変心地よい感じとなっている。とどめの「OTTOVIN」をin。
MSAYA終了。ウチのSEが掛かり始める。いよいよブランの番でございます。
今回の演奏曲目は
・オレハ貝ニナル
・自爆
・うつし世は夢
・その先
・僕を少し眠らせて
・やわらかな夢
・Lorca(仮題)
演奏中、とんでもない数のお客さんがこっちに挑んでくるが如きに迫ってくる感覚を覚える。
自ずと演奏にも気合いが入る・・・ステージと客席で戦っているかの如き感覚。
しかし熱くなりすぎたのか、単に練習をしすぎだったのか、今日の疲れなのか、突然3曲目辺りから声が出なくなってしまった。やばいやばい。後半「僕を少し眠らせて」「やわらかな夢」といった囁きものが続いたお陰で何とか最後まで乗り切れたのだけれど、「その先」では全く声が出ない状況もあって少々参りやした。
「ライブは生ものだからわかりゃしない」という話ございますが、体制は万全ながら、万全の演奏は出来なかったことに非常に悔しい思い。演奏後今まで味わったことのないたくさんの拍手と歓声を頂戴して一応「ブラン」をお見せすることが出来たのかもしれませんが、個人的には「もっとみせられるはずでした」という気持ち。是非ともあの場所にいた方にはだまされたと思ってもう一度ブランを見に、聴きにいらしていただきたいです。
そんな個人的感想はさておき、客席の方では結構なご好評をいただいたらしくて一安心。
さっき触れたギューンのお店にお願いして7?8枚置いていただいた遁レコCD「ブラン/Complete Live」(TORCD-3)が演奏終了時には即完売に。ちょっとでも売れれば飲み代の足しになるかなぐらいの感覚だったのだけれど、全く持って有り難いお話。
そんなこんなで演奏終了。
クタクタになって楽屋へ戻る。途中スハラさんに会い「よかったよー」とのお言葉。「すんません。声ぶれちまいました」と云いつつその言葉に喜びこみ上げる。「今のメンツが一番いいねぇ」のお言葉もうれしさこの上なし。なんてったってバンドは日々向上していかなきゃ意味はなし。過去の遺産で食いつなぐみたいなバンドにはなりたくない・・・っていやいやブランで食ってるわけはないし、食える訳はないのだけれど。
とにもかくにも今回ウチがやるべきことは終了。あとは飲んで飲んで楽しむのみ。旅の恥を掻き捨てようじゃありませんか。
ギューンのお店でギューン夏祭りTシャツを購入。それに着替えて改めて客席へ。
「よかったですー」「いやーショックでした」「素晴らしいです」などと賞賛の言葉をいただき有り難いやら謙遜するわ。ビールをガンガンに口に放り込む。演奏の反省はとにかく早く空っぽにして楽しみに徹しよう。
シノワ平田氏、山内女史、ヤギさん、アツザワさん、ゲントウキ吉田さんなどの輪に混じって談笑。
本日のトリを飾るのはINDIAN NO ECHO SING BY NO。電子バイオリン、Dr、Baのインストメインのトリオ。
時に情緒的だったり、時にエキセントリックだったりと編成的な意味での音楽的限界を全く感じさせない緊張感の高い演奏に引き込まれました。このバンドでライブ活動を初めてからまだ日が浅いとのことでしたが、ステージ上の佇まいといい、実に良いんだなぁ、これが。バイオリン、Drのお2人は普段演劇をされている方だとかで、それもなんとも納得。ビールが進む進む。
そんなわけで大きな拍手とともにギューン夏祭り初日も終了。余韻を楽しみながら談笑。ビールが進む進む・・・一体何本目だ?
ネット上ではお名前を拝見していたスパローズスクーターの野村さんと初対面でご挨拶・・・・いやいや実はスパローズスクーターとは4?5年前に下北沢屋根裏でフリーボとともに胎盤させていただいておりました。(http://www.tonreco.com/repo1.htm#961201)お互いその事実をすっかり忘れて「初めまして」とご挨拶(その後メールで「そういえばそうだった」と大笑いいたしました。この日から数ヶ月経ちましたが、「ピアソラ」聴きまくってます。名盤です)。
そろそろ終電近しとなったシノワヒラタさん、ヤマウチさん、ヤギさんと次の日パズルで落ち合って遊んでもらう約束をしてお別れ。さてさて我々はいざ打ち上げへ。
ファンダンゴそばの24時間営業の中華屋へぞろぞろと移動。メンツは黒瀬さん、アツザワくん、カナモリさん、チャイナさん除くMSAYA、INDIAN NO ECHO SING BY NO、ブランその他といった総勢10数名、2階の座敷に陣取る。ビール片手に「お疲れさま!」、餃子にチャーハンにもろもろに次から次から料理が出るわ出るわ。食いまくって飲みまくってしゃべりまくり。黒瀬さん&アツザワくんのどつき漫才状態に腹抱えて笑いながら、すっかりうち解けさせていただきました。途中から飲みまくっていた「何とか酒の赤」ってヤツがめちゃめちゃうまかった。
そんなこんなで気が付いたら朝5時。・・・うわ、今日何時間起きてるんだ。
とてつもなくハイな状態で、ずっと疲れを感じずにいたのだけれど、さすがにさすがにぐったり。
そんなわけで皆さんとお別れし、ブラン一同タクシーでホテルへ戻る。
いやいや楽しい1日、また大阪来れて良かったとしみじみ感じつつ、「また明日」と各自部屋へ、そして私はバタンキュー。(続く・途中断念ゴメン!)
■9/1ギューン夏祭り@十三ファンダンゴ
(共演:MUSIC START AGAINST YOUNG ASSALUT、SONIA、INDIAN NO ECHO SING BY NO)
行って参りました2年ぶりのブラン大阪遠征。
念願だったギューン夏祭り@十三ファンダンゴ初日の出演。こいつは盛り上がらないわけには行かない。ギューン陰の帝王(?)スパローズスクーター黒瀬さんからbaのメグに連絡が入り、私から「喜んで行かせていただきます」とお伝えさせていただいたのが6月25日。もうそれから落ち着かないったらありゃしない。落ち着かないのだけれど私的にもゴタゴタバタバタ、面白可笑しくも慌ただしい日々が続き、そんな喜びに浸る間もあまりなく「ギューン夏祭りが近づく、ギューン夏祭りが近づく」と寝る前になるときまって気持ちが焦り出す、そんな日々が続き、そんなこんなで8月も終わりとなった訳でございまして。
年頭に「2000年は爆裂活動」と私が勝手に宣言したブランでありました。
98年6月の大阪遠征後、メグの大阪武者修行や10月の変則メンバーでのライブ、メンバーの脱退とバタバタ続きで「もういい、1人でやる!」だの「別バンドを作る」だの音楽活動としてはさっぱり腰が据わらない時期が少々続きました。断片的な曲を作ってつたない宅録に興じ、可幸月貝名義で「fragment」(TORCD-1)をまとめたのが1999年の始め。唄っているテーマに類似点はあれど、全く外へ向かおうとしない楽曲群・・・このままじゃまずいわなぁと考えることしばし。気が付いたら前回の大阪遠征から1年が経ってしまいました。
そうこうしている内にメグが大阪から戻り、「ブランどうしようか」何てことを話すこと数ヶ月、その後真夜中にチャットをしている内に「ひとまずヘルプとして遊んでみよう」と学生時代の先輩のクリがドラムで参加と偶然が重なりながらブランは地味ながら再始動と相成りました。
そいつが99年の7月。当初は慣れないもの同士戸惑いながら根気強くリハビリを続け、2000年頭には「これは行ける!」と新生ブランに確信を覚えたわけでありました。安心と信用が芽生えてからは過去の楽曲のリニューアルだけではなく、あんなに作るのに苦労してた新曲もポンポン出てくるし「さあデモテ作ろう」「さあライブでお披露目だ」と盛り上がる一方でございました(私の中だけだったりして・・・)。個人的には演奏と唄に自信を持ちだした(っつったって大したもんじやござんせんが)のもこの時期です。「今度こそ本物だ。ゆっくり焦らずバンド内のこの関係を保ちつつ、更なる発展を」そんなことをいつも考えていたように記憶しております。いつの間にかリハビリが次第に再始動に向けてのリハーサルへと変わっていったのです。
そんなこんなでリハ毎にこまめに一発録り録音を行いデモCDを作成、20000V店長兼キリヒトのハヤカワ氏、ギューンスハラさんを筆頭に再始動宣言がてらばらまき出したのが2000年3月から4月に掛けて。遁レコサイトでは地味ながらリハビリ経過をお伝えしておりましたが、やっと遂に新生ブランが外へと向かいだしました。
5月3日にホームグラウンド高円寺20000Vで再始動一発目のライブ。その興奮醒めやらぬ内に9/1大阪公演のお誘い、しかも念願のギューン夏祭り!そしてもう一発8月6日に20000V公演。平行して相変わらず寡作ではありながら新曲が増える・・・誠にいい感じであります。とにかくとにかく4月だかに勝手に叫ばせていただいた「ブラン2000年は爆裂活動宣言」が具体的な形となり始めたのです。
前置きか長すぎです。
しかしかしとにかく前回の大阪遠征からのブランの2年間はこんな状況でありました。
情けなくもあり、偶然もあり、友情ドラマもあり(?)、熱き努力もあり・・・うーん素敵。
前置きついでにもうひとつ。
この2年間で状況が最も大きく変化した点といえばインターネット環境がホント一般に普及したってこと。知人やメンバー間の連絡がほとんどメールで済むようになったなんてことはもちろん、ブランのお知らせに遁レコサイトが大変効果的に働くようになった気がいたします。私のバカな文章やブランのお知らせや音源を興味を持った人が読み聴き、私にアクションをしてくれる・・・3?4年前だったら「そのはずだったんだが・・・」とインターネット幻想に幻滅していたところでありますが、それが現実のものとなったことを実感しております。
他サイトとの輪も広がりネット上の出会いをきっかけに深い友人となったり、ブラン、遁レコを好きになっていただいたり、この1年でネット上をきっかけに親しくさせていただくようになった方々は数知れません。それは年齢の差も距離さえも超えたもので、大きな宝であり、音楽活動の励みと刺激になっております。
そんなわけでそんなわけで本題へ。
今回のブラン大阪遠征は、演奏当日の9月1日朝7:05の飛行機で出発。
ブランメンバーとは6:30に空港で待ち合わせ。私の予定では4:00に起きてメシ食って自宅からは5:02の始発電車に乗る予定であったのだけど、前日何だかんだの準備バタバタ、結局寝たのは1:30過ぎ。そんでそんでパッと起きたら5:00ちょい前!目覚ましのアラームは間違いなく3:50を指しとるが、し?ん。黙ってもらってちゃ意味はなし。・・・つぅか黙らせた犯人はひとりしかいないのだけれど。
そんなわけで、ガー、バーとしょっぱなから慌ただしく駅へ向かい5:20の2番電車に。空港の待ち合わせ場所には6:45着でほっと一息。
メグ、クリはブーイング。
・・・さぁいよいよ始まるでよ!
「さぁ、いざ大阪へ!」
などと気合いをこめてる暇もなく、ぱっとひと飛び1時間、8時半前には大阪伊丹空港着。空港からバスで難波へと移動。
道中、交通事故による大渋滞。さすがに眠気がおそってきてうとうと。
予定所要時間の倍の1時間を掛けて9時半過ぎに難波着。眠気の次は腹のへりがおそってくるが、楽器だなんだ荷物がうざったいと何はともあれひとまずアメ村のスタジオパズルに向かうことにする。
地下鉄乗って1駅、心斎橋から歩いて5分ほどでスタジオパズルに到着。
「嗚呼、また音楽で大阪に来れたんだ」と感慨ひとしお。
私にとっては、全く持って関西ロック界の聖地ですな、ここは。
受付にいらっしゃったオカオさん(お名前は後から伺いました。ナイスフェロー、ミニマム等でご活躍。ミニマムは「Childish Soup2000」で聴かせていただいております)に「ブランですー」とご挨拶。あらかじめ宅急便でお送りさせていただいていた荷物を確認し、その他諸々を預かっていただき、さぁいざ朝食へ。
何だかんだと希望が出るが、若人の街アメ村の10時そこらの平日。しかも夏休み明けの9月1日と来りゃ開いている店も少なけりゃ、人通りも少ない。
そんなわけで、ビジネスホテルのレストランで800円のモーニングを食す。コーヒー飲んでほっと一息。てな内に11時。さてさてパズルに戻って最終リハ。
細かいことは気にせず演奏曲を一周軽く確認して切り上げる。途中スタジオのクーラーの使い方がわからず、オカオさんにお手数お掛けして快く応じていただいたことにお詫びと感謝を。「暑い、暑い!」云いながら必死こいて「除湿」していたみたい。
というわけで1時となり、スタジオ代を支払いご挨拶して、パズルを後に(結局3日間とも顔を出すことになったのだけれど)。荷物がたまらん状況なので、パズル前にてタクシーを拾う。一度ホテルに荷物を預けてという話も出るが、 お客さんの立場でもあるわけで、2時入りと云われておったのだけれど、早いことに越したこと無しとひとまずファンダンゴのある十三へ。
道中、運転手の方に「ファンダンゴへ」といっても案の定伝わらず、こんなこともあろうかと前日ファンダンゴのサイトhttp://fandango-go.com/jp/jindex.htm からプリントアウトして来た(そんなコトしてたから寝坊するとの話あり)地図を示し、10分ほどでファンダンゴ着。「嗚呼ここだここだ。2年ぶりに戻ってきた」とまたも感激モード。
タクシーのメーターは2,360円を示し、財布からお金を取り出そうとすると「2,300円でええわ」と運転手。関西ではタクシーも値切れる、もしくは安くするという伝説が事実であるということを目の前にし、一同またも感激。
しかし個人タクシーでないのに、会社も許可してるってことなんだろうか。
そんなわけで運転手にご挨拶し、少々早いがファンダンゴの扉を開け・・・しかし開かない。正面の入り口は開いてないのかと思い、裏口を探そうとすると、ファンダンゴ隣の駐車場の管理人さんの「2時まで誰もこんでー」の声。時間は1時半。
「ありがとうございます。どこかで時間つぶしてまた来ます」と楽器やらどでかい荷物をえっこらせとファンダンゴを離れてしばらく歩くと、駐車場の管理人さんが出てきて「時間まで荷物置いてきー」と大声で我々に。え?ホントに!?と一同驚くがお言葉に甘えることに。
しかしパズルのオカオさん、タクシーの運転手、駐車場の管理人さんとまだ大阪に入って5、6時間だというのに出会う人出会う人ことこどくいい人だったと感激している我々は相当汚れた精神の持ち主なんでしょうか? この時点で既に相当「来てよかったー」状態。
そんなわけで身が軽くなったブラン一同、時間つぶしに十三の商店街をぶらつき喫茶店にでも入ることに。商店街の終わり、Y字の大通り挟んでまた別の商店街へ変わろうかってところに前回遠征時「やはりロックにドラッグは付き物」と良い形で作用していただいたドリンク剤購入の薬局にたどり着く。「これも縁起担ぎ」というわけで、今回は何にしようかと滋養強壮コーナーを物色。ガツンと行ってみましょうかとオットセイ、牛黄配合の錠剤「オットビン」3錠入り350円を。黒地に金文字毛筆体で「滋養強壮剤オットビン」の文字、その下に同じく金文字で素敵な書体の「OTTOVIN」。「O」の中にオットセイが真顔で「効きっませ」とこちらへ訴えかけてくる。そして「滋養強壮剤オットビン」の文字に掛かる真紅の逆三角形が、男の力強い仕事の達成感を約束してくれるべくアクセントを添える。
「取り敢えずひとつ行っときますか」と袋を開けると思いっきり金色の玉でびっくり。医薬品なのに一体何で色付けてんだろうと気色悪くなるが、何はともあれ一粒口へ運ぶ・・・身体がカッカして来た・・・いやいや、まだちと早いんだけど。
残り2粒は演奏直前にとポッケにしまい、ブラン一同喫茶店へ入店、コーヒーをすする。
ぽつりぽつりと会話をしてたら時刻は2時。さてさてそろそろ戻りましょう。
荷物を預かっていただいた駐車場の管理人さんに深くお辞儀とお礼を告げ、いよいよ行きましょファンダンゴへ。
2年ぶりのあの黒くて重い扉を開け入店。
ステージから向かって右にある控え室に繋がる階段、高い天井・・・嗚呼、ファンダンゴだ?。
お店の方にご挨拶し、楽器やらステージのセッティングが進むのをぼーっと眺める。
他のバンドの方はちらほらと集まっている状態みたい。
PAご担当の方と諸々簡単に打ち合わせし、出番が2番目から3番目に変更になったことを聞き、リハが始まるのを待つ。缶コーヒー飲んで、タバコ吸ってボー・・・。
逆リハはトリのINDIAN NO ECHO SING BY NOから。
バンドに関しては後述するとして、初っ端から「むむむ」と身を乗り出して聴き入る。
いいねぇ、いいですねぇ等とボソボソ思ったり口にしたりしてる内に、次はウチの番。
リハは出音の確認と少々の最終練習のつもりだったのだけれど、対バンの方やスタッフの方で結構な数の人々が会場入りしている状態で、気が付いたら本番さながらの気合いの演奏・・・リハ中にギューンスハラさん来店、思わずステージ上から会釈。それでまた余計気合いが・・・リハでクタクタ・・・いかんいかん。
予選では多少手抜きで決勝進出、決勝で本気の力で結果を出す、これが強いアスリートの鉄則、であるからして・・・。
そんなわけで4時半頃ブランリハ終了。
スハラさんに改めてご挨拶。初対面のクリを紹介。しばし談笑。
笑ってはいたものの「ヘタなもんは見せられん」という緊張感がむくむく。
そして数日前パズルへの電話や遁レコBBSでやりとりさせていただいた新生シノワBaのアツザワさんをご紹介いただく。今回はギューンのスタッフとして参加だそうだ。数日前の電話でのやりとりと同様、実に好青年という印象・・・この時はね(笑)。
そんなこんなで他のバンドの出方を確認したかったが、気分転換と諸々大荷物でたまらんというわけで一度ホテルにチェックインすることに。
今回の宿泊先である梅田駅から徒歩10分ほどの所にあるサンルート梅田までタクシーで移動。車中「長い充実した1日だ」だとか「また本番は始まってないよ」だとか何とも高揚した気分でチェックイン。荷物預けて一休みして5時30分フロント集合というわけで各自部屋へ。
とはいっても部屋でうろうろ落ち着かず。
お茶飲んでテレビ観て「ファンダンゴに持ってくもので忘れ物ないかないか」なんてやっている内に5時半。そんなわけでファンダンゴへトンボ帰り。
十三着。
さすがに朝食以来、何も食ってないとあって腹ペコペコ。楽屋で何か食べるものをと商店街をぶらつく。
ぱっと眼前に現れたたこ焼き屋。いかにも「30年ここで焼き続けてます」ってな感じのおばぁちゃんと「まだまだあんたにゃ任せられんわ」とばかりサポート役に甘んじているが思しき40過ぎのお嫁さん。「こいつはうまいに違いない」と早速アダ、メグ注文。
「今混んどるからちょっと時間かかるけどー」とお嫁さん。
いやいや旨いんだから、少しぐらい喜んで待ちましょうって。
「さぁさぁお手並みを拝ませていただきましょう」とばかり、じっとおばぁちゃんの手元を見つめる。
さぁーっとたねを鉄板に流し、少々固まって来たところで例のたこピンでくるくる・・・しかしどうも様子がおかしい。おばぁちゃん、一生懸命クルクル作業をしているのだが、さっぱり回らない。「あれ?あれ?」ってな具合で、少しでも回りやすそうなことだけやってあとはほったらかし。「これやってー」とお嫁さんに。「はいはい」とお嫁さんが場所を代わり、それはそれは手際よく焼き上げていく。
失礼いたしました。お嫁さんの方が本命でした。
時間は開場の6時を回り、こんなことなら向かえ側で暇そうにしている方の店にしておけばよかったななどと思いつつソースとマヨネ大盛りにしていただきファンダンゴへ急ぐ。
6時を回りいよいよ開場でお客さんがちらほら入り出す。
ライブ観戦前に腹ごしらえとたこ焼きを食べよと楽屋へと。あのファンダンゴのシンボルとも云える階段を上り一度外へ出て隣のさっき荷物を預かっていただいた駐車場を1フロア上がって扉の中。お部屋が6畳ほどの3つ。INDIAN NO ECHO SING BY NOのお姉さん方お二人がくつろぐ中をお邪魔して食す。そしてしばし談笑。「リハよかったです」と伝える。今回一番の期待大のバンド。たこ焼きの味はまぁまぁでした。腹は充分膨れました。
そんなこんなで開演時間が近づいたのでビールを買って客席に。
シノワ平田氏、山内女史来場。平田さんとは約半年ぶりの再開。山内さんとは、前回の大阪遠征時顔を合わせていたものの、挨拶するのは初めて。うれしくて思わず大手を振ってしまった。
大阪遠征の何が楽しいって演奏はもちろんだけれど、たくさんの新しい出会いがあるってこと。
早速新生シノワのDrヤギさん、そして改めてBaアツザワさん、シノワBBSでお名前を、そしてメグの友人として常々お噂聞いておったゲントウキ吉田さんをご紹介いただく。吉田さんは今年のSlapp Happyのオープニングアクトで羅針盤のdrも叩いてたりするんですよね。ひょうひょうとした佇まいだけれども強者と察する。どもども初めまして、ブランでございます。
そしてそして関西インディーギャルズバンドの生き字引、カナモリさんとも再会。昔は紅二点、黒私1人でしたが今や紅一点バンド。そんなブランでもOKっすか?
客席の端でギューンがお店を広げているのでブラブラ眺める。「どうもー」との声にはっと顔を上げるが、ピンと来ない。思わず「初めまして」と答えると「いやいや黒瀬です」とスパローズ・スクーター黒瀬さん・・・何かスタイリッシュになっていて印象変わりましたなぁ。「う、うそ?黒瀬さん?」と大笑いで実に久々の再開。今回お呼びだていただきましてありがとうございます。
そんなこんなで平田さんのそばに戻りあれやこれや。
「今日ブラン目当てのお客さん多いですよ」のお言葉に「そんなバカな」と答えつつ緊張高まる。
ビールを煽る。スハラさんに「アダチ君あんまり飲み過ぎんようにね」とご注意をいただきつつ、いよいよギューン夏祭り2000初日スタート。
トップは何とも若々しいギャルズ4人バンドSONIA。でもMCで「うちらももう若くないし?」みたいなこと云ってたから違うんかいな。何かこれだけ読んでいるとヤンキーバンドみたいだけれど、いやいや、なかなか勢いあって尖ったヘビーなロックをかましていらっしゃいました。最前列に陣取ったスーツ姿のおっさん含むコアなファンと思われる方々が身体を揺らし、熱いまなざしでステージを見つめていたのが大変印象的。そんな私はビール1本目終了。2本目に突入。「OTTOVIN」2粒目をin。
さぁさぁ続いてはMUSIC START AGAINST YOUNG ASSALUT(以下、MSAYA)。
ギューンからのCD発売も間近に控えた段階での、本日のいわばメインアクトといった存在。当初ウチが出演2番目でMSAYAがトリの予定だったのだけれど、メンバーの1人がライブ後仕事が入ってしまったということで急遽この順番に。 G、B、Drの鋼のようなサウンド。羅針盤にも在籍のチャイナさんのDrが格好良く大変印象的。ギターのトラブルやせっかくのヴォーカルがオフ気味だったのでMSAYAの全貌は捉えきれなかったという感じで少々残念でした。また是非別の機会に拝見したし。
MSAYAのラスト2曲ほどになり、「さぁさぁいよいよ次でござんすよ」と楽屋、もとい階段上へ移動。
有り難いことに緊張感は悪い方向ではなく、大変心地よい感じとなっている。とどめの「OTTOVIN」をin。
MSAYA終了。ウチのSEが掛かり始める。いよいよブランの番でございます。
今回の演奏曲目は
・オレハ貝ニナル
・自爆
・うつし世は夢
・その先
・僕を少し眠らせて
・やわらかな夢
・Lorca(仮題)
演奏中、とんでもない数のお客さんがこっちに挑んでくるが如きに迫ってくる感覚を覚える。
自ずと演奏にも気合いが入る・・・ステージと客席で戦っているかの如き感覚。
しかし熱くなりすぎたのか、単に練習をしすぎだったのか、今日の疲れなのか、突然3曲目辺りから声が出なくなってしまった。やばいやばい。後半「僕を少し眠らせて」「やわらかな夢」といった囁きものが続いたお陰で何とか最後まで乗り切れたのだけれど、「その先」では全く声が出ない状況もあって少々参りやした。
「ライブは生ものだからわかりゃしない」という話ございますが、体制は万全ながら、万全の演奏は出来なかったことに非常に悔しい思い。演奏後今まで味わったことのないたくさんの拍手と歓声を頂戴して一応「ブラン」をお見せすることが出来たのかもしれませんが、個人的には「もっとみせられるはずでした」という気持ち。是非ともあの場所にいた方にはだまされたと思ってもう一度ブランを見に、聴きにいらしていただきたいです。
そんな個人的感想はさておき、客席の方では結構なご好評をいただいたらしくて一安心。
さっき触れたギューンのお店にお願いして7?8枚置いていただいた遁レコCD「ブラン/Complete Live」(TORCD-3)が演奏終了時には即完売に。ちょっとでも売れれば飲み代の足しになるかなぐらいの感覚だったのだけれど、全く持って有り難いお話。
そんなこんなで演奏終了。
クタクタになって楽屋へ戻る。途中スハラさんに会い「よかったよー」とのお言葉。「すんません。声ぶれちまいました」と云いつつその言葉に喜びこみ上げる。「今のメンツが一番いいねぇ」のお言葉もうれしさこの上なし。なんてったってバンドは日々向上していかなきゃ意味はなし。過去の遺産で食いつなぐみたいなバンドにはなりたくない・・・っていやいやブランで食ってるわけはないし、食える訳はないのだけれど。
とにもかくにも今回ウチがやるべきことは終了。あとは飲んで飲んで楽しむのみ。旅の恥を掻き捨てようじゃありませんか。
ギューンのお店でギューン夏祭りTシャツを購入。それに着替えて改めて客席へ。
「よかったですー」「いやーショックでした」「素晴らしいです」などと賞賛の言葉をいただき有り難いやら謙遜するわ。ビールをガンガンに口に放り込む。演奏の反省はとにかく早く空っぽにして楽しみに徹しよう。
シノワ平田氏、山内女史、ヤギさん、アツザワさん、ゲントウキ吉田さんなどの輪に混じって談笑。
本日のトリを飾るのはINDIAN NO ECHO SING BY NO。電子バイオリン、Dr、Baのインストメインのトリオ。
時に情緒的だったり、時にエキセントリックだったりと編成的な意味での音楽的限界を全く感じさせない緊張感の高い演奏に引き込まれました。このバンドでライブ活動を初めてからまだ日が浅いとのことでしたが、ステージ上の佇まいといい、実に良いんだなぁ、これが。バイオリン、Drのお2人は普段演劇をされている方だとかで、それもなんとも納得。ビールが進む進む。
そんなわけで大きな拍手とともにギューン夏祭り初日も終了。余韻を楽しみながら談笑。ビールが進む進む・・・一体何本目だ?
ネット上ではお名前を拝見していたスパローズスクーターの野村さんと初対面でご挨拶・・・・いやいや実はスパローズスクーターとは4?5年前に下北沢屋根裏でフリーボとともに胎盤させていただいておりました。(http://www.tonreco.com/repo1.htm#961201)お互いその事実をすっかり忘れて「初めまして」とご挨拶(その後メールで「そういえばそうだった」と大笑いいたしました。この日から数ヶ月経ちましたが、「ピアソラ」聴きまくってます。名盤です)。
そろそろ終電近しとなったシノワヒラタさん、ヤマウチさん、ヤギさんと次の日パズルで落ち合って遊んでもらう約束をしてお別れ。さてさて我々はいざ打ち上げへ。
ファンダンゴそばの24時間営業の中華屋へぞろぞろと移動。メンツは黒瀬さん、アツザワくん、カナモリさん、チャイナさん除くMSAYA、INDIAN NO ECHO SING BY NO、ブランその他といった総勢10数名、2階の座敷に陣取る。ビール片手に「お疲れさま!」、餃子にチャーハンにもろもろに次から次から料理が出るわ出るわ。食いまくって飲みまくってしゃべりまくり。黒瀬さん&アツザワくんのどつき漫才状態に腹抱えて笑いながら、すっかりうち解けさせていただきました。途中から飲みまくっていた「何とか酒の赤」ってヤツがめちゃめちゃうまかった。
そんなこんなで気が付いたら朝5時。・・・うわ、今日何時間起きてるんだ。
とてつもなくハイな状態で、ずっと疲れを感じずにいたのだけれど、さすがにさすがにぐったり。
そんなわけで皆さんとお別れし、ブラン一同タクシーでホテルへ戻る。
いやいや楽しい1日、また大阪来れて良かったとしみじみ感じつつ、「また明日」と各自部屋へ、そして私はバタンキュー。(続く・途中断念ゴメン!)