ビートルズ来日公演:ドリフターズ出演場面による前座映像の日付の特定
さて。
本日の引っかかりごとは、1966年ビートルズ来日公演の前座演奏に関してであります。
おそらくこのテーマは既に諸先輩方によって検証が済んでいるのかとは思うのですが、自分の目と頭でガッテンしてみたいと思った次第です。
ビートルズ来日公演のオープニング・アクトには、
尾藤イサオ
内田裕也
望月浩
桜井五郎
ジャッキー吉川とブルーコメッツ
ブルー・ジーンズ
ザ・ドリフターズ(6月30日と7月1日のみ)
が出演しました。
この2公演はテレビ放送が前提で撮影されていたこともあり、前座の映像も残っており、ブートレグでも高画質のものを観ることができます。
で。
ずっと気になっていたのが、
「残っている音源、映像の日付の特定が出来ないものか」
ということでした。
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両公演のオープニング・アクトの違いとして最もわかりやすいのは、「のっぽのサリー」を演奏したドリフターズを比較することかと思います。
まずひとつ目はこれ。これを演奏Aとします。
間奏で高木ブーと荒井注がステージを走り回ります(画像1)。
サビの
「Havin’ me some fun tonight.」
の繰り返しで、ドラムの加藤がふざけたフィルインを入れ、メンバー一同がオーバーにずっこけます。
そしてメンバーがふらふらになって演奏を終えたあと、加藤がマイクに駆け寄って、ひとこと
「ばっかみたい」
そしていかりやの
「退散!」
の号令で一同ステージから駆け去るというドタバタ劇を演じます。
続いてはこちら。これを演奏Bとします。
演奏の構成に大きな違いはなく衣装も同じように見えます。
しかし、演奏Aと決定的な違いがあります。
間奏でステージを走り回るのは高木ブーひとりです(画像2)。
そして、いかりやの最後の号令は、
「逃げろ!」
です。
いずれかが、1966年6月30日夜公演で、もう一方が7月1日昼公演なのです。
この次の公演である7月1日夜からは、ビートルズのアンプ機材が一新され、見た目にも違いが一目瞭然となるのですが、6月30日夜公演と7月1日昼公演はセットも機材も同一なのです。
はて。
どうすれば演奏Aと演奏Bの日付を特定出来るのでしょうか。
ここで、マイクシールドに注目します。
ビートルズの日本公演初回となる6月30日夜公演といえば、衣装であるダーク・スーツと下手側のポールのマイクが固定されておらず、ぐるぐる揺れていたことが印象に残っている方も多いことでしょう。どうしてこんな初歩的なチェックもなされていなかったのか。実に不思議です。
この日のマイクのセッティングを確認すると、マイクシールドは、マイクスタンドに結び付けられるなどすることなく、床までだらんとぶら下がった状態になっていることがわかります(画像3)。
この点に関して「ビートルズ来日学」(宮永政孝・DU BOOKS)掲載の当時日本テレビ 芸能音楽部の伊藤滋夫氏の証言として
「僕はね、中継の技術の奴がビートルズの演奏スタイルを知らなかったんじゃないかと思うんですよ。おそらく日本の歌手のようにマイクを手で持って歌うもんだと思ってたんじゃないかと。だからコードをスタンドに固定してなかったんです。これは明らかに『マイクを抜いてフリーにいろいろ行けるように』っていう状態ですから。」(P204)
というものがあります。
マイクぐるぐるトラブルとビートルズの演奏スタイルへの理解からか、次の日の7月1日昼公演ではマイクシールドはマイクスタンドに固定されます(画像4)。
では、ドリフの前座映像に戻りましょう。
演奏Aの映像(ブーと注が間奏走りで締め「退散!」)を見ていくと、冒頭の仲本の歌唱シーン(画像5)、ラストの加藤の「ばっかみたい」のシーン(画像6)で明らかにマイクシールドがスタンドに固定されていないことがわかります。
つまり、演奏A(ブーと注が間奏走りで締め「退散!」)は6月30日夜公演だとということがわかります。
次に演奏Bの映像(間奏ブーのみ走りで締め「逃げろ!」)です。
同じ場面で比較検討をしたかったのですが、冒頭の仲本の歌唱シーンは、アップすぎてマイクシールドの状態まで確認が出来ませんでした。
かわりに間奏の加藤のアップのシーンでステージの様子をうかがい知ることができます。マイクシールドが、スタンドに固定されていることが見てわかります(画像7)。
そしてラストの加藤の「ばっかみたい」のシーン(画像8)です。こちらもマイクシールドがスタンドに固定されています。
つまり、演奏B(間奏ブーのみ走りで締め「逃げろ!」)は7月1日昼公演だとということがわかります。
いかがでしょうか。
ああ、スッキリした。現場からは以上です。
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[…] PS.後日検証しました。 […]