【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その5

(title design/S.Takei)
今回は、後半戦(?・・・ホントに終われるのか?)に向けた、予告編みたいな内容です。
そんなわけで前日までに、1969年7月1日に「ポールが行こうとしてかなわなかった」トルコ風呂の場所、お店の名前までをついに知ることが出来、看板の写真までを見ることが出来ました。
しかししかし、それでもそれでも、どうしてもどうしても
「もうひと越え先を見に行けないだろうか。」
と欲が湧いてきてしまいます。
翌日。
「今日一日だけ正攻法を続けてみよう。」
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と西早稲田駅近くにある新宿区で一番大きな図書館である、区立中央図書館へ出掛けることにしました。

ウェブサイトで館内ガイドを見ると「地域資料 新宿・東京」のスペースがなかなか大きいように見えました。
副都心線に揺られること数十分。
西早稲田駅から徒歩5分ほどで区立中央図書館に到着。
もちろん「地域資料 新宿・東京」コーナーに直行します。
前日、区立四谷図書館でも見た、新宿の文化・歴史を写真で追った書籍、その他東京、新宿の歴史・文化・風俗を取り上げた書籍から四谷四丁目〜新宿2丁目周辺に関して言及した文章を追い掛け、またこれも昨日たくさん見た、森山大道をはじめとした新宿の文化・風俗を生々しい躍動感ある撮影でとらえた写真集をすみずみ眺めること約1時間ほど。
しかし、残念ながらこれといった成果は見られず、リファレンスコーナーへ。
先に相談されている方がいて、後ろで並んで待つこと数十分。
見かねてくれたのか他の職員の方が、
「何をお探しですか?」
と声を掛けてくれる。
探している写真のことを伝え、
「書籍は開架で一通り見終わったので、閉架の書籍、または写真の所蔵があったら調べて欲しい」
旨を伝えました。
すると
「これに具体的に記入をお願いできますか?」
と「質問シート」というものを渡されました。
そこに
・1960年代から90年代に掛けての四谷四丁目交差点(大木戸の交差点)周辺の写真を探している。
・出来れば交差点から外苑西通り方面を撮った写真で。そして左手にあったという煙突が見たい。
と言われる通り、スペースいっぱいいっぱいに具体的に記入をしました。
質問シートを職員の方に渡したのち、しばらくして司書の方がおいでになりました。
いいぞいいぞ。
昨日の四ッ谷図書館のE司書みたいによろしく頼みます。
「お待たせいたしました。ご質問拝見いたしました。お掛けになってしばらくお待ち下さい。」
数分後。
開架書庫から新宿文化・歴史関連の書籍を持って来て、地図を片手にめくり出す。
「えーっと、開架の図書は先程ひと通り確認してきましたので、閉架か、写真の所蔵があれば探していただきたいのですが・・・。」
「わかりました。」
と
を検索し始める。
「はい。そこも昨日四ッ谷図書館で、教えていただいて一通り確認いたしました。」
もちろん司書さんが、的確な資料探しを試みようとしていることは十分伝わって来ました。
「写真を見つけるなら、新宿歴史博物館を当たるの方が、良いのでしょうか?」
「はい。区内で一番写真を所蔵してるのは、新宿歴史博物館です。」
と、新宿歴史博物館の問合せフォームのあるページを紹介してくれる。
「ウェブで公開しているデータベース以外の写真もあるのでしょうか?」
「はい。古い写真を集める方法や、写真が集まっても整理しきれていないという課題があるようです。学芸員がいますので相談されてはどうでしょうか?」
オッケイ!十分に良い情報だ。
司書さんにお礼を伝え、いざ新宿歴史博物館へ。
その時、時刻は16:00頃。
新宿歴史博物館の閉館は17:30だ。
西早稲田から副都心線で新宿三丁目へ。
そして丸ノ内線で四谷三丁目へ。
一体、私は連日この駅の周辺にどれだけの時間いるんだろうか。
駅から歩くこと10分ちょい。
16:40頃、新宿歴史博物館到着。
時間は十分にあるだろう。

受付で、新宿の古い写真を探している旨を伝え、2階の事務室を案内される。受付のチャイムを鳴らすと、学芸員と思われる女性が対応してくださる。
また、いつもの呪文の
・1960年代から90年代に掛けての四谷四丁目交差点(大木戸の交差点)周辺の写真を探している。
・出来れば交差点から外苑西通り方面を撮った写真で。そして左手にあったという煙突が見たい。
という目的を伝える。
加えて
「ウェブサイトで公開しているデータベースは全て確認しているので、公開していない写真があれば見せていただけませんか?」
とも要望。
しかし、どうも具体的に場所がイメージ出来ない様子で、
「古い地図を持って来ます。」
というので、
「持って来てます。」
と1965年の地図で示し、ご理解いただけた様子。
「少々お待ち下さい。」
と奥にいる男性の学芸員に相談している様子。
「そっち側の写真は、見たことがないですねぇ・・・。煙突なんかありましたかねぇ・・・。」
「そうですか・・・。お風呂屋さんがあったんですが・・・。」
「出版か何かですか?」
「いえいえ、個人の興味で調べ物をしてまして、ウェブサイトにまとめているんです。」
「個人でですか?? 一体何をお調べになってるんですか?」
50年前にビートルズが来日した際に、メンバーがホテルを抜け出して・・・・云々。
「そうですか・・・・。」
再び奥にいる男性の学芸員に相談。
何やらピンク色のファイルを手に戻っていらっしゃいました。
「ここに現在所蔵されている四谷四丁目に関する写真がすべて掲載されています。多分お探しのものはないと思いますけどねぇ・・。念のため見ますか??」
「はい。もちろん!」
画像の貸出の可否、ウェブ掲載時のコピーライト表記など気になる注意点を一通り確認する。
「では、奥の閲覧室へどうぞ。貸出希望の画像はこの貸出申請書に記入してください。」
ついに、お宝の山にありつけるのか!
興奮しながらファイルを持って、閲覧室へ。
ファイルを開くと、掲載されているのは写真の現物ではなく写真がモノクロコピーされた少々不鮮明なもの。
目を凝らしながら、四谷四丁目交差点辺りで何か発見がありそうな画像、外苑西通りを進んだ四谷四丁目の画像を5点貸出申請をしました。申請書には何に関して調べているのか、それをウェブサイトに掲載するという目的も明記しなければなりません。
審査を通じて数日後貸出の可否の連絡が来るとのこと。
果たして成果は得られるのか!?
そして・・・。
これも近々の大きな宿題としていた四谷四丁目町会様への問合せ。
まずは、四谷四丁目町会ウェブサイトに掲載されていた「HP事務局」様宛にメールを送りました。
取材の主旨と目的を記載し、四谷図書館のE司書からご紹介いただいた旨もお伝えをしました。
また、これまでお話をおうかがいした方、資料を探してきた場所、そこからわかってきた「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」に関することについてもまとめました。
その上で、「ご相談させていただきたいこと」として下記のお願いをしました。
・「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の黒い煙突が写った写真はございませんでしょうか?
・「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」が写った写真はございませんでしょうか?
・「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の看板が写った写真はございませんでしょうか?
・「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」に関しておわかりになること、はございませんでしょうか?
・「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」に関してお話をおうかがい出来る方はいらっしゃいませんでしょうか?
・地元の方々は「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の存在にどんな印象をお持ちでしたでしょうか?
あまりに、あまりに長文のメールになってしまいました。
相手に引かれてしまったらどうしよう・・・。
しかし!
その予想に反して、数時間後には四谷四丁目ホームページ委員会 小林様より、お返事を頂戴いたしました。
お問い合わせの件、了解いたしました。
どのような形で貢献できるか、まだ分かりませんが、当HP委員会の議題として取り上げて、情報を集めてみたいと思います。
我々も、昭和初期の四谷の風景を知っている方々が少なくなっている事態を危惧し、様々な取材を通して記憶のデジタル化を進めております。
少々お時間を頂くかと思いますが、今しばらくお待ち下さいませ。
なんという前向きなお返事!
感激してしまいました。
すぐに、お礼と、その時点でウェブに公開している文章のURLをお伝えさせていただきました。
そして・・・・。
2016年6月29日。
ビートルズが日本にやって来た日からちょうど50年を迎えた日。
新宿歴史博物館から
「画像データ貸出の準備が出来たので、来館して欲しい。」
という連絡が!

四谷四丁目ホームページ委員会 小林様より
「ホームページ、興味深く拝見させていただきました。先日、委員会の方で議題に上げまして、少々ですが情報を収集いたしました。私共が知っている限りの情報では、以下の認識となっています。」
で始まる、複数の画像データが添付された長文メールが!
私は何かに憑かれているのでしょうか・・・。
どこかに呼ばれているのでしょうか・・・。
もう、それでもいいっ!
というわけで、膨大な資料と証言、そして追加で行った飛び込みヒアリングで、明らかになったことがあります。
さらなる迷宮に入り込んでしまったところもございます。
今回は経緯と予告だけみたいになってしまいましたが、次回以降、ひとつひとつ整理して行きます。
いやぁ、面白いですよ!
→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史(番外編)
[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)