映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」雑感
北山修をはじめ、高橋幸宏、坂本龍一(両名製作時生前)、高中、小原礼など加藤と深く関わった音楽家たち、そしてミカバンドをプロデュースしたクリス・トーマスや、音楽プロデューサーの牧村憲一などスタッフ陣、果ては料理人まで、実に実に多岐に渡る関係者の証言で、フォークル「帰ってきたヨッパライ」から、ソロ活動、ミカバンド、ソロに戻っての竹内まりやのプロデュース、そしてヨーロッパ3部作へと加藤和彦の『本当にこれが同一人物の仕事なの?』と思わずにいられない音楽的変遷が描かれます。
なんといっても加藤が Tレックスやボウイを現地で目の当たりにしてグラムロックに触発され、ミカバンドを結成し、イギリスで注目を得て、クリス・トーマスと出会い「黒船」「HOT! MENU」を制作するくだりの高揚感はやはり、ゾクゾクしました。
登場する映像では、あの1975年10月5日放送BBC2「The Old Grey Whistle Test」の映像はもちろん最高だけど、ドラムがつのだ☆ひろの頃の11PM出演時の「サイクリング・ブギ」にひっくり返りました。
前者を観ても、決して上手な歌い手ではないミカのオシャレかっこいい堂々とした佇まいやパフォーマンスにシビレます。
そして、ミカとクリス・トーマスの諸々があり、バンドは解散。
新たに加藤は安井かずみというパートナーを得ます。
私の加藤和彦のイメージは、ずっとこの頃でした。
彼が亡くなった時、私は日記にこんなことを書きました。
「加藤和彦は、10代の頃から、オシャレで、きどって、クールで、バブルの匂いぷんぷんさせた、でも「とてもロックに詳しい人」ってイメージが一番強かったです。
で、フォークルにミカバンドでしょ。嫌いになれない、というか「かなわない」という感じでした。かっこよすぎだったのです。」
「しかし。死んでる場合じゃないでしょ。
結局あなたのことはわからずじまいでした。嫌いになれない、というか「かなわない」という感じでした。かっこよすぎだったのです。」
( 「加藤和彦さんのこと」2009年10月17日)
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余談ですが、私は、この年の冬に軽井沢に日帰りでスキーに行きました。彼が亡くなったプリンスホテルのロビーは人がごった返して、身動きが取れない。待ち時間が長いので、スタッフの方に「加藤和彦さんが亡くなったのは、どのお部屋ですか?」と声を掛け、不思議な表情でスルーされたことを覚えています。
嫌な客ですね….。
映画では、このモヤモヤ感を北山修が『彼はいつも居心地が悪かった。だから常に違う新しい場所を求めたのではないか』といった発言をしていて、なるほど!と膝を打ちました。
でも、加藤和彦は決して停滞や変化を止めていなかったと思うのです。
この映画では、彼のキャリアのヨーロッパ3部作までを追います。
ヨーロッパ3部作のこの時期は、幸宏さんだけでなく、矢野顕子を含むYMOメンバーともこんなに密に関わっていたのか!という新しい学びを得ました。加藤さんと細野さんの接点を理解したことは新鮮でした。
初めは『ヨーロッパ3部作で区切る編集に、これはこの映画で加藤が音楽的に変化し続けた様だけを追う、ひとつの正しい編集なのかな』と感じました。
いやいや、その後のソロ活動を並行しての映画音楽制作(その中には私が生まれて初めて買ったLPである角川映画「探偵物語」もあります)、桐島かれんを迎えたミカバンド再編(CMソングにもなった「Boys &Girls」は幸宏がメインで歌ってていいんだな。)はどうなんだろう。
加藤和彦は止まってなかったのですよね。
その後、木村カエラでのミカバンド再編や、アルフィーの坂崎幸之助とのユニット「和幸」などがありました。
加藤和彦を受け止める側も止まってなかった。
なので、この映画の予告にあった『それ故に後年悩みも深かった加藤和彦』の悩みの本質をもっと掘り下げて欲しかったという思いもあります。
えー。あと…。
映画内で、初めて見た「あんぐら音楽祭」のパンフかポスターでしょうか。最前列にジャックスの早川義夫さんがいい表情で映っているのもシビレました。かっちょええ。
そしてそして…。
今月頭だったか「この映画なら付き合ってもいいわよ」
と妻に言われていたのだけど、本当に来るのかしらん、タイミングが合うのかしらんと不安で、今日は午前中にひとりで別の映画館に観に行って、実は1日で2度目の鑑賞だったことは、絶対に内緒である。