大滝詠一がはっぴいえんど「風街ろまん」のLPカッティングで立ち会った工場
●なに!? 大滝詠一がわが町に来たことがあるって?
雑誌「レコード・コレクターズ」最新号(2021年4月号)の大滝詠一「ロング・バケイション」特集を読んでいて、以下の記述にぶつかりました。
「大滝詠一は71年10月13日に、はっぴいえんど『風街ろまん』のLPのカッティングに立ち会うため、朝霞市の○○○○に出向いたという記録があり、それ以降も自身の作品のカッティングには可能な限り立ち会っていたという。」(P60/○○○○は企業名表記)
なになに!?
大滝さんがわが町、朝霞にやってきたことがあるというのですか!?
朝霞と大滝さんがFUSSA 45 スタジオを構え、そして長年の住まいだった福生(最寄り駅は福生ですが、厳密には隣町の西多摩郡瑞穂町)といえば、『米軍基地の街』という共通項があります。
現在は朝霞に基地はありませんが・・・なんともいえぬご縁を感じます。
大滝詠一の活動の辞書ともいえる「All About Niagara」(白夜書房)を紐解くと、「大滝詠一&ナイアガラ活動年譜」の同日に
と記述があります。
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今回の「レコード・コレクターズ」誌の記事もここから引っ張っているのでしょう。
●浮かび上がったT社とは?
ほぉ・・・。
地元に1970年代初期にレコードのカッティングをする会社があったのかと、
『○○○○(企業名) 朝霞』
で検索してみると、レコードプレスメーカーとして1955年に創業したTという会社が見つかりました。
T社のサイトの沿革をみると1956年に東京都北区に社を構え、2013年に本社を現在の池袋に移します。埼玉県との繋がりがうかがえるのは、2001年に製造、物流業務の拠点統合として新設した東松山工場のみでした。
大滝さんが足を運んだのは、このT社とは別の会社なのか、それとも表に出ていない歴史があるのか。
それとも大滝さんの記憶と記録が間違っているのか。
たまらず、Tの問い合わせ窓口にメールをお送りしました。
突然のメールにて失礼いたします。
御社の歴史に関しましておうかがいしたいことがございましてメールをお送りさせていただく次第です。
ミュージシャンの大滝詠一氏が残している記録の、1971年10月13日に「T社(朝霞)で『風街ろまん』カッティング立会い」という記述がございます。
これは、当時大滝氏が在籍していた、はっぴいえんどというバンドのLPのカッティングで朝霞市の御社に出向いたという内容です。
しかし、御社の沿革を拝見いたしましても朝霞市との接点は見つけることができませんでした。
かつて、朝霞市に御社のカッティング工場があったという事実はございますでしょうか。
もしくは同名の異なる会社でしょうか。大変恐縮ですが、何かおわかりになることがございましたらご教示いただきたく存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。
●T社からの回答。真実やいかに?
翌日の朝、T社からメールのお返事をいただきました。
「お答えする前に確認です。大変失礼ですが、情報の目的を教えていただけますか。」
おっ。
突然のメールに無視もせず、その内容に否定もせず、ということは・・・。
つまるところ、かつて大滝詠一が立ち会ったというLPのカッティング工場をT社が朝霞市に持っていたということを暗に認めたととらえてよいでしょう。
鉄は熱い内に・・・。
すぐに返事を書きました。
今回のお問合せの目的は、純粋に大滝詠一の音楽活動に関する好奇心に端を発するもので、現在当方が住んでおります朝霞市との縁があった可能性を確かめたいと思ったためでございます。
差し支えない範囲で構いません。ご教示賜れましたら幸いです。
ほどなくして再びお返事が・・・・。
それでは簡単にお答えいたします。
かつて弊社は2013年4月まで朝霞市浜崎に事務所がありました。
現在は跡地に分譲マンションが建てられております。
その後、営業事務所は都内に移し、工場は埼玉の東松山市にあります。
1971年当時は、朝霞市浜崎でレコードのカッテッング及びレコードプレス生産を行っておりました。
1971年当時に「大滝詠一氏」がカッティングの立会いを行っていたかについては、よくわかりませんが、レコードのカッティングの立会いはミュージシャンとよく行われておりました。
その後、弊社は1988年にレコード製造は廃業となっております。
簡単ではありますが以上です。
あ、ありがとうございます。
2013年4月まで朝霞に事務所を構えていたということで、改めてT社の名と朝霞市浜崎の住所を検索したところ、埼玉県のNPO法人活動のポータルサイト「NPOコバトンびん」の企業データベースに、「社会貢献活動をする企業・商工団体」としてT社の名が残っており、朝霞市浜崎4丁目(以下略)の住所も確認できました。
JR北朝霞駅、東武東上線朝霞台駅から徒歩10数分といったところでしょう。
その住所の現在を確認すると、メールの「現在は跡地に分譲マンションが建てられております」の通り、2015年4月築、地上8階、総戸数36戸、1LDKで3,000万円半ばの立派なマンションが建っていることが確認できました。
●大滝詠一が訪れたT社の存在の確認作業
翌日。午前中からフィールドワークを開始。
まずは地元図書館へ。
ゼンリンの住宅地図の1970年版、1973年版でT社の存在と場所はすぐに確認することができました。
続いてT社の跡地へ向かうことにしました。
東武東上線朝霞台駅、JR北朝霞駅から徒歩で約10分。
線路沿いに浦和方面に向かうと、右手にひときわ存在感のあるマンションが見えてきます。
ずいぶん広い敷地であったことを確認しました。
その後、T社の社史か古い会社案内がないか、朝霞台の図書館分館で相談をしました。
市内全図書館の所蔵と博物館を当たってもらいましたが、手掛かりはなし。
「商工会に相談してはどうか」との知恵をいただきました。
朝霞市商工会は土日は営業していないので週明けの課題にすることに。
●結論:大滝詠一は朝霞にやってきていた!
はい。
そんなわけで、すべてが繋がりました。
大滝詠一は、1971年10月13日にはっぴいえんどのセカンド・アルバム「風街ろまん」のLPカッティングの立ち会いのために、朝霞市にあったT社の工場を訪れていたのです。
果たして、立ち会ったのは大滝さんひとりだけで、他のメンバーは同行しなかったのでしょうか。
当時、恵比寿に住んでいたはず(福生に引っ越したのは1973年1月)の大滝さんはどうやってT社の工場に出掛けたのでしょうか。
山手線で池袋に出て東武東上線で朝霞方面へ・・・しかし、現在の最寄りの朝霞台駅、及び北朝霞駅ができたのは前者が3年後の1974年、後者が前年の1973年です。
(東武鉄道サイト「駅情報 朝霞台」およびウィキペディア「北朝霞駅」より)
ということは一つ手前の朝霞駅から向かったということでしょうか。
google mapでルート検索をすると・・・徒歩30分または車で7〜8分の距離です。
いやぁ面白い・・・興味は尽きません。
(注)T社より、ウェブサイトやSNSでの情報発信に「社名を出すのは控えて欲しい」とのご要望をいただきましたので、社名をアルファベット表記にいたしました。
●【おまけの話】
一通り目的の調べ物と確かめごとを済ましたところで、ふと
と思い立ち、武蔵野線、中央線、青梅線と乗り継ぐこと小一時間で羽村駅へ。
そこから徒歩20分ほどの羽村市富士見霊園に大滝さんは眠っています。
お墓の前で手を合わせて、ぶつぶつ話しかけたり、大滝さんの手形と握手したりとしばらく過ごさせていただきました。
その後福生散策をして帰路。
さすがに歩き疲れました。
でも、これで心置きなく明日の3月21日が迎えられます。
【追記】(更新 2023年6月3日/SNS投稿 2021年4月17日)
柿崎景二『サウンド・クリエイターのための、デジタル・オーディオの全知識』(白夜書房)掲載の2011年の大滝さんとの対談で、1971年の「風街ろまん」の朝霞でのLPカッティング立ち会いについて触れていてニヤリ。
僕等は71年の『風街ろまん』のアルバムの時、朝霞にある東京電化でカッティングにつきあいました。おそらく日本のグループでカッティングにつきあったのは初めてだったと思います。
大滝さんが
『僕等は』
と言っているのが気になりました。
他のメンバーも立ち会ったのでしょうか?