【裏ビートルズ来日学】番外編:ジョンのホテル脱出成功と50年越しのポールの無念との因縁
「奇跡体験!アンビリバボー」(フジテレビ)番組ホームページより
録画していた2018年5月24日放送「奇跡体験!アンビリバボー」(フジテレビ)の特集「あなたならどうする? 決断スペシャル」から1966年来日時7月1日の「ジョン・レノン脱走計画」の項を観る。
ポールとジョンのホテル脱出劇の概略は基礎知識として理解していたものの(特にポールに関してね。)、今回テーマの中心となった1966年6月29日3:40に羽田空港31番スポット到着時にメンバーが急遽乗ることになり、そしてくだんのジョンが7月1日にホテル脱出の際に使った「ピンクのキャデラック」に関しては、宮永正隆氏「ビートルズ来日学」(DU BOOKS)では「ピンクは捨て車ですから」(P123 招聘元 共同企画 肥田勲氏)という証言、同ページでの注釈「ピンクは運転手込みで借りたようだ」という記述に留まっていました。
今回の番組で底本としているピンクのキャデラックの運転手であった入内島豊さんの証言をまとめた息子さん入内島泰広氏による「ザ・ビートルズをピンクのキャデラックに乗せた男 ジョン・レノン 東京ヒルトンホテル脱出行」(文芸社)は恰好の補助教材ということになるのでしょう。
6月30日にジョンが入内島氏にホテル脱出の相談をしたとされ、7月1日に実行するわけですが、6月30日のいつ・・・公演前なのか後なのか、時系列が気になります。
ロードマネージャーのマル・エヴァンズが6月30日の夜に四ツ谷~大木戸で接待を受けていた時間と重なるのか、ジョンのその計画を前日の時点でポールは知っていたのか否か・・・興味津々であります。
もし、招聘元の共同企画の中村実氏へ頼み込む強硬手段ではなく、ジョンの知恵を借りていれば、ポールは大木戸に行けたのではないかと妄想もしてしまいます。果たして「大木戸」がポールが向かおうとした午前中に営業していたかはどうかは知りませんが・・・。
(ポールが向かうとなれば「大木戸」のDさんは何とかしたでしょう。きっと。)
この辺りの、メンバー間でホテル脱出の画策の情報共有は、どうなっていたのかも気になります。
入内島豊さんがジョンのホテル脱出を手伝ったことで、罰としてメンバーとの接触を一切禁じられたにも関わらず、ジョンは公演後、入内島豊さんの車を見つけ、ホテルへの送迎を頼んだというくだりや、ビートルズ解散後、ジョンが入内島さんを探して日本の滞在先に呼んだという話も詳しく確認してみたいです。
ここでのジョンの言葉遣いや、純粋そうな好青年に映るような表現の仕方には、一歩距離をおいて、受け止めたほうが良いでしょう。どうもむず痒い。
いつ、何をしたか、何が起こったかという事実だけを拾い上げて検証すべきでしょう。
【スポンサードリンク】
いやぁ、色々と課題をいただいて面白かったです。
この放送の影響なのでしょうか、「じゃポールはどうだったの?」と「裏ビートルズ来日学」にアクセスがすごい増えてる・・・。
あ・・・。
今更ながら。
「ジョン・レノン 東京ヒルトンホテル脱出行」を出してる文芸社さんって、「大木戸」そばのあの文芸社じゃないですか。
google mapより作成
ポールが行きたくても叶わなかった場所のすぐ近くにある出版社さんが、ジョンの脱出成功話を本に出しているって何とも不思議な因縁?を感じました。