【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その10
(title design/S.Takei)
前回、四谷四丁目ホームページ委員会 小林辰充様(四谷大木戸 藪蕎麦 ご主人)からご提供いただいた1981年撮影のドラマ「太陽にほえろ!」のロケ写真をご紹介させていただきました。
ここに「トルコ 大木戸」と、手前と奥の並びで建っていたとされる「割烹 自慢荘」の看板と入り口がはっきりと確認出来ることに、衝撃と感動をおぼえ、それを私たちは共有しました。
さて。
この写真に関する小林様のコメントに
この時には自慢荘は経営はしていなかったと思います。
というものがあり、この点がどうにも引っ掛かっておりました。
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今一度、住宅地図を確認して参ります。
これが1982年版。
そして1995年版(1994年11月発刊)。
1996年版(1995年11月発刊)で「割烹 自慢荘」「大木戸ソープランド」は建て壊され、新ビル建設に向けて動き始めます。
つまり地図上では、「大木戸」とともに建て壊される1995年ごろまで「割烹 自慢荘」は存在していることになっているのです。
過去ご紹介した、ホテル長良川のご主人の証言でも、
「ある時期からは料亭はやらなくなって、お風呂だけになったんだよ。」
というものがありました。
単に私が見ている地図が正確ではないということなのでしょうか?
ではでは。
ここで少し話を変えます。
新宿区歴史博物館様からお借りした写真の中からもう1枚ご紹介します。
新宿区歴史博物館の例のピンク色のファイルには
「S40〜45? 四谷4-25 大木戸会館前」
という説明書きがありました。
御覧ください。
右の方の電柱に「割烹 自慢本店」と書かれた看板が見えます。
「お、おっ!これは? 『割烹 自慢荘』の看板なのでは!?」
新宿区歴史博物館の閲覧室で思わず声を出してしまったことを覚えています。
この写真を四谷四丁目町会のみなさまにご覧になっていただいたところ、
恐らくそれは大木戸坂下の交差点を花園小学校東の信号側から撮ったものと思われます。
正面の高い建物は関口貨物があった関口ビルですね。
その先には靖国通りの富久町の歩道橋が見えます。
との証言をいただきました。
現在の地図を見てみます。
右下の赤丸が「トルコ 大木戸」「割烹 自慢荘」がかつてあった場所と「ほぼ」確定しているエリア。
赤い矢印が、今回の写真が撮られた場所と思われるところです。
現在の写真を掲載します。
(2016年6月30日撮影)
すっかり風景は、変わってしまっていて、かろうじて富久町の歩道橋が共通の景色として残っています。
では、「割烹 自慢本店」と書かれた看板に関しての四谷四丁目町会のみなさまの証言をご紹介します。
看板についてですが、「自慢本店」ですよね。
実はこれはまた別の小料理屋さんがあったのです。
閉店したのは比較的最近(7、8年くらいか・・)なので、ネットにも情報はあると思いますよ。ここは「Uさん」という方がやっておられました。
自慢荘との関係は私共も分からないのです。
[注:人名等一部修正しています。]
「割烹 自慢荘」とは別の店!?
「割烹 自慢荘」は「1980年代前半には営業していなかった。」という証言と合わせ、これは一体なんなんだろうかと早速、ウェブで「自慢本店」を検索してみました。
確かに「食べログ」に「このお店は現在閉店しております。」として情報が載っています。
ジャンルは「懐石・会席料理」。住所は「新宿区四谷4-25」とあります。評価や口コミは、(すでに消されてしまったのかもしれませんが・・)ともに0件。
1996年にBrewster Kahle氏によって設立された非営利法人インターネットアーカイブによる、過去のウェブサイトのデータを保存しているサービスWayback Machineで検索を掛けてみましたが、情報はゼロ。
やはり、足を使うしかなさそうです。
「食べログ」にあった住所「四谷4-25」に向かうと、煉瓦色といえばよいのでしょうか正方形のタイル貼りの外観が特徴のマンションがありました(上記地図の青丸の場所)。
入り口なのか裏口なのか、黒い鉄柵があります。
そして灰色の塀には、今は使われていないようですが、木で出来た独特の長方形の枠がある、埋め込み型の壁面照明が一定の感覚で付けられています。
ここにオレンジ色のあかりが灯されたなら、とても趣ある雰囲気になりそうです。
受ける印象としては「割烹 自慢本店」があったのはこの辺りと感じました。
早速隣りのビルの1階の中華料理店のご主人に話を聞きました。
「この隣に『自慢本店』という店があったと聞いたのですが・・・。」
「あー、はいはい。ありましたよ。10年くらい前にやめちゃったんじゃないかなぁ・・・。」
「その頃から建物は変わってますか?」
「いや、このまんまですよ。」
「その角を曲がったちょっと先に『割烹 自慢荘』というお店があったと思うのですが・・・。」
「ああ、『多満川』さんでしょ?」
(「多満川」さんも古くから営業されている老舗の小料理屋さんです。)
「いえ、もう少し先です。」
「うーん。あったような気もするけど・・・。私もここはそんな長いわけじゃないから・・・。」
「食べログ」は株式会社カカクコムが、2005年にサービスを開始したグルメサイトであります。(株式会社カカクコムウェブサイト「カカクコムの歩み」より)
「自慢本店」の情報が、「食べログ」に掲載されているということは、少なくとも2005年・・・サイト立ち上げまでの準備期間中を鑑みても2003〜4年くらいまでは営業されていたと考えるのが自然ではないでしょうか?
今一度、新宿区歴史博物館所蔵の看板の写真に話題を戻しますと、撮影時期は「S40〜45?」とありました。
1960年代はじめから半ばには「自慢本店」は「割烹 自慢荘」の数十メートル離れたすぐ近くで営業していたことが想定されるのです。
ここまでの疑問点を整理します。
・「1980年代はじめには営業していなかった」とされる「割烹 自慢荘」は、何故最後まで地図上に名前を残していたのでしょうか?・「自慢本店」と「割烹 自慢荘」の関係は?
-「割烹 自慢荘」を閉めて「自慢本店」を新たに営業したのでしょうか?
-系列店として2店舗並行して営業されていた時期があるのでしょうか?
-もしくは同じ屋号を巡ってシノギを削ったライバル店だったのでしょうか?「元祖◯◯◯」「本家◯◯◯」いった感じで。かつての「ほっかほっか亭」と「ほっかほか亭」の争いのように。
嗚呼、今すぐお墓の前に行って、マル・エヴァンスに聞きたい!
共同企画の中村実さんに聞きたい!
→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その11
[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)