会津若松から映画館が消えていたこと
先日観た映画「この世界の片隅に」の世界にすっかり魅了されてしまいました。
あれから監督のインタビューやレビューを読んだり、そして原作を読み始めたりと・・・しばらくしたらもう一度観に行きたいです。
色々書きたいこと調べたいことが湧いてくるのですが、もうしばらくぐっとガマン。
例えば、映画では、すずが迷い込んだ甘美な白昼夢のように一度だけ描かれていた遊郭(現・朝日町にあった朝日遊郭)は、原作ではもっと重要な場所となって出て来るそうで・・・。
色々堀りたいところがたくさんです。
さて。
すずが昭和元年生まれだと知って、私の祖母と同い年であるということに気が付きました。
祖母がこの映画を観て何を感じるか、自分の子供の頃、若い頃のどんなことを思い出すのか、とてもとても興味がわきました。
そこで、年末か年始に帰省する際に一緒に観に行けないだろうかと、会津若松の映画館の上映情報を調べたところ・・・愕然。
なんと今、会津若松には映画館がひとつもないということが判明。
かつては「栄楽座」「みゆき座」「会津東宝」などと町中で上映映画のポスターを競っていたもの。
その中でも一番馴染みがあって、最後に残った1館が「会津東宝」。
2012年6月に火事があって営業を終了していたとは知りませんでした。
幼いころは「のび太の恐竜」をはじめとする一連のドラえもん映画シリーズや、「まことちゃん」(なぜか同時上映は「翔んだカップル」だった)、「がんばれ!!タブチくん!!」・・・じゃなくて、いしいひさいちの絵で「プロ野球ニュース」のパロディのようなアニメ・・・アレなんてタイトルだろう・・などを親に連れて行ってもらったことを覚えています。
「男はつらいよ」が大好きだった母方の祖父母には、新作が封切りされると「会津東宝」へ強制同行。
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1982年の第30作「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(田中裕子、 沢田研二 出演)あたりから1986年の第37作「男はつらいよ 幸福の青い鳥」(志穂美悦子、長渕剛 出演)あたりまでを観た記憶が残っています。
まだちゃんとストーリーが理解できないから、周りの人が笑うと一緒になって笑ったり。
(「釣りバカ日誌」以前の同時上映作ってなんだったけ?)
映画のあとは、じいちゃん、ばあちゃんと食事に行くのが楽しみでした。確か「南京」という今もある中華屋さんか「養老乃瀧」によく連れて行ってもらったように覚えています。
高校時代は、母親が市内のバスの切符売り場兼プレイガイド(って今通じるのかな)に勤めていて、市内のどの映画館もフリーで入れるチケットを毎月数枚もらって来ていました。
学校の後、ひとりで映画を観によく行きました。それも「会津東宝」に行くことが多かった気がします。
観た映画で覚えてるものと言えば(おそらく「栄楽座」で観たものも混じっていると思います。)「インディ・ジョーンズ」「ダイ・ハード」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(2か3)、「ゴースト」とド王道ばかり・・・。それでも平日の夕方の劇場内は人もまばらで、時には1人劇場を独占してしまうこともありました。そんな時間が心地よかった。
でも、「ドラえもん」や「男はつらいよ」を観に行く休みの日は立ち見だったり、席がバラけたりしたする盛況ぶりでした。
そんな会津東宝。
火事にあう1年前、2011年の震災翌月の4月に取材されたレポートをウェブに見つけました。
ぐぉーーー。
建物、受付、館内、座席、廊下・・・基本ほぼ変わってない。
(いや、現在は閉館してるんですが・・・。)
このもぎりのカウンター、入り口脇のアイスクーラー、この重い入り口の扉・・・座席はもっとボロボロだったと思うけれど、席数は88席とこんなもんだったんだ・・・・。
もっと広いように感じていました。
脇道にそれました。
そんなわけで、「この世界の片隅に」はDVDが出たらばあちゃんにプレゼントすることにします。