ビートルズ来日公演:「大村崑ビデオ」によるテレビ本放送の確認作業
今朝、猛烈に1966年ビートルズ来日公演「大村崑ビデオ」のことが気になって仕方がなくなり、本件に関して最も詳しい言及がされているという「『ビートルズと日本』ブラウン管の記録」(著・大村亨/シンコーミュージック)を都心の書店へ出掛け購入。
「大村崑ビデオ」とは、1966年7月1日21:00〜22:00に全国ネットされたビートルズ来日公演のテレビ放送「特別録画中継『ザ・ビートルズ日本公演』」を、喜劇役者の大村崑が当時非常に高価で所有者が限られていた民生用ビデオ・レコーダーで録画した映像であります。
もちろん現在では、ビートルズの演奏や前座の演奏など本放送のための素材は、公式・・・時には非公式な方法をもって、6月30日の夜と7月1日の昼の2公演を高画質のカラー映像で観ることが出来ます。
テレビ放送を、ブラウン管にカメラを向けて撮影した写真などは「ビートルズ来日学」(著・宮永正隆/DU BOOKS)をはじめこれまでも観ることが出来ました。
しかし、実際の1966年7月1日のテレビ放送が、リアルタイムで一体どのような60分の番組構成でなされたのか・・・いつどんなCMが入り、どんなテロップの挿入のもと放送されたのかを知ることは難しいというのが正直なところです。
そして。
正史として伝え聞く、
・本放送は2公演撮影された内、7月1日の昼公演が採用されたということ
・放送された前座の映像も同じく7月1日の昼公演であったのかということ
も、この目で確かめたことはないのであります。
1966年の本放送そのものが映像として収録されている、この「大村崑ビデオ」の貴重さがご理解いただけますでしょうか。
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さて。
この「大村崑ビデオ」の断片とおぼしき映像は、「著作隣接権 ©大村崑」を主張される方のチャネルで4本公開されています。
また、同ソースと思われるものが、SGT.レーベルの「IN JAPAN 1966 50th Anniversary EXTRA EDITION」に収録されています。
この断片映像は、1時間の番組中に流れたCM(すべてライオンのもの)を中心に構成されています。
「『ビートルズと日本』ブラウン管の記録」によると、テレビ放送「特別録画中継『ザ・ビートルズ日本公演』」は下記の構成であったそうです。
来日ドキュメンタリー
↓
(CM1)
↓
前座演奏
↓
(CM2)
↓
ビートルズ演奏
↓
(CM3)
「『ビートルズと日本』ブラウン管の記録」には、この1時間番組のCMのタイミングやCMの映像のシチュエーション、ナレーションも詳細に記載されています。
これらと合わせて見ますと、前述のYouTube動画、そして「IN JAPAN 1966 50th Anniversary EXTRA EDITION」収録動画は、「大村崑ビデオ」からのもので間違いないものと判断しました。
まず最初は[映像1]の「来日ドキュメンタリー」から。
来日公演チケットのコラージュから東京ヒルトンホテルを見上げる映像。
そして
「4人の少年を待って、40数時間前。」
のナレーション。
ビートルズが滞在する部屋を緊張感ある映像で収録します。
(この後、あまりに有名な羽田空港着からホテルに向かう際の、「ミスター・ムーンライト」が流れるあの映像に繋がっていく映像です。)
続く[映像2]は「来日ドキュメンタリー」の後半、ホテルの廊下でE・H・エリックによる短いインタビュー
に答えたのち、その場を去るメンバーの背中を捉えた映像に
「1961年10月、ひとつのギターを4人で買ってバンドを結成したリバプールの少年たち。いい歌を聞かせて下さい。それでは、日本武道館でお会いしましょう。」
というナレーション。
(「1961年10月、ひとつのギターを4人で買ってバンドを結成した」なんて事実はないです。)
そして
1.バン(制汗剤) → 2.ダイヤフッソ(歯磨き粉) → 3.エメロンシャンプー
と3本のCMが入ります。
CM明け。
ステージを正面から捉えた映像に
「特別番組 ザ・ビートルズ日本公演 カラー放送」
という番組タイトルのテロップ。
この番組タイトルテロップにも不思議があって、「大村崑ビデオ」が収録された関西系の読売テレビと、関東の日本テレビでは、放送日時が全く同じであるのに書体やデザインが異なります。なぜそのようなことがなされたのか・・・。
この後、前座の演奏が放送され、次の[映像3]に繋がります。
まず、ブルー・コメッツとブルー・ジーンズによる「キャラバン」のエンディングです。ブルコメのサックス、井上忠夫(井上大輔)氏のキメキメの動きでを見ると、これが7月1日昼公演であることが察せられます。
「『ビートルズと日本』ブラウン管の記録」本文でも「大村崑ビデオ」の全編を見た著者は、ドリフターズ出演部分に関して、
加藤氏が少し息を切らして「バカみたい」と言い、客席から笑い声が起こる。すかさずいかりや氏が「逃げろ!」と叫んで全員がステージを去る。
(P181)
と記していますので、間違いないでしょう。
(ここは先日勉強しました。間奏ブー注走りの締め「退散!」が6月30日夜公演。間奏ブーのみ走りの締め「逃げろ!」が7月1日昼公演。)
本放送での前座の演奏は7月1日昼公演のものであったことがわかりました。
さて。次に進みます。
「キャラバン」の演奏終了に合わせステージに拍手をしながらE・H・エリックがステージへ。そして
「特別番組 ザ・ビートルズ日本公演 第1部 終」
というメンバーをあしらったタイトル画面に切り替わります。
そしてCMへ。
1.エメロン化粧石鹸 → 2.エメロンシャンプー → 3.ダイヤフッソ
そして、番組はいよいよビートルズの演奏へ。
まずは冒頭のE・H・エリックのご挨拶。そしてビートルズ登場。
そして最後の[映像4]。
最終曲「I’m Down」のエンディング。
おじぎの後、ステージを去るメンバー。
衣装は、白系のジャケットに黒のズボン。
こちらも7月1日昼公演であることがわかります。
これで、1966年7月1日の本放送は、前座、ビートルズとも同日の昼公演の模様が放送されたということが確認できました。
締めのE・H・エリックの挨拶は放送されず、文字を斜めにあしらった
「製作 日本テレビ」
の画面が。
そして、もうおなじみダイヤフッソのCMへ。
次に次週予告として「赤ちゃん誕生」という番組紹介で終了となります。
もちろん私は「大村崑ビデオ」の全編を観たわけではありませんが、こうして漏れ伝わってきた数分の断片映像と、全編を観た「『ビートルズと日本』ブラウン管の記録」の著者、大村亨氏の文章から確認できる事実と発見はあまりに大きなものに感じます。
いやぁ、実に楽しい。
これぞビートルズ来日学、ビートルズ日本史学。