【大木戸・四谷四丁目史】消えた? 塩町一丁目の謎
この間書いた、大木戸理性寺跡の1917年(大正6年)元日「大国座」オープンの話題。
その中で「四谷警察署史」(警視庁四谷警察署発行・1976年)から、久本十美ニさんという方の文章をご紹介させていただき、当時小学校5年生だった久本さんが住んでいたという「塩町一丁目」という地名の場所がどうしても見当たらない、という疑問が引っ掛かかりました(いちいち粘着質でスミマセン。自覚してますので・・・)。
そこで本件を「大木戸・四谷四丁目史の証言者」多満川の柳谷様にご相談させていただいたところ、
「『本塩町』をウィキペディアで調べるとヒントがあります。」
のとのご教示を受けました。
1943年、市谷本村町の南西部・市谷七軒町・四谷塩町一丁目を合わせてできた合成地名。市谷本村町は1880年まで牛込区に属していたが、南西部(外堀から防衛省に通じる道路の南西側)のみ四谷区に編入された。四ツ谷駅前再開発事業にともない、2016年、旧四谷塩町一丁目区域(財務省官舎および四谷第三小学校・四ツ谷駅前郵便局等跡地)は本塩町から分離し、四谷一丁目に編入された。
(ウィキペディア「本塩町」の項より)
なるほど!
塩町一丁目は、1943年の合併で、本塩町となり、昨年四谷一丁目に編入された「消えた地名」だったわけです!
いやでもしかし。今回の話題は1910年代です。
塩町一丁目はまだ存在していないとおかしいはず・・・。
改めて同時期の違う地図を見てみます。
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1912年(大正元年)発行「東京市及接続郡部地籍地図」(上巻東京市区調査会)。
左端が大木戸、塩町二丁目、三丁目。右端が四ツ谷駅です。
あ、ありましたありました!
塩町一丁目!!!
現在だと外堀通りをしんみち通りのちょい先あたりまで靖国通り方面に向かった辺りですね。
確認できたところでもう一度振り返って1912年(大正元年)頃の「四谷区全図」の四ツ谷駅辺りを確認します。
・・・ありますね「塩町」。
前回、ご紹介した大木戸辺りももう一度見てみます。
塩町二丁目、三丁目が確認出来ます。
え・・・?
でもしかし。どうしてこんなに二丁目、三丁目から離れてるの?
不思議過ぎます。これでは見逃してしまうはずです。
謎の隔絶、塩町の一丁目。
消えた地名、塩町一丁目。
ということは・・・。
塩町一丁目から大国座までは1.7kmほど。
大人の足で20分掛からないくらい。
当時小学5年生の久本十美ニさんの足で歩いたとしたら、30分ちょいくらいでしょうか。
結構な距離ですよね。
改めて
「わが町に芝居小屋が出来る!」
と、往復1時間も掛けてオープン前日連日通ってしまう、その喜びの大きさがどれほどだったかが伝わって来るわけであります。
塩町一丁目。見付けてよかーった。
PS.柳谷さん、またまた楽しい発見をありがとうございました!
[追記]塩町一丁目ネタは、こんなんもあります。
【大木戸・四谷四丁目史】新宿歴史博物館・特別展「四谷塩町からみる 江戸のまち」