1960年代、四谷大木戸にあったジャズクラブ その2
(タイトルデザイン:竹井ガガーリン)
続きです。
ヤフオク出品物から明らかになった、四谷大木戸にあったジャズクラブ「Club 48」。
検証から、出品されたお店の場所や出演スケジュールが記載されたチラシは1963年(昭和38年)または1968年(昭和43年)のものだろうということがわかりました。
1960年代にトルコ「大木戸」のすぐそばにジャズクラブがあった!
なんとも刺激的な事実であります。
しかし、前回わかったのはそこまで。
もう少し「Club 48」のことが知りたい・・・モヤモヤしながらの数日間に、大木戸捜査網が動き出します。
やまちゃんから情報が寄せられた、ピアニストの菅野邦彦氏のウェブサイトには、紛れもなく「Club 48」のことが詳細に語られていました。
菅野邦彦は今回のチラシにも専属バンドとしてその名が記載されています。
(『管野』と誤植されてますが・・・。)
引用します。
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数年後の東京オリンピックのとき東京の街は夜間遊興禁止であった。そんな環境下、新宿と四谷の間に48(ヨンパチ)というもぐりのクラブがあった。利にさとい東大卒の男が地元のヤ印組織を使って運営していたらしい。粗末な施設(巨大な天井の上に雨水がたまっていて、穴をあけて水を落とそうと相談していた)をチャチな映画のセットのようにベニヤ板で何重にも迷路のようにとりかこみ、方々ののぞき穴からアベックにばけて入ろうとする警官をチェックしていた。そのクラブで、プロになっていた菅野は連夜のように、三橋兄弟(ベースの兄とテナーの弟)、加藤氏(ドラムス)、福地氏(ギター)、笠井ケメコ氏(ヴォーカル)達とバンドを組んで演奏した。
(中略)
当時夜の「遊び場」がなかった東京で「48」には多くの有名人、芸能人が出入りしていた。(草笛光子氏、ピアノの山崎正氏、久里千春氏、北原謙治氏、宍戸錠氏、夏木陽介氏、式場壮吉氏、ミッキーカーチス氏、浅岡氏等々)山崎氏は、後年ナベプロ社長となる渡辺晋とシックスジョーズの一員であり、「48」で知り合った久里氏と結婚する。
やまちゃんありがとう!
「Club 48」が東京オリンピック時に東京の街に敷かれた夜間遊興禁止下で営業していたもぐりのクラブであったとは・・・。
でも、いやしかし。
1964年の東京オリンピック時の夜間遊興禁止下に、もぐりのクラブが、電話番号を4つも持って、所在地の大きな地図を載せた出演スケジュールチラシをばらまいていたというのはどうも不自然な気がします。
つまるところ・・・。
今回のチラシは、1963年(昭和38年)のもので、この時期は普通に営業が出来ていた。
しかし、翌年の東京オリンピックの年に夜間遊興禁止となり、もぐりでの営業を余儀なくされてしまった・・・・こんなところなのでしょうか?
でも、東京オリンピック開催時に「夜間遊興禁止」なんてものが本当にあったのでしょうか。
戦後直後とかならいざしらず、高度経済成長期にそんなことをしたのだろうか・・・。
さて。
四谷大木戸の証人と言えばこの方、料理屋「多満川」のご主人、柳谷さんであります。
地元の方に「Club 48」に関してヒアリングをしていただきました。
昨日のうちに大木戸に住んでいた人6人に訊きました。
結果、誰ひとりそのようなジャズクラブは見たことも聞いたこともないという返事でした。1960年当時で25歳前後の人がものすごく近所にあったはずのものを知らない、そんなものはなかったと思うと言っております。
なかでも住宅地図でみてもらえるとわかるのですが、通りを挟んでアマンドの向かい側のSさんにも聞いたのですが、S工業でしばらく働いていたけど、そんな話聞いたことがないとのこと・・・・謎が深まります。
「Club 48」は本当に大木戸にあったのでしょうか・・・・・?
えーーー!?
チラシに掲載されている地図と所在地の記載には紛れもなく「四谷4−30」とあって、出演者の菅野邦彦氏の証言もある。出演者の顔ぶれからチラシは1963年のものと思われ・・・ここまで情報が揃っていて、どうして実態を掴みきれないのでしょうか。
たとえ、本当にもぐりで営業していたにしても、ライブハウスが地元にあって、それを住民の方が知らないというのも不思議な気がします。
私はなにかを根本的に見落としているのでしょうか・・・。
何だか夢を見ているような感覚です。
今一度、客観的事実を当たろう。
私は国会図書館に向かうことにしました。
前回1962年、1963年、1967年の住宅地図をアップしましたが、「Club 48」の記載を見つけることが出来ませんでした。
そこで私の保有地図の歯抜けを保管するためです。
もぐり営業をしていたとされるジャズクラブが住宅地図に記載されていることは可能性薄とは重々承知ですが、いても立ってもいられませんでした。
そして1964年、1965年の地図を見せていただくことにしました。
(1966年は所蔵無し。)
え、え、え、あれ!?
あっけなく1964年の住宅地図に「クラブ48」の文字を見つけてしまいました。しかも結構な広い敷地です。
翌1965年の地図ではこの辺りの記載が曖昧になっており、1967年には駐車場になってしまいます。
この住宅地図から読み取ることが出来ることは、「Club 48」が1964年の東京オリンピック前にオープンし、オリンピック開催時にはもぐり営業を余儀なくされ、その1〜2年には閉店に追い込まれた・・・ということなのでしょうか。
goo地図では、1963年(昭和38年)の航空地図を見ることが出来ます。
で、確かにここになにか大きな施設があったことが確認出来るのです。
これは「Club 48」ではないでしょうか。
ミュージシャンの証言がある、地図にその存在の記載がある。
しかし地元の人が誰も知らない・・・・何だか夢みたいです。
四谷大木戸は深過ぎます。
ヤフーオークションへの出品者です。良くお調べになりましたね。私の在京期間は1960年3月から1968年4月ですから、このプログラムは1963年(昭和38年)10月の物です。当時の手帳がありましたので確認しましたら10月1日火曜日でしたから、間違いありません。クラブ48へはこの月の何時訪れたかは記載されていませんでした。6日・日、7日・月、8日・火は新宿厚生年金会館へ6時30~連続で入場していました。誰の演奏会かは記載されていませんでした。20日・日曜日は午後一時開演で、読売ランド・谷間の音楽堂でトシコ・マリアーノカルテット、八木正生トリオ+宮沢昭、ジョージ川口とキングソロモン、藤家虹二+横内章次クインテットが出演で入場料150円均一と豪華な割にお値打ちでした。当時は大学生が一日八時間アルバイトして350円~500円の時代でした。その翌日の21、22日はマックス・ローチが産経ホールで6時半から公演しました。これも二晩行きました。当時は多重?アルバイトで稼ぎ、地方から出てきた学生にしては資金豊富でした。
トルコ大木戸は懐かしい、当時の新宿の中では高級な粒沿いの女性が多い店でした。私も複数回お世話になりました。18歳から26歳の楽しいお江戸の生活でした。