1960年代、四谷大木戸にあったジャズクラブ その3(2020年5月29日追記)
(タイトルデザイン:竹井ガガーリン)
続きです。
1960年代に四谷大木戸にあったとされるジャズ・クラブ「Club 48」。
ヤフオクに出品されたお店の所在地図や出演スケジュールが記載されたチラシが1963年10月のものとほぼ確定され、出演していたミュージシャンの菅野邦彦氏の回想記や、1964年の住宅地図からその存在を確認することが出来ました。
しかし、一方で1960年代に地元に生活していた方へのヒアリングでは、誰一人身近な場所でジャズ・クラブが営業されていたことの記憶が無いといいます。
実態は確かなのに、そばで生活している人がその存在を認識していない・・・本当にそんなことがあるのでしょうか。
私はダメ元で、今回の「Club 48」のチラシのヤフオク出品者への接触を試みることにしました。
出品物の説明の中に
「多分1964年東京五輪の頃? 新宿・花園から河田町の下宿まで帰る途中、お城のようなラブホテルの手前の路地にあった。」
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という記載があり、これは古書店等の業者ではなく、個人的な所有物の出品の可能性が高いと感じたからです。
出品者のMさんからは快くご対応をいただき、メール等の内容のウェブサイトへの掲載も快諾をいただくことができました。
Mさんは現在名古屋在住で、1960年3月から1968年4月の18歳から26歳の青年期を新宿で過ごされたということです。
まずは、前述の出品物の説明にあった時期と所在地の記載の拠り所に関しておうかがいをしました。
ご質問、ありがとうございます。私の実体験です。其の頃、河田町の東京女子医大病院の裏の下宿に数年住んでいましたので、歌舞伎町町や花園で遊んだ後、タクシー代の節約を兼ねてよく歩きました。大木戸にあったラブホテルは<ホテル本陣>といいました。高級なラブホテルでした。
「ホテル本陣」は、今回の「Club 48」のチラシ掲載の地図でも目印として記載されている富久町の交差点にあったホテルです。
今回出品されたチラシは、Mさんが1963年10月に「クラブ48」に出掛けた際に会場内で配布されたスケジュール表ということなのでしょうか?
このプログラムは1963年(昭和38年)10月の物です。当時の手帳がありましたので確認しましたら10月1日が火曜日でしたから、間違いありません。
クラブ48へはこの月の何時訪れたかは記載されていませんでした。
(略)
クラブ48のプログラムはレジのところにおいてあり自由に持ち帰りました。
私がクラブ48に入店したのは、たしか一度きりです。
「Club 48」外観、内装などお店の雰囲気に関しまして覚えていらっしゃることがございましたら教えてください。
菅野さんの友人を始め、派手な方がお客に多く、田舎の若者にはなじみにくい雰囲気がありました。
フルバンドのチャリー石黒と東京パンチョスが金曜日に出演していましたので、ハコの大きさはある程度あったと思います。
1964年の東京オリンピックの際、東京の街が夜間遊興禁止だったなどという事実はあったのでしょうか?
高度経済成長期ににわかに信じがたい気がしています。
そして「クラブ48」は本当に非合法の「もぐりのクラブ」だったのでしょうか?
東京の夜の街が遊興禁止というのは事実はよくわかりませんが、バ―やキャバレーが風俗営業の為、五輪期間中は営業時間が厳しく守らされた事を言うのではないでしょうか。
新宿渋谷のジャズのレコードを聴かせる店では、普段は営業後に外人が来て演奏することが、ある程度黙認されていました。
それが五輪期間中は取り締まられたのではないでしょうか。正式な許可が取れてない営業だと、常連さんにも店外では駐車違反や、派手なことは遠慮してもらうようにしていたのかもしれません。
また、Mさんはなんとトルコ「大木戸」にも当時通われていたのことで、思い出を寄せていただきました。
トルコ大木戸は懐かしい。
当時の新宿の中では高級な粒沿いの女性が多い店でした。トルコ大木戸は落ち着いた旅館風・料亭風のたたずまいで、調度もけばけばしくなく、タオル類も清潔で女の子もあばずれ風な子はいませんでした。
私は片手ほど通いました。
指名していた女の子が辞めたのでそれを機会に行かなくなりました。
Mさん、貴重な証言をありがとうございました。
・・・それから数日後。
多満川の柳谷さんからもご連絡をいただきました。
え~・・・今、大木戸で古くから営業している喫茶店のマスターに、
「東京オリンピックの頃、この辺にジャズのクラブみたいが物があったか覚えていませんか?」
と尋ねたところ、
「ああ、今のガソリンスタンドの辺りにあったね~・・・・・・なんか、すぐやめちゃったけどね・・・」
とのこと。
「なんか、変なことやっていたんじゃないかなあ~~」
って言ってました。
これで証人も発見したし、先ずはめでたしですね!
ついに、四谷大木戸の住人からも「Club 48」の証言を得ることが出来ました。
・・・それにしても「なんか、変なこと」ってなんだったんでしょうね。
とっっっても気になります。
「Club 48」が短命に終わったわけは、1964年の東京オリンピック時の夜間遊興禁止などではなく、別な理由だったのかもしれません。
そんなわけで、四谷大木戸に「Club 48」の存在を改めて確認することができました。
【追記】2020.3.16.
後日、遁レコサイトに、四谷産まれ!さんからコメントが寄せられました。
「クラブ48」は知ってますよ。ただしあったのを知っていると言うだけで、内容は分かりません。その訳は、当時は小学生で、中に入る理由が無かったわけです。外観はなんとなく覚えています。ほんとにうる覚えですが。
また、「多満川」の柳谷さんからも、続報として四谷大木戸在住の3名から新たに証言を得たとのご連絡をいただきました。
・白い壁に囲まれていて、その外側に竹が植えてあった。
・結構広かった。
・いつもやくざ風の男たちが周りに立っていたので、中に何があるのかは子供(当時中学生くらい)にはわからなかった。
とのこと。
「Club 48」の存在の裏取りが進むのが楽しいです。
【追記】2020.5.29.
先日コメントを寄せていただいた四谷産まれ!さんから、「Club 48」の在りし日の姿のスケッチをお寄せいただきました。
・壁はすべて白
・入り口は黒
・まわりは自然の岩が白砂利の上に
・岩に「Club 48」
想像と違って、随分しっかりした建物だった様子。
当時、小学生だったという四谷産まれ!さんの詳細な記憶恐れ入ります。
ピアニストの菅野邦彦氏のウェブサイトの記載
粗末な施設(巨大な天井の上に雨水がたまっていて、穴をあけて水を落とそうと相談していた)をチャチな映画のセットのようにベニヤ板で何重にも迷路のようにとりかこみ、方々ののぞき穴からアベックにばけて入ろうとする警官をチェックしていた。
との乖離といったら!!
「Club 48」への興味はますます膨らみます。
(続きます。 → 1960年代、四谷大木戸にあったジャズクラブ その4)
大木戸捜査網見ました。「クラブ48」は知ってますよ。ただしあったのを知っていると言うだけで、内容は分かりません。その訳は、当時は小学生で、中に入る理由が無かったわけです。外観はなんとなく覚えています。ほんとにうる覚えですが。なにかお力になれば…