歴史的発掘資料の衝撃と謎:自慢本店別館落成告知チラシ
ブランの竹井メンバーからタレコミをいただき、歴史的重要資料をヤフオクで落札いたしました。
な、な、なんと! 自慢本店の別館落成の告知チラシであります。
てっきり自慢本店の別館とは、自慢荘のことを云っているのだろうと察しましたが、真実はそんなに簡単な話ではないようです。
当方が所有する資料の範囲では「東京待合業組合聯合会名簿」(東京待合業組合聯合会・編)の1943年(昭和18年)版で自慢本店と自慢荘(名簿の記載は自慢支店)が初めて組合員として掲載されます。
名簿を見ると、チラシに掲載されている電話番号「四谷(35)五二五三番」「四谷(35)四八三六番」は、ともに自慢本店のものであることが確認出来、自慢荘の電話番号は「四谷 五一三六」とあります。
そしてこの電話番号は、1950年(昭和25年)版の「東京料亭組合連合会会員名簿」(東京料亭組合連合会・編)では、自慢本店が「淀橋(37)三七三九」、自慢荘が「淀橋(37)三七五三」と変わります。
これは、1947年(昭和22年)に東京都の区が35から現在の23に再編されたこととも関係があるのでしょう。この時、四谷区、牛込区、淀橋区が新宿区に統合されます。その流れで、電話番号も変わったものと察せられます。
(参照:東京公文書館 大東京35区物語)
つまるところ・・・。
・このチラシは少なくとも1947年(昭和22年)以前のものであること。
・このチラシは自慢荘のオープンを意味しているのではなく、飽くまで自慢本店の事業拡張のものであるということ。
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が理解出来ます。
やはり「自慢本店と自慢荘は経営者が別の店」という視点を決して忘れないことが重要のようです。どうもここにミスリードがあります。
やはり真実はそんなにすぐにはつかめないものなのですね。
嗚呼、嗚呼。
ワクワクがとまりません。
#裏ビートルズ来日学
1件の返信
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