自慢本店別館落成チラシの発行年の特定
続きです。
今回発掘された四谷大木戸にあった料理屋、自慢本店の別館落成チラシが数日前に手元に届きました。
A4よりも大きなサイズで厚手の用紙。
これは配布するものというより、掲示する貼り紙用だったのではないかという印象を受けるものでした。
内容からは新しい発見はなく、期待していた裏の手書き文字も翻訳の勉強かなにかのメモで、自慢本店別館落成とは全く関係のないものでした。
残念。
さて。
今回の経緯で、Facebookを通じて四谷大木戸の証言者「多満川」の店主柳谷様からこのチラシに関して見解をおうかがいすることができました。
前述した通り、チラシに掲載されている電話番号
「四谷(35)五二五三番」「四谷(35)四八三六番」
に関しては、「東京待合業組合聯合会名簿」(東京待合業組合聯合会・編)の1943年(昭和18年)版で相違ないことが照合が出来、1950年(昭和25年)版の「東京料亭組合連合会会員名簿」(東京料亭組合連合会・編)では、自慢本店が「淀橋(37)三七三九」と変わることが確認されます。
このことに関して、
さて、電話番号ですが、1960年代には、この辺は市内局番が351になっていました。
また、353、357、のような35のシリーズになっており、四谷局もありましたので、淀橋局になったのは、一時的なものではないかと思います。
とのコメントをいただきました。
そこで、1950年(昭和25年)版行以降の「東京料亭組合連合会会員名簿」を確認していくと、確かに市内局番「淀橋(37)」が使用されているのは、翌1951年(昭和26年)版までの一時的なもので、1952年(昭和27年)版からは「四谷(35)」に戻ることがわかります。
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しかし、ここでの自慢本店の電話番号は「四谷(35)二七三九」とあり、今回のチラシ掲載の番号とは異なります。以降、この番号を残しながらもう1回線番号を増やしたりもするのですが、チラシ掲載の番号が登場することはありませんでした。
また柳谷様のお母様からの証言で
このへんは戦災ではなく、強制疎開と言って、全部国が強制的に疎開させて、更地にしちゃったそうで、本店さんも当然更地になっちゃったそうで、面影があったかどうか、判らないということでした・・・。
とのお話もお寄せいただきました。
そして、
あまり古いと、電話が無かったかかもしれませんので、やはり昭和初期の辺りではないかと思います。
というコメントも拠り所となるでしょう。
そこで古い電話帳を当たってみることにしました。
かつてのタウンページ、「職業別電話名簿」(日本商工通信社 編)が、国会図書館のデジタルコレクションで公開されています。
この1935年(昭和10年)発刊の第25版を見ると、まぎれもなく自慢本店が
「四谷(35)五二五三番」「四谷(35)四八三六番」
の番号にて掲載されていることが確認できました。
1年さかのぼって1934年(昭和9年)発刊の第24版を見るとお店は「自慢」(志に濁点、満、ん)表記で、電話番号の掲載は
「四谷(35)五二五三番」
のみです。
つまり、前述の「四谷(35)五二五三番」「四谷(35)四八三六番」が「東京待合業組合聯合会名簿」(東京待合業組合聯合会・編)の1943年(昭和18年)版で確認が出来ることから、この2つの番号が使用されたのは、1935年(昭和10年)から戦中の1943年(昭和18年)頃までといえるでしょう。
そして、自慢本店の電話番号が2つに増えた1934年(昭和9年)と1935年(昭和10年)の間こそが、事業拡大を行った別館落成のその時、まさにこのチラシが作成された時といえるのではないでしょうか。
さらに有益なアドバイスとして、
メニューみたいなものが書いてあるようですが、価格から年代を類推することはできないでしょうか?
というご意見もうかがいいたしました。なるほど。
チラシには
金参圓会
御一名様二対シ
料理 五品
御酒 大二本
藝妓 御客様六名様二対シ 一名(二時間)
女中心付等一切
金四圓会
御一名様二対シ
料理 六品
御酒 大二本
藝妓 御客様五名様二対シ 一名(二時間)
女中心付等一切
金五圓会
御一名様二対シ
料理 七品
御酒 大二本
藝妓 御客様四名様二対シ 一名(二時間)
女中心付等一切
と、3つのコースが記載されています。
柳谷様からは
昭和10年ころの貨幣価値は、当時の1円が今の3.000円くらいという計算もあるそうですので、9,000、12,000、15,000円のコースということになるので、金額的にこの頃じゃないでしょうか?
との見解もいただきました。
なるほど。
確かに妥当な金銭価値のように思われます。
消費者物価指数とGDPデフレーターを拠り所にした「日本円貨幣価値計算機」で検証すると、現在との貨幣価値の乖離は、1931年(昭和6年)がピークとなるようで、当時の3円が2017年の価値で6,501〜7,045円とあります。
CPI:1931年(S6)の3円は、2017年(H29)の6,501円にあたります(2167倍)
GDP:1931年(S6)の3円は、2017年(H29)の7,045円にあたります(2348倍)
(日本円貨幣価値計算機より)
結論です。
このチラシは、1934年(昭和9年)と1935年(昭和10年)の間に作成されたものであるとここに断定します。
この見解、果たしていかがでしょうか。
1件の返信
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