待合・料理屋数の変遷で見る大木戸花街
昭和の東京の存在した花街を待合・料理屋数の変遷で示した表をいくつかの資料で見ることが出来るのだけれど、年の区切り方と数値の共通性から見て、それらはおそらく加藤政洋著「花街 異空間の都市史」(朝日選書・2005年)掲載の表から引いているのだと思われます。
巻末にあるこの表を作成した出典一覧に
・「東京待合業組合聯合会名簿」(東京待合業組合聯合会・編)
・「東京料亭組合連合会会員名簿」(東京料亭組合連合会・編)
の記載があり、「どうにかしてこの名簿を見ることが出来ないものかと」調べていたところ、東京都立中央図書館に所蔵されていることがわかりました。
閲覧できるのは下記。
●「東京待合業組合聯合会名簿」(東京待合業組合聯合会・編)
・昭和6年版
・昭和8年版
・昭和18年版
●「東京料亭組合連合会会員名簿」(東京料亭組合連合会・編)
・昭和25年版
・昭和26年版
・昭和27年版
・昭和30年版
・昭和31年版
・昭和32年版
・昭和34年版
・昭和35年版
・昭和37年版
・昭和40年版
・昭和41年版
・昭和43年版
・昭和46年度版(→昭和47年)
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以上16年分。
二業、三業組合に属する屋号、住所、電話番号、店主名が記された一級資料であります。
この地域で営業をおこなうお店にとって組合への所属が、どれほどの強制力のあったものなのかはわかりませんが、大木戸の花街の変遷を知る手掛かりとしては充分な資料となるのではないでしょうか?
まずは、1931年(昭和6年)から1972年(昭和47年)までの組合数の推移と組合長名、屋号を一覧にします。
戦前に29まで組合員数を増やしていた大木戸花街は、戦後組合員数を半分としながらも、我らが自慢荘の伊達組合長の長期政権のもと、そこそこの維持をしながら、しかし、二丁目や歌舞伎町など新宿駅寄りの発展の影響で徐々に寂しくなっていったというところでしょうか。
他の花街でも戦後は組合員数は大きく減少傾向にあります。
1972年2月の組合登録6店は下記の通りです。
・自慢荘
・自慢本店
・富田屋
・多満川(現在も営業)
・川むら
・美津橋
「東京待合業組合聯合会名簿」、「東京料亭組合連合会会員名簿」から読み取れる情報のすごいこと、面白いこと。
これでご飯何杯でも食べられそうです。
続きます。