アダチ龍光さんと岡山中島遊廓の遊女との邂逅
画像はアダチ龍光さんが雑誌「旅」1972年7月号(日本交通公社)の連載「旅の秘蔵写真」 第18回に寄稿した記事であります。
内容は、ある年の正月に岡山で開催された名人会に出演した際のお話。場所は「岡山のデパートのホール」で、3日間開催されたとあります。他の出演はメインが三遊亭圓生で、三遊亭百生、リーガル万吉・千太 ほか。
宿泊は岡山中央ホテル。
龍光は三遊亭百生と同室で洋間のベッド。しかし部屋に暖房装置なくて寒くて眠れない。そこで二人は中島遊廓に繰り出します。
文中
「いよいよなつかしのこの里も売春禁止法とやらでなくなる三月(みつき)前のことでした」
とあるので、売春禁止法施工の1957年、または完全施行の1958年のお話と察せられます(1957年とみるのが自然?)。当時龍光61か62歳。
龍光は、以降3日間夜を(時に昼も)ともにした遊女との交流に関して触れます。
どうせホテルに帰っても寒くて寝られませんので、この世のおなごりの想い出に、可愛い女の人が居りましたので、一夜の宿を求めることになりました。
さて翌日は二人きりで後楽園の散歩に出かけました。まだあまり食生活の豊かでない頃で、何分にも食べる物はありません。古びた茶店で寒いのに冷たい飲み物を二人で飲んで一服したくらいです。なんのかんのと三日間は、彼女と夜を共にしました。
三日目にはわざわざホテルまで彼女が迎えてくれました。彼女が「今度貴方方が岡山にお出での頃は後楽園の桜の花も開く頃でしょう」と言った言葉が、気掛かりでした。その後岡山に行く予定もなく、むろん彼女に再会のチャンスもありませんでした。
嗚呼、はかなくも切ない刹那の邂逅。
記事掲載写真は遊女との後楽園デートのもの?(でも多分そうだよな。)
【スポンサードリンク】
龍光さんさぁ・・・。
まもなく妹の末っ子に長男(つまるところ、私である)が生まれるって時に、なぜに「秘蔵写真」なんつって過去の岡山でのお遊びの写真を雑誌に寄稿してるのさ。
そして、自分の妹の末っ子の長男(つまり、私である)に数十年経って暴かれるの巻。
しかし、よくまぁ、こんな、今だったらスキャンダラスな写真を自ら旅行雑誌に出したよなぁ。。
これを出しちゃう龍光さんも載せちゃう出版社もすごいなぁ。。
笑っちゃいます。
というわけでそんなこんなを「アダチ龍光さんのこと 年表wiki編」でも更新しました。