【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その4
(title design/S.Takei)
国会図書館での成果を得て、「ポールが行こうとしてかなわなかった」トルコ風呂の場所と名前がついに判明しました。
「ではではその次は、写真を探してみよう!」
と永田町から新宿御苑に移動し、四谷四丁目交差点の少し新宿寄りにある新宿区立四谷図書館へ参りました。
「四ッ谷の資料は地元の図書館をまず当たってみよう。」
と思った次第です。
すぐにリファレンスコーナーへ直行し、
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「四谷四丁目交差点、大木戸の交差点の1960年代以降の写真を探してるんですが・・・。」
と司書と思われるEさんに相談。
テキパキした対応で、データベースをすぐに検索。
新宿歴史博物館が所蔵する写真資料の一部を公開している「新宿史博物館 データベース 写真で見る新宿」から検索結果を見せてくれました。
ただしかし、新宿通りを新宿側から四ッ谷方向へ写したもの、または四ッ谷側から新宿方向へ写したものは多数見つかるのですが、僕らが目的としている交差点を曲がって外苑西通りを靖国通りへ向かった風景というのがどうしても見つからないのです。
気になる写真を見ながら、
「こっちが新宿方向ですか?」
「この建物はなんですか?」
などと質問すると、Eさんは(おそらく20代後半か30代はじめくらいの方かと思うのですが)、これが実に詳しくよく知っていて感心しました。
「いかがでしょうか?」
「ここを曲がった外苑西通りを靖国通りへ向かった写真をさがしているんです。で、この辺りに煙突が立っていたらしいのです。その写真を見つけたいんです。」
早速、先ほど入手したばかりの1965年の地図をEさんに示しました。
「煙突ですか・・・。お風呂屋さんか何かあったのですか?」
「あ・・・はい。そうです。」
そこでEさんは再び検索作業を開始、
「しばらくお待ち下さい。」
と書架へダッシュ。待つこと数分。
Eさんは、新宿の文化歴史を写真で追った書籍など数冊を抱えて戻って来ました。
「あと四谷四丁目の公衆浴場の登録も調べてみますね。」
「あ、いやいや。・・・・特殊浴場なんです。」
改めて、1965年の地図で「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の場所を示します。
「あ、あぁ、なるほど。・・・ところで、どうしてこのことを調べてるんですか?」
「50年前にビートルズが来日した時、ポールがホテルを抜けだして・・・(云々)」
「えー!そんな話があるんですか!? 面白いですねー。ちょっとお待ち下さい。」
ニコニコとテンションが上った様子で、Eさんは再び検索作業を開始。
「しばらくお待ち下さい。」
と書架へダッシュ。待つこと数分。
今度は、「新宿」シリーズで、1960年代から新宿を撮り続けてきた森山大道の写真集などを抱えて戻って来ました。
「あとは、エログロ、アングラもの辺りにひょっとして、写ってないかなと思いました。」
そこで、山に積み上げられた10冊近くの本をEさんがめくり始めたので、
「いやいや、後は私が見ますので・・・。」
と、深くお礼をして、本を抱えて閲覧用の机へ移動。
それ以外にも、
「新宿歴史博物館にウェブで公開していない写真があるかも」
だとか
「四谷四丁目町会は積極的に地元の歴史を収集したり情報発信をしているので、広報に問い合わせてみてはどうか。その際は四ッ谷図書館からの紹介と言って見ると良いかも。」
など、あまりにも懇切丁寧な対応に感激をしてしまいました。
うん。
四谷四丁目町会のウェブサイトの充実ぶりは注目をしており、近々メールで問い合わせてみようと思っていました。
そんなわけで、Eさんにチョイスしていただいた本を1ページ1ページ夢中で確認することしばし。
いくつかいい感じ、でもどうしても惜しい写真を見つけては、一応しおりを挟みながらページをめくっていきます。
するとEさんがわざわざ私のところまでやって来て、
「この本は区内の他の図書館にあるのですが、取り寄せはすぐに出来ますよ。」
と
広岡敬一「トルコロジー トルコ風呂専門記者の報告」(晩声社)のメモを持ってきてくれました。
Eさん、いい人過ぎるよ・・・・。
お礼を伝えて、それまでに見つけた気になる写真をいくつか見てもらって、場所を確認させてもらったりと、有り難いことこの上なし。
あなたは図書館司書の鏡であります。
さて、そんなわけで一通り本を確認し、
「四谷四丁目交差点を外苑西通りを靖国通りへ向かった左手に煙突の写った風景」
は、残念ながらやはり見つけることが出来なかったのですが、1枚だけ「おっ!」っと、気になる写真があったのです。
「目で見る新宿区の100年―写真が語る激動のふるさと一世紀」(郷土出版社)のP175に掲載されていた「四ッ谷4丁目大木戸交差点(昭和39年)」という写真です。
手前に都電の走る姿を捉え、四ッ谷方面をおそらく新宿区文化会館(現在四谷図書館のある四谷区民ホール)から撮影したものと思われます。
ここに、同じ写真が、前述の「新宿歴史博物館 データベース 写真で見る新宿」に公開されているので引用します。
※後日入手した新宿歴史博物館所蔵マスタークォリティ版はこちら(JPEGデータ/1.4MB)
詳細は、1964年(昭和39年)9月25日の四谷四丁目大木戸交差点の写真とのことです。
さて。
ここで、交差点の外苑西通り方面(左)に目を凝らしてみます。
現在、旅館長良川とホテル新御苑の洒落た看板がある辺りに、何か文字が書かれたものが見えます。
ぐぐぐっと拡大してみると・・・。
あ!「トルコ大木戸」の看板を発見!!!
まず目に入るのが「トルコ」の文字。その文字を何か円形のもので囲んでいるデザイン。その円に重なるように何か文字か装飾がほどこされているように見えます。
それに重なるように中央に見えるのはタキシードを着た男性3人でしょうか。それを両方から囲むのは女性が数人?
その下には白抜きで「大木戸」の文字がはっきり認識できます。
「トルコ大木戸」の看板の左上には「長良川」の看板が!
松沢さんの記憶にあったという「外苑西通りを挟んだ、現、文象堂書店、旅館長良川側にも看板なり何か印象に残るものがあった。」というのはこれのことでしょうか?
ついにこれで私たちは、まだ「看板」という広告媒体を通じてのみではありますが、ポールが訪問未遂に終わった「トルコ大木戸」の存在を「間接的に」「画像で」目撃したことになるのです!
→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その5
[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)