遁レコサイト成人式
今月入ったら何か特集でもやろうと思っていたのですが、気がつけば9月も20日過ぎになってしまいました。
えーー、遁レコサイトはこの9月23日で開設から20周年を迎えます。
「世にはインターネットというものがあって、世界中に情報発信が出来るらしい」
と衝動的にローンを組んでパソコンを購入したのが1996年の9月。
「HTML入門」ってな本を買って数日後にホームページを開設。それが9月23日でした。
今となってはピンと来ないかもしれませんが、まずは表紙代わりのトップページがあって、それをクリックしてもらってから目次代わりのコンテンツ一覧を見せるという流れが一般的だった気がします。
開設当時のファイルが残っていないので、2000年頃のものかと思うのですが、要はこんな感じです。
http://www.tonreco.com/indextest.htm
中身の開設当時のファイルが残っていました。
http://www.tonreco.com/intro.htm
アングラ臭ぷんぷん。
当時はインフラが28.8Kbpsのモデムで、インターネットの接続は電話回線。つまり、インターネットに繋いでる間はどんどん電話代が掛かるのです。もちろんすぐにテレホーダイに加入しました。
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画像をアップするのもちと大変だったし、画像が多いサイトは読み込みに時間が掛かるので敬遠されるところもあったように思います。
開設から数日後9月27日には日記のようなことを始めています。
http://www.tonreco.com/words/words96.htm
青臭くて思わず笑ってしまいますが、奇しくも最初のテーマが藤子F不二雄の死に関して。氏が亡くなったのは9月23日だったのですね。
何故私が「藤子不二雄Fこと藤本弘」と記しているのかは不明。
単なる私の凡ミスか、はたまた当時はFの位置の認識が定まっていなかったのか。
あとこの時期は、まだまだ企業がウェブサイトを持つことも始まったばかりで、サイトを公開してるだけで、取材を受けたり雑誌に取り上げられたりすることがありました。
例えば「あちゃら」(リクルート)1997年4月号。
http://www.tonreco.com/achra.htm
無記名原稿でしたが、取材をメールで受けたのは「ロッキング・オン」を離脱した直後だった(と記憶している)川崎和哉氏からで感激したのを覚えています。
アングラ誌テイストがワクワクした「インターネット・マニア」(大滝詠一のインタビューが6ポくらいのサイズでびっしり載ってたのをむさぼるように読んだのを覚えています)にも取り上げられたともあります。
(覚えてないのですが・・・)
http://www.tonreco.com/words/words97-1.htm#518
また当時、インプレスだったか(検索したらソフトバンクからでした)「インターネット・イエローページ」といウェブサイトの電話帳が出版されていて、当たり前のようにウチのサイトが載っていました。
本でウェブサイトを網羅できてしまえるようなそんな時代だったわけです。
(つづく・・・かも・・・このネタ面白いかな?)