【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 続報編:続・写真発掘の衝撃!
編集長、編集長!
トルコ「大木戸」の在りし日の写真がまた見つかりました!
掲載は「週刊新潮」1983年2月10日号。
ビートルズ来日から17年後のお話です。
特集記事「アナ場情報とは違う『紳士のためのトルコ風呂』の条件」(P36-39)。
1983年1月に、当時65歳だった黒木従達東宮侍従長が、新宿のトルコ「クイン」で心臓発作で亡くなるという当時話題になった事故がありました。
(東宮侍従=『東宮職の職員で、皇太子に常侍奉仕する官』[精選版 日本国語大辞典(小学館)])
「随分うす汚れたトルコじゃねえか。どうせ昇天すんなら、吉原でも行ってパアーっと派手なところで遊べばいいのによう」
「『クイン』のことを、この界隈では”トルコの姥捨山”なんて呼んでるくらい。若い娘の多い店で働けなくなった女性が、あそこへ来るわけよ」(ともに記事本文より)
などという声もあり、派手で過激なサービスを売りにするお店が持てはやされる中、古き良き「まごころ産業」としてのトルコ風呂も健在だというレポート。
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この中で、老舗の『トルコ御三家』のひとつとして「大木戸」が登場します。
(『トルコ御三家』とは「大木戸」と大森の「歌麿」、もうひとつはよくわかんない・・・。)
「四谷の『大木戸トルコ』も健在。入浴料六千円で、泡踊りや本番サービスはなし。トルコ嬢も三十代から四十代。住宅街に隣接したこの店、かつての”御三家”の中ではひときわひっそりと営業しているが、客筋はいいらしい。
『店を紹介されて、お客さんが増えて警察の目が光ったりすると困るんです。とにかくあまり人に知られないようにというのが方針で・・・』
というくらい。ひょっとすると侍従長以上の”大物紳士”がご愛用かもしれない。」
少し脱線しますが、この文章の直後にコメントが出て来る「二十年近いトルコ商売の経歴」の「小林喜一社長」って、「大木戸」の経営者の名前ってことでよいのでしょうか?
伊達姓とばかり思っていたのですが・・・ここは宿題。
回り道をしましたが、この記事の冒頭に、くだんの「クイン」、大森「歌麿」と並んで、「大木戸」の軒先の写真が小さく掲載されているのです。
これまで私たちは、大木戸の料亭「多満川」ご主人柳谷様に描いていただいたイラストと、「はぐれ刑事純情派 PART 2」 第21話「過去を盗んだ男」(東映製作/テレビ朝日・1989年8月23日放送)に残された映像でしか「大木戸」姿を見ることは、できませんでした。
(「はぐれ刑<>事純情派 PART 2」 第21話「過去を盗んだ男」(東映製作/テレビ朝日・1989年8月23日放送)より)
([参照記事] 【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 続報編:写真発掘の衝撃!)
しかし、そして・・・つ、ついに!
私たちはそこに新たな視点を得ることになりました。
(「週刊新潮」1983年2月10日号より)
いかがでしょうか。
決して鮮明な写真ではありませんが、お店の入り口、その奥の勝手口が確認できます。2階建の料亭「自慢荘」の姿も理解できます。
いやぁ興奮します。
これが、1966年のビートルズ来日時、初回公演を終えた6月30日の夜にロードマネージャーのマル・エヴァンスが接待を受け、ポール・マッカートニーが「オレもそこ行かせろよ」と、翌7月1日に訪問しようとして叶わず、仕方なく皇居見学することになったトルコ風呂です。
なるほど、トルコ風呂訪問が結果、皇居見学ということになったことは、のちの黒木従達東宮侍従長昇天ともなんともいえない因果を感じてしまいます。
本日現場からは以上です。