日本奇術協会創立50周年記念公演のパンフとアダチ龍一のこと
(※2018年12月23日追記)
ヤフオクに実に実にたまらぬお宝が出品されていました。
1986年(昭和61年)に浅草公会堂で開催された日本奇術協会創立50周年記念公演のパンフレットであります。
この時、4代目、6代目と会長を務め、のちに永久会長に就任したアダチ龍光が亡くなって4年。
龍光は、この10年前に開催された日本奇術協会創立40周年記念公演に、当時80歳で出演をしており写真も残っています。
(日本奇術協会創立70周年記念誌「七十年の歩み」より)
50周年記念公演のパンフには、歴代会長として龍光の写真も掲載されています。
また、とても興味深いのが、この公演で龍光の通い弟子で現在も寄席でご活躍のアサダ二世(作家の阿佐田哲也(色川武大)の弟)が龍光の十八番であったロープとパン時計を演じており、龍光への追悼の意があったことが察せられます。
そしてまた、会員一覧には直系の弟子であったアダチ龍一の名前が確認出来ます。
他の会員が画像付きで掲載されているにも関わらず、マメ山田という方と龍一のみ文字だけの掲載になっています。
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龍光の直系の弟子としてはアダチ龍一とともにアダチ光一がいました。
アダチ光一は、その姿を映像などで観ることができ、その人柄やその生き方に関しては近くにいらっしゃった数人の方からお話をおうかがいしたことがあるのですが、アダチ龍一に関しては、写真や映像を全く見たことがなく、どんな人物でどんな奇術師であったのか全くわからないことばかりです。
外弟子だった光一。内弟子だった龍一。
「光一はだらしのない人間で、厳しい龍光家に嫌気がさして出て行った。今はどこでなにしてるかもわからない。」
という証言もおうかがいしたこともございます。
この「龍光直系弟子、光一と龍一」というのもなかなか深くいテーマなので、またの機会に追いかけたいと思っています。
寄席の出番表のデータベースを確認すると、光一が何らかの問題にあい? 起こし? しばらく休席を続けた後、龍光が亡くなった直後の1982年(昭和57年)11月上席ごろ名前が消えます。
一方で龍一は龍光没後も安定したスタンスで寄席に出演し続けます。
(現在は故人です)
当時第一線で活躍していたに関わらず、ここで顔写真の掲載を拒む龍一の思いとは?
改めてアダチ龍一に関して興味津々となりました。
いろんなことが読み取れ、かついろんなことが気になってくる資料であります。
その後・・・。
Twitterを通じてご連絡をいただき、なんとアダチ龍一のテレビ出演映像を拝見することが出来ました。
「マジックQ」という番組で1985年11月27日テレビ大阪にて放送されたものだとか。
エンドロールに「製作 テレビ東京 テレビ東京スポーツニュース社」の文字が確認できますので、関東でも放送されたものでしょう。
披露されるのは、
・2つの筒の中でビール瓶が移動したり、増えたりするネタ
・巾着袋から卵が出たり消えたりし、最後に巾着袋がニワトリの形に変わるネタ
・先ほど出した卵を湯呑茶碗に割り、紙の筒に注ぐ。逆さにして扇子で仰ぐと紙吹雪が出てくるネタ
オーソドックスなスタイルの演技。
兄弟弟子のアダチ光一の方がふてぶてしくて華がある印象で、対照的に感じました。
なんという貴重な映像。感激であります。