アダチ龍光さん出演番組表の年特定。ふたたび
またヤフオクにアダチ龍光出演の上野鈴本演芸場の年末(12月26日〜29日)の番組の出品を発見。これもまた年の記載が見当たりません。
ではではまたまた腕試しをば・・・。
龍光さんが関東の寄席に出演していたのは、戦後であるということを前提に、この番組表から各出演者を追ってみます。
生年没年、落語家の襲名からその名前での活動期間の出典は「ひとまず大枠は間違ってないでしょう」という前提でウィキペディアから。
まずは落語家さんからの確認です。
春風亭柳昇は襲名からの活動期間が1949年〜2003年の5代目でしょう。
昔家今松は、襲名1970年で現在も活躍中の7代目むかし家今松か、のちの2代目古今亭圓菊となる襲名からの活動期間が1957年〜1966年の6代目。
古今亭今輔は襲名からの活動期間が1941年〜1976年の5代目。
三遊亭圓遊は襲名からの活動期間1946年〜1984年の4代目。
トリの柳家小さんは襲名からの活動期間1950年〜2002年の5代目。
これで検証期間は、
むかし家今松が7代目の場合 1970年〜1976年
むかし家今松が6代目の場合 1957年〜1976年
となりました。
漫才の大看板はリーガル千太・万吉でしょう。
コンビ結成が1934年。解散が1962年の万吉病気による引退・・・とすると、むかし家今松は6代目で確定。
検証期間は1957年〜1962年と絞られてきます。
次にこの番組表の表4に寄稿している漫談の山野一郎の生年没年を確認すると1899年12月15日〜1958年12月18日。
これで、検証期間は1957年か1958年に。
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で、この番組が12月26日〜29日の年末のものであることから山野一郎の亡くなった1958年が消えます。
で、つまるところ・・・・。
と確定出来るのではないでしょうか。
いかがでしょうか。
【追記】
一夜明け、アダチ龍光Facebookページにて下記の文章から始まる詳細コメントを頂戴いたしました。
こちらのものは番組表を確認する限り昭和20年台後半のものであろうと考えられます。
まず、第一に芸協所属であった「十返舎亀造・菊次」コンビです。亀造師は昭和28年に他界していますから、少なくともそれ以前のものであることははっきりいたします。
貴重なご意見誠にありがとうございます。
ウィキペディアによると十返舎亀造の生年没年は1902年〜1953年9月6日。
誠にお恥ずかしい限りです。早合点でありました。
気を取り直しまして、改めまして検証を試みてみます。
まず落語家さんからの確認です。
戦後で十返舎亀造と活動期間が重なるところを追って行きます。
春風亭柳昇は襲名からの活動期間が1949年〜2003年の5代目でしょう。
昔家今松は、襲名からの活動期間が1948年〜1960年の5代目。
古今亭今輔は襲名からの活動期間が1941年〜1976年の5代目。
三遊亭圓遊は襲名からの活動期間1946年〜1984年の4代目。
トリの柳家小さんは襲名からの活動期間1950年〜2002年の5代目か、はたまた襲名からの活動期間が1928年〜1947年の4代目か。
4代目ですと春風亭柳昇(5代目)、昔家今松(5代目)と活動期間が重ならないので、柳家小さんは5代目で間違いないでしょう。
これで検証期間は、1950年〜1953年に絞られて来ました。
ここで十返舎亀造の没年月日を確認しますと1953年9月6日なので、検証期間はついに1950年〜1952年の3年間に絞られました。
他の出演者は
生駒雷遊の生年没年月日は1895年4月1日〜1964年12月2日。
国井紫香の生年没年は1894年〜1966年。
津田秀水の生年没年月日は1896年5月6日〜1963年3月8日。
漫談の牧野周一の生年没年月日は1905年2月21日〜1975年5月3日。
漫談の山野一郎の生年没年月日は1899年12月15日〜1958年12月18日。
漫談の泉天嶺の没年月日は1965年7月25日。
腹話術の花島三郎は1999年没。(奥さんは松旭斎すみえなんですね!)
桜川ぴん助・美代鶴は、1937年コンビ結成で1980年にぴん助病気に伴いコンビ解消。
リーガル千太・万吉は、コンビ結成が1934年で解散が1962年の万吉病気による引退。
杉ひろし・まりは1980年代半ばまで活動。
トリオのボーイズのシャンバローは前身バンドが1947年頃に結成された「ちゃっかりトリオ」、1950年のメンバーチェンジの機にシャンバローと改名、1980年代半ばに活動休止。
浪曲の木村重松は1934年襲名〜1966年7月4日没の2代目でしょう。
上映された映画「瞼の母」(長谷川伸原作、出演片岡千恵蔵、山田五十鈴)は、1931年公開のもの。
残念ながらさらに検証期間を絞るには至らず。
活動期間が特定出来なかったのが、
石田一雄・八重子
立花家色奴・小奴
野口保美
の3組。
アダチ龍光Facebookページのコメントには
石田一雄・八重子コンビなど、昭和30年代頃には既に姿をほぼ消しつつあった色物さん
というお言葉もあり、この辺りがキーなのかなと。
石田一雄・八重子の活動期間が知りたいです。
うーーん。残念。今一歩及ばず。
が結論となりました。
※そんなわけで「アダチ龍光さんのこと 年表wiki編」を更新いたします。