アダチ龍光出演、鈴本演芸場番組表の年特定とウラ取り
(2017年11月ヤフーオークション出品物画像より)
数日前、ヤフーオークションに、アダチ龍光さんの出演が確認できる、ある年の上野鈴本演芸場5月下席(5月21日〜30日)の番組表が出品されました。
「これは、手に入れて細かく見てみたい・・・。」
と、落札を試みたのですが、あまりの価格高騰に断念。
まぁ、いいさ、欲しいのは現物でなくてデータなのさ・・・。
果たしてこれはいつの年のものなのか。
出品者にこの番組表の年について質問したものの回答は無し。
ますます気になって仕方がなくまりました。
ではでは、だったら検証してみましょう。
龍光さんが、関東の寄席に出演していたのは、吉本興業に所属時代よく同じ舞台に立っていた「のんき節」で有名な石田一松に東京に呼び寄せられた戦後以降ということになると思います。
(アダチ龍光さんのこと 年表wiki編を参照下さい)
この番組表から各出演者を追ってみます。
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襲名からその名前での活動期間の出典はウィキペディアからですが、ひとまず大枠は間違ってないでしょう。
(という勝手な信頼も良くないのですが・・・後日検証します。)
まずは、桂三木助。
2代目桂三木助の襲名からの活動期間は1906年〜1911年。
1911年は龍光さんはまだ15歳の上京前です。
3代目桂三木助の襲名からの活動期間は1950年~1961年。
私も(その死も含め)印象に残っている4代目三木助の襲名は龍光さん没後の1985年になります。
つまり、今回の番組表にあるのは3代目桂三木助であるとみて間違いないでしょう。
これが、検証期間を1950年~1961年と約10年ほどにぐっと絞るカギとなりました。
次に三升亭小勝は、
6代目三升家小勝(活動期間 1956年 – 1971年)
となりますので、さらに検証期間は1956年~1961年と狭くなります。
そして桂文治は、
8代目桂文治(活動期間 1929年 – 1955年)
9代目桂文治(活動期間 1960年 – 1978年)
ですのでここは9代目でしょう。
・・・ついに検証期間は1960年または1961年いずれかに絞られることになります。
で、で。
改めまして3代目桂三木助の没日を確認しますと・・・1961年1月16日。
今回の番組表が5月下席ですので、つまり!これは1960年の番組表であると確定出来るのではないでしょうか。
いかがでしょうか。
という文章を書いて一夜明け・・・。
Twitterを通じてある演芸研究家の方から
「ご名答です。」
と、お送りいただいたのが・・・な、な、なんと!落語協会作成の昭和35年(1960年)5月下席の香盤表でありました。
鈴本演芸場の出演者を確認しますと、今回の番組表と一致します。
完全にウラが取れたわけであります!
さらに詳しく見ていくと、人形町末廣にも龍光さんの出番が確認出来ます。
すごい。ダブルヘッダーです。
1960年は龍光さん64歳。天覧奇術の11年前(1971年)。
第一線で脂が乗ったバリバリ活躍中の頃ですね。
いやぁ、興奮しました。 面白かった!
※そんなわけで「アダチ龍光さんのこと 年表wiki編」の1960年の項を更新いたしました。