なぜヤードバーズはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカバーをしたのか
数日前、TwitterだったかFacebookのTLに「なになに?」と引っかかる音源が流れて来ました。
ヤードバーズがヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「I’m Waiting For The Man」をカバーしている1968年の演奏音源です。
(ただジェフ・ベックとペイジのツインギターのこの映像と音源は時期が違うので注意です。映像は音源の数年前でしょう。→[追記(2023年1月13日)]映像は1966年7月22日 French Festivalのもの。)
ヤードバーズがVUをカバー??
これって知ってる人はみなさん知ってる事実だったんでしょうか。
時空のねじれのようななんとも言えない違和感をおぼえてしまいました。
音源を聴けば、確かに紛れもなく曲は「I’m Waiting For The Man」で、ヤードバーズらしいブルース風味のポップロックなアレンジで演奏がされています。
ふむふむ、面白い。
いやいやしかし。
1968年に解体した英国のブルース・ロックバンドの雄と、1960年代後半にアメリカはニューヨークでアンディ・ウォーホールに見初められたアングラロックバンドとは、一体どこに接点があったのでしょうか。
まずはこの写真を。
getty imagesからの画像です。
キャプションを引きます。
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‘The Yardbirds’ With Warhol
NEW YORK – SEPTEMBER 8: Singer Keith Relf (left) and guitarist Jimmy Page (right) of the rock band ‘The Yardbirds’ chat with Andy Warhol at the press party announcing that Page will join the group on September 8, 1966 in New York City, Ne
この写真は1966年9月8日のものとあります。
ジミー・ペイジ加入後のヤードバーズは、1966年に2回のツアー、1967年はニューヨークCBSスタジオでのレコーディングや12月にはマジソン・スクエア・ガーデンでヤングラスカルズの前座を務め、1968年4月にはアンダーソンシアター出演のためニューヨークを訪れるなど、頻繁にアメリカに渡っていました。(参考「レッド・ツェッペリン物語」スティーブン・デイヴィス(著)中江昌彦(訳)CBSソニー出版)
また、サイト「BARKS」の2013年11月21日付の記事によれば、ペイジのオフィシャル・サイト(Jimmypage.com)に下記のコメントを掲載したとあります。
ペイジは月曜日(11月18日)の「ON THIS DAY…」では、1966年11月18日を回想。「ミシガン州フェアーでヤードバーズとプレイした」と題し「ヤードバーズはミシガン州デトロイトで開かれたミシガン州フェアーでプレイした。ディック・クラークがCaravan of Starsと一緒に姿を見せた! それによって、またアンディ・ウォーホルに会うことができた。彼はヴェルヴェット・アンダーグラウンドを紹介するためフェアーに来ていた」
「『また』アンディ・ウォーホルに会うことができた。」
とあるように、1966年にペイジはウォーホルと複数回会っているということがわかります。
では、1966年11月18日に関して、深掘りしてみます。
ペイジが語るヤードバーズが演奏した「ミシガン州フェアー」とは、1966年11月18日〜20日にデトロイトで開催された「The Carnaby Street Fun Festival」のことでしょう。
「The Carnaby Street Fun Festival」には、ヤードバーズ、ジェゲイリー・ルイス&プレイボーイズ、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオズ、ディック・クラークも出演したとのこと。
この最終日、11月20日に、ウォーホルによるハプニングイベント「Mod Wedding」が開催されます。「Mod Wedding」は結婚式を模して、男性がハンマーで車を壊し、ウォーホルが女性の着ているドレスにペンキとケチャップを塗り、音楽はヴェルヴェット・アンダーグラウンドが演奏しました。
[参考]https://warholstars.org/1966.html
https://dangerousminds.net/comments/amazing_mod_wedding_with_andy_warhol_the_velvet_underground_nico_1966
ペイジはこの時にヴェルヴェット・アンダーグラウンドを知った可能性が高いのではないのでしょうか。
またさかのぼること1965年。
ヤードバーズ加入前のペイジは、ローリング・ストーンズのマネージャーのアンドリュー・オールダムが運営するレーベル「イミディエイト」のスタッフ・プロデューサーとして雇われています。そこでヴェルヴェット・アンダーグラウンド加入前のニコのシングルを手がけています。
・Nico「The Last Mile」
(参考「レッド・ツェッペリン物語」スティーブン・デイヴィス(著)中江昌彦(訳)CBSソニー出版/「奇跡 ジミー・ペイジ自伝」ブラッド・トリンスキー(著)山下えりか(訳) ロッキング・オン)
これで、違和感とともに遠く離れた2つの点に思われた事象が、うっすら線で結ばれて来たように思われます。
次に、セットリストのウィキペディアとも言えるsetlist.fmで確認してみます。
ヤードバーズが「I’m Waiting for the Man」を演奏したのは1968年のツアーのみのようです。
ペイジがVUを認識したと思われる1966年、ウォーホルによるバナナのジャケットで知られる「I’m Waiting for the Man」を収録したVUの1st「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」のリリースが1967年3月、ヤードバーズがライブで「I’m Waiting for the Man」をカバーした1968年・・・・ヤードバーズとVUがつながったことは察することができました。
さてこの2年の間に具体的にどんなやりとりや経緯があったのか、興味はつきません。