会津若松と神明通りとデパートのこと:ニチイダイゼン(2018年10月14日追記)
僕らが会津若松に生まれ育った1970〜1980年代。
商業・・といっては大げさか・・・お買い物と娯楽の中心は「神明通り」にありました。
「神明通り」とは会津若松駅と鶴ヶ城のちょうど間くらいに位置する会津若松市内の中心市街地を経由する幹線道路にある全長約340mのアーケード街であります。
(Google Mapより)
家族での買い物や食事、そしてたとえ目的が曖昧でも
「今日どこに出掛けようか」「ひとまず神明通りに行こう」
そんな場所でありました。
当時神明通りには
・長崎屋(1971年〜2002年2月)
・会津中合(1963年〜2010年2月)
・ニチイダイゼン(1961年 大善デパート創業→1971年 ニチイ傘下に入りニチイダイゼン[→1982年 会津若松駅前に駅前大型店として移転しニチイ会津若松店→1993年会津サティ→2009年6月閉店])
という3つの「デパート」がありました。
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東京生まれの家人から言わせれば
「あれはスーパーであってデパートではない」
というつまらん反応なのでありますが、私にとっては紛れもなく「百貨」店でありました。
会津中合は、高級志向であまり縁がなかった気がします。
でも、現在90代半ばの祖母は、着るもの生鮮食料品は中合で買うことにこだわっていたことをおぼえています。
長崎屋は、最上階のレストランで食事することや、おもちゃ売り場の充実が子供心を引きつけていた気がします。
任天堂ファミリーコンピュータのディスクシステムの書き換えの機械
を市内で真っ先に置いたのも長崎屋で、大きな信頼を寄せたものです。
ニチイダイゼン(ロゴ画像参照)もとても好きだったですが、家族で・・・という印象が今ひとつ薄いのはなんでだろうと思ったら、ウィキペディアに
「ニチイダイゼン時代は、文房具店である栄町オサダが入る「オサダビル」と、中町フジグランドホテルが入る「フジビル」とが、ニチイダイゼンの建物と連結させて、それぞれのビルから行き来できる構造となっていた。」
という記述に背筋がゾクゾクっと来ました。甦る記憶。
(新旧ニチイのロゴ)
現在駐車場となっているニチイダイゼン跡地の画像をアップします(地図参照)。
(Google Mapより)
文房具を主に扱う「栄町オサダ」、ホテル「フジグランドホテル」は確かにつながっていたという記憶がはっきりと蘇り、まるでRPGでダンジョンを探索するような感覚であったことを思い出しました。
ニチイダイゼンには噴水があって(この噴水の画像がどこかに残っていないものか)、少し暗がりにあったゲームセンターの場所は「オサダ」だったのか「フジグランドホテル」だったのか。大好きだった大きめの本屋さんは「オサダ」のエリアだったはず。
この百貨店と文具店とホテルを連結させるショッピングの新体験を提案する斬新な発想たるや。
今も多少の業態変化をしながら同じ場所で営業する栄町オサダのサイトを見ると、
オサダにはニチイダイゼンのあった現駐車場側からの入り口が残っていて、これはニチイとの連結部の名残と思われます。
(「栄町オサダ」ウェブサイトより)
(「栄町オサダ」ウェブサイトより)
確か2階より上にも繋がっているところがあったと思います。
嗚呼、紛れもなくニチイダイゼンは我が文化系的思想を育んだ原点だったのであります。
会津若松の商業施設の歴史は実に興味深く、もっと追いかけたいと思いました。
最後の2枚の写真は僕らがよく知っている神明通りのアーケードの画像(ウィキペディアより)と、数日前に撮影したついに完成した新アーケード。
2015年解体された前神明通りアーケード(ウィキペディアより)
2018年に作られた現神明通りアーケード(著者2018年8月撮影)
【2018年10月14日追記】
今日は予定外にポッカリ時間が空いてしまったので、ひとり観光しまくるぞと思ったのに、途中、図書館に吸い寄せられて郷土資料見せてもらってたら、地元の商店街の歴史が気になってズルズル数時間・・・嗚呼。
かつての会津の商業のメインストリート、神明通りにあったニチイダイゼンデパート。
のちにサティとなり会津若松駅前に当時地元にはなかった大型商業施設となって移転するのですが、私はなんといってもニチイと言えばダイゼン。
神明通り時代に思い入れがあります。
接して建つ、オサダ文具店とフジグランドホテルと繋がっていて、行き来が出来たのも刺激的でした。
噴水があって、本屋があって、ゲームセンターがあって、レストランが渡り廊下に並んで・・・ちょっと迷路みたいでした。
図書館で約20年分の住宅地図を見せてもらい、いつニチイダイゼンとオサダビルとフジグランドホテルの建物が繋がったのか、いつ駅前にニチイが出来たのか、いつニチイダイゼンビルが壊されて駐車場になったのかを確認し、その足でニチイダイゼン跡地の駐車場へ。
オサダビルとフジグランドホテルの壁面を眺めてなにか当時の痕跡がないかと凝視。
そしてオサダビルへ。
一番年上そうな佐藤さんに声掛けして、お話を聞く。
オサダビルとニチイダイゼンは各階で繋がっていたそうで、噴水は1階にあって吹き抜けになっていた。3階の本屋さんはオサダビルのことでゲームセンターはニチイダイゼンの2階にあったことを教えていただきました。
ニチイダイゼンからフジグランドホテルへの接続通路はレストラン街になっていたと。
ああ、あの、妙に長い朝食を食べるスペースはその名残なのか。
色々明るくなって大満足。
Zeppelinホームビデオ検証の内容に驚嘆して貴サイトを訪問したら、本記事を見つけてさらに吃驚。
会津で80年代に小学生時代を過ごした私にとって、記憶の奥底を呼び覚ます内容でありました。
同級生に長崎屋の従業員の息子もいましたが、1件また1件と姿を消していく百貨店の姿は寂しかったな。。
会津若松ネタ、今後もぜひ続けてください!!