【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その7
(title design/S.Takei)
前述しましたが、日々の活動や地元の歴史に関して、掲示板やウェブサイトを通じて、積極的に情報発信を行っている四谷四丁目町会のことは、今回の取り組みの最初の頃から
「ここには是非一度ご連絡をさせていただこう。」
と心に留めておりました。
そして、四谷図書館のE司書の推薦もあり、メールで今回の主旨をお伝えし、情報収集とご提供のご協力をいただくことができました。
ご意見や資料収集の取りまとめと窓口になっていただいた四谷四丁目ホームページ委員会 小林辰充様と町会のみなさまに、心より御礼申し上げます。
小林様は四谷四丁目交差点そばの老舗のお蕎麦屋さん「四谷大木戸 藪蕎麦」のご主人。
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後日ご挨拶におうかがいさせていただいたところ、私とほぼ同世代の方で、「私もビートルズが好きで、昔バンドもやってたんです。」とも語る穏やかなお人柄とお見受けいたしました。
この際は、メールでのやり取りの過程で、私の熱が上がりすぎ、少々度が過ぎたご質問をしてしまったお詫びも含めての訪問であったのですが、
「我々も、昭和の四谷の風景を知っている方々が少なくなっている事態を危惧し、様々な取材を通して記憶のデジタル化を進めております。」
とおうかがいしていた町会様の一貫の取り組みとしてこの
「50年前にポール・マッカートニーが四谷四丁目に訪れようとしていた場所探しの旅」
を捉えていただいて応援していただき、とても感激しました。
さて。
それでは、四谷四丁目町会様から寄せられた資料と証言を確認して行きましょう。
まずは、この写真から・・・いきなりこれはすごい!
「1977年のもの」とおうかがいした、四谷四丁目交差点(大木戸交差点)の空撮写真が3枚。
モノクロ写真2枚にカラー写真1枚です。
早急に1977年の地図を入手しなきゃいけません!
取り急ぎ、手元にある1965年の地図
と照らし合わせ、「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」があった辺り、そして煙突が見えないものかと確認します。
では、それぞれの画像をズームしてみましょう。
おお!
1965年の地図に合致して、「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の存在がはっきりと確認出来ます。
2枚目はズームにすると正直つらいかも・・・ですが、この2枚目こそ煙突が確認出来るのでは? とさんざん目を凝らしてみたのですが、これぞ! と場所を特定することはかないませんでした。
地図と照らし合わせますと、自慢荘の奥にある横長の建物がトルコ大木戸だと思われます。だとすると、自慢荘とトルコ大木戸の間に、渡り廊下のようなものが見えますが、自慢荘の中から行き来が出来るようになっていたのでしょうか?
ただし、松沢呉一さんからは、
割烹とトルコの営業が併設されていることはないと思うので、別の店だと思います。経営が同じ可能性はありますが、たんに貸していた可能性もあり。
(2016年6月26日 2:16 Facebookコメントより)
との見解をおうかがいしました。
さて。
では、四谷四丁目町会のみなさまからお寄せいただいた証言をお伝えして参りましょう。
【証言1】
「トルコ大木戸はあった。煙突もあったと思う。」
やはり、松沢呉一さん、ホテル長良川のご主人、宇宙村村長の記憶と証言に間違いはないようです。
しかし、ここまで来てもその煙突の存在を、この目で確認出来ないというのは一体何故なのでしょうか・・・。
改めてその辺りをおうかがいさせていただいたところ
「煙突に関してですが、あそこは基本的に人通りが少なく、あまり目につかない通りなのです。よって地元でもなかなか覚えていないのです。」
とのことでした。
果たして・・・?
【証言2】
「トルコの名称が禁止になってソープランド大木戸? と改名してしばらく営業していた。」
1984年のトルコ風呂名称問題によって「トルコ大木戸」も「ソープランド大木戸」と改名したのでは? とのこと。
ホテル長良川の主人の証言から、90年代はじめ、あのガラス張りのビルが建てられる直前まで営業していたと想定されます。
(ビルの定礎には1996年(平成8年)とあります)
ただ、店舗の名称が1984年以降、本当に「ソープランド大木戸」だったのかは、現時点ではわかりません。
【証言3】
「トルコ大木戸の場所は自慢荘の奥側の半地下のような入り口だったような。」
【証言4】
「トルコが自慢荘の地下なのか、それとも別棟なのかは不明です。」
【証言5】
「写真では大きな屋根が2つ見えるが、その奥(北側)のこまごました部分の場所ではないか。」
【証言6】
「横長の建物はすべて自慢荘ではないかと(思う)。」
ここは、旅館長良川のご主人からの証言、
「地下にトルコ風呂があって、もともとはその上が料亭だったんだよ。」
と合わせ意見が分かれてしまったところです。
「トルコ大木戸」と「割烹 自慢荘」はそもそもひとつの建物だったのでしょうか?
1965年の地図に見られるように、そして今回の1977年の空撮写真でみられるような渡り廊下で繋がった2つの建物だったのでしょうか?
または、この2つの建物いずれでもなく、「トルコ大木戸」は、そのさらに北の辺りにあったのでしょうか?
また、松沢呉一さんから挙がっていた
「そもそも当時にトルコ風呂が地下または半地下に存在できたのか?」
という疑問も、ずっと引っ掛かっていました。
いまさらなんだけど、「料亭の地下」というのもあんまり考えにくい。今だったら換気設備が充実しているから可能だとしても。銭湯もかつては地下にはなかったでしょう。
この建物は木造だよね。木造建築の地下でトルコ風呂は可能なのかなあ。今現在100軒に1軒くらいは地下銭湯があるんだけど、すべて鉄筋の新しい建物です。
半地下くらいはあり得るとして。
なるほど・・・。
とすると
「地下にあった」
「半地下のような入り口」
というのは、正確ではなくて、入り口までに少し短い坂があった・・というくらいが正しいのでしょうか?
今回の町会のみなさま方の証言から、私が一度「ほぼ確定」としてしまった例の透明のビルが、本当に「トルコ大木戸」の跡地であるかどうかも、微妙になってしまいました。
一度つかみ掛けた「真実」だと思われたことが、再びふわっと、手から少し離れて行ってしまったような気持ちです。
しかし、四谷四丁目町会のみなさまの証言のお陰で、「トルコ大木戸」が確実に四谷四丁目のあの辺りに存在したということは確定したのです。
→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その8
[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)