原風景をめぐる:会津若松市営 年貢町団地
今回の帰省で、是非時間を作って足を運びたいと思っていた、私が10歳くらいまで住んでいた会津若松市営団地 年貢町団地へ。
外壁こそ塗り替えられていたものの、よく遊んだ団地前の芝生の広場が駐車場になってたものの、他は30数年前とほぼ変わらぬ雰囲気。一歩建物の中に足を踏み入れたら、扉からなにから、なにひとつ変わってなくて、めまいがしそうになりました。
近くの床屋と小さな居酒屋も同じ屋号で営業してた。
その隣にあった駄菓子屋さんとお肉屋さんはなくなってた。よくここの肉屋のコロッケをおやつ代わりに食べたもんです。確かひとつ5円じゃなかったかなぁ…でもいくらなんでもそれは安すぎか。
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団地の前に神社のある公園があって、ここもよく遊んだ場所。入り口に道祖神を祀った社があって、ここの石垣がぐるっと回廊みたいになっていて「まわり鬼」とかいって鬼ごっこをしたものでした。こんな幅の狭いところをよく全力疾走してたなぁ…。
公園は恐らくほとんど手入れがされなくなってしまっていて、なかなかの草の伸び放題っぶり。
かつて砂利がしきつめられていた、野球をやった広場も草だらけになってた。
でも遊具も木製のベンチもほぼ当時のままで、そこからゆるやかに朽ちていっている感じで感慨深かった。
2人+2人で向かい合って漕ぐ大きなブランコはなくなってたなぁ。あの手のブランコって確か一時期事故が多発したんだよな。そう言えば今はすっかり見なくなった気がする。
ここに毎年やぐら立てて夏祭りをしてたのも楽しみだった。
もちろん演奏はエンドレスで「会津磐梯山」。
縁日の出店もこの公園にびっしり出ててわくわくしたもの。
学校から帰って少ない小遣いから型ぬきとかで遊んで、夜はじいちゃん、ばあちゃんが家に遊びに来て、食事して、小遣いもらって家族みんなでお祭りに出掛けた。
そんなこんなで傍目から見たら、うろうろキョロキョロして写真撮りまくってる不審者状態でありましたが、『芝生』と呼んでいた団地前の広場が駐車場になり、公園の管理が行き届かない状態になっているのは、うちの家族が入居した40数年前の新築時代から、住人が入れ替わったり、またはそのまま住んでいる方が高齢化して、もうすっかり子供が少なくなってしまったからなんだろうなと。
こどもの日の昼下がり、公園にも団地のまわりにも、全く子供の姿を見かけませんでした。あんなに子供だらけだったこの団地。
あの頃のみんなは今、どこで、何をしているんだろうか。