レッド・ツェッペリン 1971年初来日時撮影のプライベートフィルムの検証(2021.9.25追記)
「こんなものがあるのか!」とズルズルと思わず引き込まれてしまいました。
YouTubeでなんとはなしにぶつかった動画「Led Zeppelin Japan 1971 (home movie)」であります。
この約12分の素人撮影の動画は、1971年のレッド・ツェッペリンの初来日時の模様を撮影されたものです。
内容は下記で構成されています。
a.新幹線で移動するメンバーの様子
b.滞在先のHOTEL HIROSHIMA GRANDでの様子
c.広島市役所訪問時の様子
d.広島平和記念公園訪問の様子
e.繁華街訪問の様子
f.帰路の飛行機の様子
g.到着の空港での様子
この映像をわかる範囲で紐解いてみたいと思います。
では。
まず、ZEPメンバーの来日時の動きを整理します。
1971年
9月19日 午後3時25分 ペイジ、ボンゾ羽田空港着
9月21日 プラント、ジョン・ポール羽田空港着
9月22日 宿泊していた赤坂ヒルトン・ホテルにてメンバー記者会見
9月23日 日本武道館公演
9月24日 日本武道館公演
9月25日 京都へ移動、観光
9月27日 広島へ移動し広島記念公園・広島市役所を訪問。その夜、広島市民体育館公演。
9月28日 大阪フェスティバルホール
9月29日 大阪フェスティバルホール
9月30日 プラント、ペイジ、リチャード・コール離日。タイ、香港、インドを回ってからイギリスに帰国
10月1日 ボーナム、ジョーンズ、ピーター・グラント離日。モスクワ経由でイギリスに帰国
「a.新幹線で移動するメンバーの様子」の映像は、新幹線の車窓から東京タワーを捉えたシーンからはじまります。
【スポンサードリンク】
つまりこれは、9月25日の東京から京都への移動の模様であると察することが出来ます。
【追記】2019.2.9.
この点に関して、Facebook上で
・このカットは、メンバーが滞在していたキャピトル東急ホテル(当時・東京ヒルトンホテル)の窓から溜池交差点方向を撮ったものではないか。
・その証拠に外苑通りのコマツ本社の屋上のブルドーザーが写っている。
・今はアークヒルズのタワーで遮られて見えないが、80年代中頃までは都心の何処からでも東京タワーが見えた。
という見解があがりました。
ほー!
ありがたい情報であります。
キャピトル東急ホテル(当時・東京ヒルトンホテル)は、「【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史」でもおなじみの、ビートルズが1966年の来日時に滞在したホテルでもあります。
レッド・ツェッペリンもこの来日時、同じホテルに滞在し、記者会見もここで行いました。
「コマツ本社の屋上のブルドーザーが写っている」
とはなんだろうと改めて映像を凝視してみると、なるほどこれのことですね。
コマツビルは、東京都港区赤坂2丁目にある小松製作所(コマツ)の本社で、サイトで沿革を見ると、「1966年3月 現住所に本社新社屋(小松ビル)竣工」とあります。そして屋上にブルドーザの大きな模型があり、後ろに東京タワーが見える画像が掲載されていました。
(小松製作所(コマツ)ウェブサイトより)
では位置関係を確認してみます。
(Google mapより)
なるほど。
キャピトル東急ホテル(当時・東京ヒルトンホテル)からの眺めだと、近くのコマツビルと重なりながら東京タワーを見れることがわかります。
今回の映像と見え方が一致するようです。
一方東京駅から東京タワーを眺めると視界にコマツビルが入らない、または右手に遠くに見えるはずだということが理解できます。
また、コマツビルの階数は「地下4階・地上10階・塔屋4階」とのこと(ウィキペディアより) です。
今回の映像では「地上7〜10階・塔屋4階」をとらえています。
もし仮に東京駅の新幹線の車窓からの映像でしたら、下からコマツビルを眺めるアングルにならなければいけないしょう。
つまり、高い建物からの撮影ということも理解できます。
結論として、今回の映像の冒頭のカットは、レッド・ツェッペリンのメンバーが滞在していたキャピトル東急ホテル(当時・東京ヒルトンホテル)の窓から撮影されたものと思われます。
次に、京都観光の模様を撮影した雑誌「ミュージック・ライフ」掲載の写真を見てみます。
これで京都滞在時のメンバーの服装を確認します。
では、映像を見ていきましょう。
新幹線車内を撮影した映像は、どうしても光量が足りず、メンバーの服装の模様や色を細かく確認するのは難しいのですが、一瞬だけ社内に強い日光が差し込んだこの場面がありました。
ここで裸に青のシャツをボタンもとめずに胸をはだけたまま羽織っているロバート・プラント、白いシャツに青のジャケットのジミー・ペイジを確認することができます。
ジョン・ポール・ジョーンズの姿も、暗めの動画の明るさとコントラストをいじってみました。
これでVネックの紫のシャツであることがおわかりいただけるのではないでしょうか。
続いて京都駅に着いた際と思われるホームでの映像からです。
正面から映ったロバート・プラントはまぎれもなく先の京都観光の模様を撮影した「ミュージック・ライフ」掲載写真の服装と完全に一致しています。
ホームのエスカレーター(階段?)を降りようとするジョン・ポール・ジョーンズの後ろ姿の服装は紫のシャツです。
この映像が京都駅のホームであるということの多角的な理解のために、雑誌「ミュージック・ライフ」に向けてに撮影されたと思われる下記の画像を引いておきます。
Led Zeppelin on a platform at Kyoto Station, September 25th, 1971.
(Credit:Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images)
(Photo by Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images)
これで、「a.新幹線で移動するメンバーの様子」の映像は、9月25日の東京から京都への移動の模様であると断定できるのではないでしょうか。
その後2:48〜からいくつか断片的な映像が編集されています。
下記画像のピーター・グラントとスタッフが散策する様子は、先の京都観光の模様を撮影した「ミュージック・ライフ」掲載写真とグラントの服装が、半袖シャツに長くて太いネクタイと一致するように見えます。
また、一緒にいるスタッフの赤っぽいオレンジのシャツも新幹線車内での服装と同じに思われますので、映像は3:21まで京都滞在時のものであると言えるのでないでしょうか。
【追記】 2021.9.25.
このシーン(2:53頃)と同じ場所で撮影された、ペイジ&プラントの写真が残されています。雑誌「ミュージック・ライフ」でツアーに同行した写真家・長谷部宏氏の撮影のものです。
2つの案内板を含め背景が一致します。同じ場所で撮影されたと判断してよいでしょう。
写真のキャプションには「9月25日、京都市内。2人はメンバーかスタッフを撮っているのだろうか。」とあります。場所は、宿泊先のホテルの入り口の車寄せ辺りではないでしょうか。
これでこのシーンが京都滞在時のものであるという根拠がひとつ追加されました。
「b.滞在先のHOTEL HIROSHIMA GRANDでの様子」の映像(3:22〜3:56)は滞在先の窓から望遠で撮られたお城の姿から始まります。
公式ホームページからの画像と比較してもこれは広島城で間違いないように思います。
続いてHOTEL HIROSHIMA GRANDの玄関の様子。
ホテルを出るジョン・ポール・ジョーンズ、ジミー・ペイジの様子を捉えています。
そしてタクシーで移動する車内の様子に続きます。
次の「c.広島市役所訪問時の様子」映像(4:14〜5:15)は、この日の夜のライブの収益700万を寄付する寄付するため訪れた広島市役所での様子でしょう。
映像で見られる玄関の様子、柱の形状、窓の形、屋上に掲げられた日本国旗と県旗(?)は、このサイトに掲載されている当時の広島市役所全景、玄関、銘板の画像と比較すると一致しているとみて間違いないと思われます。
また、山田節男広島市長に被爆者援護資金として約700万円寄贈の目録を手渡し感謝状を受け取るメンバーの有名な写真
と、映像(4:47〜5:07)で市役所から出てくるメンバーの服装は完全に一致することがわかります。
そして続くは、「d.広島平和記念公園訪問の様子」の映像(5:16〜7:50)です。
さて。
ここまでご覧になって、みなさま気になっていることがありませんでしょうか。
そうです。
この動画全編には、一切ジョン・ボーナムが映っていないのです。
ということは、つまり撮影者は、ジョン・ボーナムであるということなのでしょうか。
その証拠をひとつ見つけることが出来ました。
広島平和記念公園の芝生でロバート・プラントとジミー・ペイジがファンやマスコミに囲まれているシーンがあります(6:00あたり)。
この様子を反対側から撮影した写真があります。
(Credit:Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images)
いかがでしょう。
撮影機材を手に嬉々として芝生に入る笑顔のジョン・ボーナムの姿がはっきり捉えられています。
そして、ロバート・プラントとジミー・ペイジを撮影するジョン・ボーナムの姿もありました。
(Credit:Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images)
この映像全編がジョン・ボーナムの撮影のものだとは断定できませんが、少なくともこの広島平和記念公園でのショットは彼の撮影のものと言って良いのではないでしょうか。
続く「e.繁華街訪問の様子」映像(7:51〜10:00)は、まず冒頭ロバート・プラントとジミー・ペイジが車で別行動のため去って行くところからはじまります。
そしてピーター・グラントがカメラ店で商品を物色しています。
映像で確認できるお店の名前は、
・フタミカメラ
・株式会社モーターポート商会
・教文館
といったところ。
映像の時系列から察すると広島か大阪でのオフの様子だと察しましたが、いやいや、フタミは銀座にあったカメラ店(戦前は2丁目、戦後は4丁目)という記述がここにありました。
双美商会は戦後まで銀座にあったカメラ店です(戦前は2丁目、戦後は4丁目)。
また、モーターポート商会、教文館はやはり銀座4丁目にあったお店ということがここでわかります。
●四丁目=教文館、富士アイス、栗本運動具店、新川洋服店、岩岡株式店、モーターボート商会、御木本真珠店、山野楽器店、木村屋総本店、服部時計店。
教文館はキリスト教関連書籍を出版する会社で、今も銀座4丁目にあります。
映像でも「教文館」の看板とともに「キリスト教」の文字が確認できます。
つまりこの映像は、東京滞在時、銀座を訪れたときのものであるということになります。
続く「f.帰路の飛行機の様子」〜「g.到着の空港での様子」の映像(10:01〜)は、映っているのがピーター・グラントとジョン・ポール・ジョーンズで、ペイジ&プラントが一切映っていないことから「10月1日 ボーナム、ジョーンズ、ピーター・グラント離日。モスクワ経由でイギリスに帰国」の際の映像と思われます。
「g.到着の空港での様子」の映像(11:50〜)はどうも日本の空港内に思えて仕方がないので、モスクワやイギリスの空港ではなく、離陸前の様子の可能性もありと感じています。
以上、1971年のレッド・ツェッペリン初来日時撮影のプライベートフィルムの検証でございました。
[参考資料]
「レッド・ツェッペリン復活」(音楽専科社)
「レッド・ツェッペリン:コンサートファイル」(デイヴ・ルイス共著・シンコーミュージック)
「レッド・ツェッペリン 全活動記録 1968-2007」(マーク・ロバーティ (著)/前むつみ (翻訳)/シンコーミュージック)
「スポーツニッポン」(1971年9月28日付)
ビデオではなく、8mmフィルムではないでしょうか。