巌窟ホテルのロマン:吉見の人はなぜ穴を掘るのか その1
小高い石の山に、無数の横穴が開いた不思議な風景があります。
埼玉県・吉見町にある観光名所、国指定史跡にもされている「吉見百穴」です。
「住居か? 墓か?」この穴は一体・・・。
当初、原始時代の土蜘蛛人(コロポックル人)の住居という説も上がりますが、のちに古墳時代の後期〜終末期(6世紀末〜7世紀後半)に造られた横穴墓という結論に落ち着きます。現在は219基の横穴墓が確認できます。(参考:埼玉県・吉見町作成 パンフレット)
かつてこの周辺にたくさんの人々の豊かな営みがあったことをうかがい知ることができる、それはそれは奇妙でワクワクする場所です。
この吉見百穴に至る道の手前に、「うどん・そば」と書かれた青いのぼり旗をはためかせる食堂が、やや不思議な位置になんとなくポツンとあります。
【スポンサードリンク】
数年前に吉見百穴を訪れた際、ちょうど小腹が減っていて、横目でこの店をちらっと見たことを覚えています。
しかし、
「うどんかぁ・・でもせっかく高坂に来たのだから、焼き鳥を食べて行こう」
と、そのまま素通りし、駅に戻ってしまいました。
そして、のちにこの店「巌窟売店」がなぜここにあるのかを知りました。
嗚呼、なんたる不覚。
2022年3月21日。
それを確かめに、再びこの地を訪れました。
「巌窟売店」の道路を挟んだ向かい側は、鬱蒼と草木が高く生い茂っていおり、周りは高いフェンスと鉄の扉で、閉ざされています。
よく目を凝らして奥を見ると、石山に複数の穴が掘られています。
ここにも吉見百穴と同様に横穴墓があるのだろうと思うかもしれません。
でもなんでバルコニーのようなものがあるのでしょう。
さて。
さかのぼること数週間前・・・。
TwitterのTLに流れてきた画像に思わず釘付けとなりました。
それは、建築専門の古本屋 古書山翡翠(@kosho_yamasemi)さんのツイートでした。
超ヤバい写真集が世に生まれたぞっ!
新井英範写真集『巌窟ホテル』
埼玉県比企郡吉見町にある「巌窟ホテル 高荘館」。明治37年から21年間、近くに住む農夫 高橋峯吉がノミとツルハシだけで掘り抜いて造ったセルフビルド建築。 pic.twitter.com/qxo6bAbWNf
— 建築専門の古本屋|古書山翡翠 (@kosho_yamasemi) March 1, 2022
超ヤバい写真集が世に生まれたぞっ!
新井英範写真集『巌窟ホテル』
埼玉県比企郡吉見町にある「巌窟ホテル 高荘館」。明治37年から21年間、近くに住む農夫 高橋峯吉がノミとツルハシだけで掘り抜いて造ったセルフビルド建築。
嗚呼。
またえらいもんを見つけてしまった。
古墳時代につくられた吉見百穴のすぐそばで、遠く近現代に近くなって岩山に穴を掘り、「巌窟ホテル」と呼ばれる建造物をこしらえた人がいたなんて。
しかし、それにしても一体なぜ、吉見の人は穴を掘るのか・・・。
それを確かめに、とりも直さず、現地に赴いたわけでありました。
一通り周囲を観察し、巌窟ホテルの写真や資料も展示しているという通り向かいの「巌窟売店」へ。
「資料を拝見してもよろしいでしょうか。」
「どうぞどうぞ。」
愛想の良い女性が迎え入れてくれました。
店内には在りし日の巌窟ホテルの看板をはじめ、たくさんの写真と資料が展示されていました。
興奮を抑えながら
「これって写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞどうぞ。」
撮影の快諾もいただくこともできました。
かつて、内部を公開し、見学者を受け入れていた頃の外観写真から、外壁に白いペイントがされていたことがわかります。なるほど、あの2階のバルコニーはこう見えていたのか・・・。
そして、内部の写真も多数拝見させていただきました。
予想以上のインパクトでした。
今回対応してくださった女性は、巌窟ホテルを最初に掘りはじめた髙橋峰吉から数えて3代目に当たる方の奥様で、写真や資料を拝見しながら、お話をおうかがいすることができました。
「よかったら、これひとつどうぞ。」
といただいたのは開館していた当時に配布していた「人工名所 巌窟ホテルのしおり」。
貴重なものをありがとうございます。
しおりには、巌窟ホテルに関する基本情報が盛り込まれています。
人工名所 巌窟ホテルのしおり
この岩の中につくられた建物は、明治より大正にかけて、1人の百姓が1挺のノミだけでつくつたものです。どうぞ、その努力のあとをしのびながらご覧ください。
1.発掘者
高橋峰吉という1人の百姓 〔安政5年生〜大正14年没〕〔1858〜1925〕2.名称の由来
多くの人が「巌くつ掘つてる」と言つたのにもとづき英語のホテルの意味でない。3.発掘の年代
明治37年6月より大正14年8月に到る21年間4.発掘の動機
穴倉の中で腐敗した野いちごが、アルコールの香りを放つているのを見て、子供心に醸造用冷蔵庫をつくろうと志したのに始る。5.今後の計画
間口23メートル3階のビルにする計画で、これを完成するには3代150年が必要とされる。6.この建物の特長
イ 1人の人間が、1丁のノミだけで岩中にビルを作り得たこと。
ロ 館中の花瓶・棚等すべて掘り残したものであとから付加したものでないこと。
ハ 室内の温度は、四季を通じて18°-19°に一定しているので、冬は暖く、夏は涼しいこと。
「人工名所 巌窟ホテルのしおり」の裏面には、平面図が記載されています。
これが、巌窟ホテルを掘り始めた高橋峰吉。
その発掘の道具は、このようないたってシンプルなものでした。
「館中の花瓶・棚等すべて掘り残したもの」という記載に関しては、Twitterで漫画家・イラストレータの秋山あゆ子氏(@aa6464)が、1986年5月撮影の美しい画像をアップされていたので、こちらをご紹介します。
「3代150年」で「間口23メートル3階のビルにする計画」だったという巌窟ホテルの完成図も残されています。
これは、高橋峰吉自身の手で書かれたものということです。
高橋峰吉は、一体何に心動かされ、己の人生の21年間を巌窟ホテルづくりに捧げたのか?
山奥にいた奇人だったのか? それとも天才建築アーティストだったのか?
高橋峰吉という人物のことをたまらなく知りたくなりました。