ペパー祭りとビートルズ解放要求宣言
そんなわけで始まりました「ペパー祭り」。
ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」リリース50周年記念盤の発表であります。
発売日の5月26日には、Spotify、Apple Music、Amazon Musicなど音楽ストリーミングサービスでは即日配信開始。音盤の到着を前に、音に触れることが出来たわけで、「音楽を聴く」ということがすごい時代に入ったことを実感いたしました。
取り急ぎSpotifyで繰り返し聴いて腰抜かし、音盤到着で非圧縮音源にさらに腰砕けをいたしました。
音の分離とそれにともなう立体「感」のインパクト、リズム隊の低音の下品にならないほどよい加減の強調。
そしてそれを飽くまでオリジナルの印象を損なわずに成し遂げているのがすごい。
特に「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」「ゲッティング・ベター」「フィクシング・ア・ホール」「シーズ・リーヴィング・ホーム」「ホエン・アイム・シックスティー・フォー 」「ラヴリー・リタ」といった比較的シンプルな編成、歪みや響きのエフェクトが少ないクリアな音像の楽曲で、それがより効果的に感じられ、一部地味な印象もあったこれらが俄然魅力を増した感があります。
それによって「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ」の「ペット・サウンズ」からのあまりに直球の影響の理解、A面のハイライトは「シーズ・リーヴィング・ホーム」~「ミスター・カイト」であったという新たな気付き。
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「ラヴリー・リタ」~「グッド・モーニング」~「SGT(リプライズ) 」のキラキラ感と畳みかけの凄味。そこからの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の大団円!
そしてまた頭から再生・・・これはあとを引きます。
しかし、ここで改めて感じるのは
「ペパーは、ポールが初めて全面主導を取ったアルバムであった」
という事実。
個人的には、これまで「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ルーシー」を中心にジョンによるサイケデリックな楽曲を核として、ポールのポップさとともに捉えていたアルバムでした。
しかし今回、コンセプターだったポールの力が明確に感じられるようになった気がします。
楽曲の量・質・演奏ともにポールがキレッキレなのです。
しばらく本編+「SSF」「ペニー・レイン」2017MIXだけでおなかいっぱいです。
情報処理が追いつきません。
で。
よく
「ペパーは(ビートルズやロック史において)重要なアルバムだが、各楽曲の質は『ラバー・ソウル』や『リボルバー』に劣る」
よって
「『SGTペパー』はビートルズの最高傑作ではない」
という論調がよく聞かれますけど、いやいや何言っちゃってるの。
そもそも比べるもんじゃないでしょう。
「ねぇ、ねぇ。仕事と私とどっちが大事なの?」
って話と一緒。
改めて曲いいぞ、音すごいぞ。
是非体感していただきたいと切に願います。
しかし一方、「ビートルズは閉じていないか?」ということを思ったりもします。
アンソロジー以降、2009年リマスター→(かなり略)50thペパーと「21世紀のビートルズ」が提示されていることに対し、「21世紀のビートルズファン」はちゃんと生まれてるのだろうかと。
「そんなことどうでもいい」という自分もいるんです。
私がビートルズに出会った中学時代の80年代半ばもビートルズを手に入れるにはロック好きのお姉さんがいる友達から借りるか、貸レコード屋に行くかしかなくて、ビートルズは正直敷居が高かったんです。
でも今は時代が違うのに、なんだこの違和感は。
盛り上がっているのは、私よりひと周りくらい上の、いわゆる「ビートルズ世代」(そんなもんまやかしだと思うのですが)ばかりではないかと。
発売記念イベントに高木ブーはないだろう。
何だか送り手側もズレているように思えてなりません。
「ビートルズを開放せよ!」
まぁ、別により沢山の方がニヤニヤできればそれでいいんですが・・・。