【落とし前編】ビートルズ「ヘイ・ジュード」セッション動画を追う
(前回の記事:【続】ビートルズ「ヘイ・ジュード」セッション動画を追う)
つづきです。
昨年3月に取り上げた、Revolver Records & Video(RevolverTV)がジョージ・マーティンに追悼の意を込めてアップした「ヘイ・ジュード」セッションの模様が収められた「A Tribute To George Martin 1968 in Rehearsal」と題された映像に関して、もう少し掘ってみます。
(しかし、しつこいねぇ・・・あたしも。)
A Tribute To George Martin 1968 in Rehearsal
まず、振り返りはこちらから。今回、少々加筆修正もしています。
[これまでの記事]
・1回目:初見!ビートルズ「ヘイ・ジュード」セッション動画を追う
・2回目:【続】ビートルズ「ヘイ・ジュード」セッション動画を追う
これまでの経緯と成果をざっとまとめますと、この約6分間の映像は、1968年7月30日(火)の「ヘイ・ジュード」のレコーディングの模様を、英国音楽協会制作のドキュメンタリー・フィルム「MUSIC!」のために納めたものということがわかりました。
「MUSIC!」は、1960年代後半のオペラからポップ・ミュージック、ブラスバンドなど英国の様々な音楽シーンを撮影した50分の作品で、このビートルズの映像はその中で6分使われ、1970年2月にアメリカの放送局NBCで放送されたそうです。撮影者はJames Archibald。
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■やはり答えはここにあった!
さて。
引き続きまして、やはりここを押さえて置かなくちゃダメでしょうと、ビートルズの活動期を日記形式で追ったマーク・ルイソン著「ザ・ビートルズ全記録 2 1965-1970」(プロデュース・センター出版局・1998年)での記述を遅ればせながら確認をいたしました。
(もちろん「全記録1」「全記録2」の合本、「ザ・ビートルズ ワークス The Complete BEATLES Chronicle 1957-1970」(洋泉社・2008年)でも可)
調べごとに手を抜いてはいけませんねぇ・・・。
1968年7月30日(火)の項には、ばっちり「映画”MUSIC!”の撮影に協力」とあります。(P355)
この日は、前日から引き続いてEMI第2スタジオでの「ヘイ・ジュード」のセッションと、ミックスが行われたとされます。
第7〜第23テイク(を録音)、第23テイクをテープ・リダクションして第24及び第25テイクを作成。 ステレオ・ミキシング:第25テイクよりリミックス1(を作成)
しかし、ビートルズは、次の日から録音環境の良い同じくロンドンのトライデント・スタジオでの予約を入れており、この日で「ヘイ・ジュード」の完成を急ごうとはしていなかったそうです。
(トライデント・スタジオには8トラック・テープの設備があり、ビートルズが魅力を感じていたとのこと。でも実は当時、EMIも設備は持ってはいたがスタジオに導入・運用までは至ってなかったそうです。)
本文から引用してみます。
実は、このセッションでレコーディングを完成させる代わりに、ビートルズはナショナル・ミュージック・カウンシル・オブ・グレート・ブリテン(全英音楽協議会)との約束を果たすことにした。ジェイムズ・アーチボールドのプロデュースによる、イギリスの音楽の様々な形を追ったドキュメンタリー映画用に、ビートルズのセッション風景を撮影したいという依頼を許可したのだ。
“MUSIC!”というこのこのカラー映画には、この日のセッション中に数時間にわたって撮影されたフィルムから抜粋された、2分32秒と3分5秒のふたつの興味深いシーンが含まれている。(中略)映画の最後にも、少しだがビートルズの映像が出てくる。
あ。
完全に答え合わせになってしまいました。
3月の時点でどうして、この本を当たらなかったのか。
また、放送や上映に関しても詳細に書かれていました。
“MUSIC!”は、イギリスでは1969年10月にメル・ブルックス(監督)の”THE PRODUCERS”と同時上映で公開される。アメリカでは劇場公開はされず、1970年2月22日(日)の午後4時30分から6時(東部時間)に、アリステア・クック司会のシリーズ番組「NBCエクスペリメント・イン・テレビジョン」で放送された。
そこでやはりどうしても気になったのは、「MUSIC!」の中でビートルズが収録された映像の長さに関して。
「2分32秒と3分5秒のふたつの興味深いシーンが含まれている。」
とあるように、やはり合わせて約6分というのが真実なのでしょう。
■ビートルズ収録の映像の尺の真実は?
しかし、どうして同じマーク・ルイソンの著作である「ビートルズレコーディングセッション」(シンコーミュージック)では、
このカラー作品<Music!>には、この長いセッションの間に撮影したフィルムを2分32秒にまとめたビートルズの登場シーンが含まれていた。
という記述にとどまり、3分5秒の方に触れなかったのでしょうか。
初版の「ビートルズレコーディングセッション」が出たのが1990年、「ザ・ビートルズ全記録 2 1965-1970」が1994年(ともに日本版発売年)。
この4年の間に検証が進んだということでしょうか。
しかし、後に「ビートルズレコーディングセッション」は「ザ・ビートルズレコーディングセッション完全版」として2009年(日本版発売年)に判型を大きくし、内容増補版となっていますが(一連の私の文章の拠り所も「完全版」の方を使用しています)、この「MUSIC!」映像に関しての修正はなされていません。
単なる修正漏れなのか・・・果たして?
しかし、今回この目の間にあるRevolverTV放出の映像約6分が「MUSIC!」収録のビートルズ絡みのシーンであると考えるのが自然のような気がします。
前回触れた
・英国映画協会(BFI)のサイトのデータベース
・アメリカはボルチモアのイーノック・プラット自由図書館の所蔵情報
という公的施設またはそれに近い団体の情報でも「6分」収録となっているわけですし・・・。
今回の映像を細かく見ていきますと、3:00過ぎに映像がブラックアウトする箇所があり、そこが
「2分32秒と3分5秒のふたつの興味深いシーン」
の境目なのではないかと推察します。
3:00からもう一度映像を見てみましょう。
A Tribute To George Martin 1968 in Rehearsal
ね。でしょ?
こうなると「全記録 2」で記載があった
映画の最後にも、少しだがビートルズの映像が出てくる。
というのも追い掛けたくなりますが、そこまではやめておきます。
「MUSIC!」全編を見る機会を得ることに励んで答え合わせしましょう。
■この頃のビートルズの不和と緊張感
さて、少し視点を変えてみます。
長年ビートルズや後のメンバーのソロ作品のレコーディング・エンジニアを務めたジェフ・エメリックの名著「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」(ハワード・マッセイ共著・奥田祐士訳・白夜書房・2006年→河出書房新社2016年)に、1968年7月30日の「ヘイ・ジュード」のセッションと「MUSIC!」の撮影に関しての興味深い記述がありました。
ちなみに、ジェフは7月16日に、ビートルズのレコーディング現場から一時離脱していました。
急速に険悪化する雰囲気とグループ内のいがみ合いに堪えきれず、このセッション(アルバム「White Album」制作期間中でこの日は「Cry Baby Cry」を録音)の途中で退席し、以後 1969年になるまで彼らの仕事は一切しなかった。(*注)
(「ビートルズレコーディングセッション」より)
ある土曜日の夜、ケン(ジェフの部下で、ジェフ離脱後のメインエンジニアを務めていたケン・スコット)とジョン・スミスが<ヘイ・ジュード>の舞台裏をことこまかに話してくれた。それによるとビートルズはまず、この曲のレコーディングに、アビイ・ロードでまるふた晩を費やした。ところが2日目の夜、ドキュメンタリーの撮影に来ていたスタッフの前で、ポールとジョージ・ハリスンが激しくやり合うという事件が起こる。そこで彼らはこの曲を、トライデントでやり直すことにした。
たぶん、場所を変えれば雰囲気も少しは良くなると考えたのだろう。
(「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」P408)
あれ?
8トラック・テープの設備が使いたくて、トライデント・スタジオを予約してたんじゃなかったの?
「ビートルズレコーディングセッション」の1968年7月30日の項にもそんな緊張感をうかがわせる、ケン・スコットの発言がありました。
「撮影班はなるべく目につかないように仕事をするという話だった」とスコット。「でも、そのへんをウロウロしてたらどうしたって気になるし、みんな神経質になってたよ」
ここで「スタッフの前で、ポールとジョージ・ハリスンが激しくやり合う」というところでも重なってしまうのは、長年、公開はおろかソフト化もされていない映画「レット・イット・ビー」ではないでしょうか。
ポールのアイデアとされる
「ビートルズのレコーディングを追って、最後に完成した曲でライブをする」
というコンセプトのもと撮影が行われたこの作品は、ビートルズがすでに壊れつつあるという事実や、撮影班に対してピリピリする様子が伝わってくる、バンドをやったことをある方なら共感すること多々であろう、「嗚呼、プロもアマもバンドがうまくいかなくなる時は同じなんだなぁ・・。」と、見ていて少々辛くなってくる映画に仕上がってしまいました。
(もちろん、後半楽曲が仕上がっていく様や、ルーフトップ・コンサートなどビートルズの底力の見所も多数です。そこはプロとアマは違います。)
ここで強く言わせていただきたいのです!
ビートルズ・・・というか特にポールよ。
レコーディング現場にカメラを入れるリスクは、前の年に一度経験してたんじゃないのか!
そうして、考えると翌日1968年7月31日からのトライデント・スタジオでのレコーディング予約も、長引くビートルズのメンバー間の不和とレコーディング現場の緊張感、7月16日のジェフ・エメリックの離脱という良くないムードを一掃するために、8トラック・テープの設備の魅力を餌にビートルズを動かそうとしたと考えるのが自然のような気もしてきました。
■最後に
ちょっと横道にそれましたが、RevolverTVさんをきっかけに貴重な映像の存在を知ることができたことに心から感謝いたします。
でもRevolverTVはあれからYouTubeチャンネルもFacebookページも閉じてしまってますが、何かあったんでしょうか?ひょっとしてお縄ちょうだいされた??
・・・気になります。
さてさて、ここまできたら「MUSIC!」全編を見て答え合わせしなきゃいけません。
海外の公共施設での所蔵が確認出来たのだから、何とかできるんじゃないでしょうか?
続きはその時にまた!
(→追記:【追記編】ビートルズ「ヘイ・ジュード」セッション動画を追う)
*注:ジェフがビートルズとの仕事に距離を置くようにしていたのは事実ですが「1969年になるまで彼らの仕事は一切しなかった。」は正確ではないようです。著書「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」では1968年に「ヘイ・ジュード」のミックスに少し関わり、「イエロー・サブマリン」のステレオ・ミックス制作時にもビートルの4人と接してることを記しています。(P408〜411)
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