アダチ龍光さんのこと:郡山とアダチの血
アダチ龍光さんの弟で、私のばあちゃんの腹違いの兄に当たる、後のお寺の住職となる天真和尚の長女の娘さんが郡山でスナックを経営されているということを、以前からおうかがいしていました。
お店の名前は「びいどろ」。
場所も以前から調べて、前回郡山に昼間来た時に確認済みだったので、この日この場所に夜いるのも何かの縁かお導きか、ということで、飲みにおうかがいしてきました。
木のドアを引き、薄暗い店内へ。
客はまだ誰もおらず、ソファにアンニュイな雰囲気でもたれ掛かり、スマホをいじっているママ。
「はじめてなんですが・・・。ひとりでいいですか?」
「いらっしゃいませ。どうぞ。」
「実は私、アダチカツノリと申しまして・・・(云々)」
「えーー!?」
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なんて具合に、あっという間に打ち解けることが出来ました。
長い間会津に住まれていて、後に実家のお寺のある鹿瀬に戻ったり、神奈川に住まわれたり、いろいろなご苦労があったようです。
でも、持ち前の明るい性格なんでしょう。
会津のアダチにはあまりないカラッとした明るさが気持ちいい方でした。
龍光さんの思い出をおうかがいしたところ、
「お寺に鐘を寄贈して、鹿瀬の小学校に手品をしに来たことがあって、その時に鹿瀬のお寺で会ったことははっきり覚えてます。」
とのこと。
おそらく、1975年(龍光79歳)5月の鹿瀬小学校の100周年記念で手品を披露した日のことでしょう。
鐘の寄贈と鹿瀬小学校の100周年記念奇術が同じタイミングだっとは知りませんでした。
この件はここに書きました。
あと、余談ですが、妙にウチの父親のことを詳しく覚えていらっしゃるのでなんだろうと思ったら
「だって、あの人とお見合いの話があったんだから」
ですって。ひっくり返ってしまいました。
なになに、運命が違ってたら、ママが私のお母さんになってたってこと?
(いやいや、私自体存在しないですね)
親父の戦慄の事実が判明。
その後親父に確認したら事実だった。
なーにが、酔って涙流しながらの口癖
「オレは死んだ女房一筋だったんだ。」
だよ(笑)。
いやぁ、楽しかった。
またおうかがいします。
初めてのひとりスナック、よろしゅうございました。