【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その2
(title design/S.Takei)
まずはざっとこれまでのあらすじを。
ビートルズ来日から今月29日で50周年。
1966年7月1日にポールはホテルを抜け出し、明治神宮、神宮外苑を車で回って、皇居へ二重橋前辺りまで歩き、すぐにホテルに連れ戻されてしまったという有名なエピソード。
実はこれ、ポールは四ツ谷にあったソープ・ランド(当時の呼称はトルコ風呂)に行こうしていて、それが未遂に終わったという裏話があったというのです。
そんなこんなを検証しながら「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあった」という大きな煙突のあるトルコ風呂の場所までを知ることが出来ました。
こうなると、
【スポンサードリンク】
・そのお店の名前は?
・大木戸の交差点(四谷四丁目交差点)から煙突が写った写真は存在しないのか?
など、さらに知りたくなることがどうしても湧いてきてしまいます。
「新宿歴史博物館に行こうか。でもあそこは展示中心で資料が大量にあったり閲覧できるところなかったような・・・。」
「となると、四谷四丁目交差点そばの、四谷区民ホール内の四谷図書館の方が資料が充実してるかも。」
「もう少しあの辺でヒアリングすべきところはないだろうか?」
などと考えを巡らせていたところ、Facebookコメントにノンフィクション・ライターの松沢呉一さんから、また有り難いアドバイスがありました。
店名は、1970年までの男性誌を探すと出てくると思うよ。それまでお遊びと言えばトルコ風呂なので。大宅文庫に「ポケットパンチOh!」とかがあればいいんだけど、大宅文庫だと「平凡パンチ」どまりかな。
そうか。当時の風俗情報が載った雑誌を当たれば、何か手掛かりがあるかも・・・。松沢さんがおっしゃるとおり、ウェブから確認する限りでは確かに「ポケットパンチOh!」は、大宅壮一文庫には所蔵していないようです。
ネット通販やオークションで買うのもじれったい。
神保町に探しに行くか・・・。
じゃ、国会図書館は?
ウェブから蔵書検索すると、欠番はかなり多いけれど所蔵を確認。
そうだ、国会図書館には地図専門の部屋もあったよな。
ここも有力情報がつかめるかも・・・よし、国会図書館に行こう!
既に時計はお昼を回っていましたが、大至急着替えて準備して永田町へ。
国会図書館に来るのは実に久しぶり。
それこそ10年くらい前にアダチ龍光さんの資料を探しに来た以来。
(これに関しては、知人のコネも使わせていただき、記事内容検索の強い大宅壮一文庫での方がたくさん資料を見つけることが出来たことを覚えています。)
専用カードを作るなど、すっかりシステムが変わっていて若干戸惑ったけれど、利用者登録を済ませ、専用端末で「ポケットパンチOh!」を検索して、貸出の申請を。
本の用意が出来るまで30分くらい掛かるということで、その間に本館4階の地図室へ移動。
カウンターの司書さんに
「1960年代〜70年代の四谷四丁目の地図が見たいのですが・・・。」
と伝え、検索方法を教えていただく。
新宿の全域地図は、1962年から途中虫食いがありながら(発刊自体がされていない可能性もあります)、2015年12月版までの所蔵を確認。
1966年版はなかったので、1962年版、1963年版、1965年版の貸出を申請。
貸出の準備が出来るまで、15〜20分掛かるということでしばし待機。
アダチさーーーん!
大声で、名前が呼ばれ、地図3冊が出てきました。
ドキドキしながら資料閲覧用の机で地図を広げます。
地図の見方って以外に難しくて、戸惑いながら四谷四丁目周辺に目を凝らします。
あ、あった!
ではでは。
ここでは、1965年版の地図をメインに検証して参ります。
※参照用に大きいサイズのデータはここにアップします。
※真ん中にある縦のラインは、左右で地図掲載ページが離れていたためのブランクです。
さて。
ここではまず、くだんの料亭とトルコのあった場所を確認します。
地図をズームした画像をアップします。
つ、ついに疑問だった答えのひとつが明らかになったのです!
御覧ください。
「割烹 自慢荘」と、併設する「トルコ大木戸」の文字がはっきり見えます。
地名そのまんまのあまりにストレートな店名に、そして料亭とは思えぬネーミングにニヤリであります。
さて、ここで過去の地図も見ていきます。
まず、1962年の地図では、1965年版と全く異なる点はないように見えます。
次に1963年の地図を見てみると、「トルコ大木戸」の文字はなく、1965年版と1962年の地図で「割烹 自慢荘」+「トルコ大木戸」のエリアが「割烹 自慢荘」となっています。
これは、過日の旅館長良川のご主人の証言、
「地下にトルコ風呂があって、もともとはその上が料亭だったんだよ。」
という、「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」は同じ(少なくとも経営者が、)お店だったを裏付けることになるんでしょうか?
で。
この辺りのことはよくわからないのですが、大阪の飛田新地のかつての遊廓は、現在では表向きは料亭の集まりということになっていて、料亭で接客する女の子は仲居さんで、お客さんとは飽くまでも「自由恋愛」をする、ということになっていると聞きます。
「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」は、このシステムと同じだったと想像して良いのでしょうか?
1966年6月30日の夜、ビートルズのローディ、マル・エヴァンスは、共同企画の中村実氏に連れられて、四谷四丁目へ。
まず、「割烹 自慢荘」で食事をし、仲居さんと自由恋愛で「トルコ大木戸」に移動して行った・・・そんな感じなのでしょうか。
(【松沢呉一さんコメント】割烹とトルコの営業が併設されていることはないと思うので、別の店だと思います。経営が同じ可能性はありますが、たんに貸していた可能性もあり。)
さて。
このエリアの1965年版、1963年版、1962年の地図に共通しているのが、「割烹 自慢荘」から隣りの「飯塚」さんの住居との間に線が結ばれていること。これは、「割烹 自慢荘」と「トルコ大木戸」の経営者は、「飯塚」さんであったということを示すものなのでしょうか?
さてさて。
ここで、少し本題からずれるかもしれませんが、外苑西通りを挟んだ東側もとても興味深いので見ていきます。
ここでも1965年版の地図をアップします。
まず、旅館長良川が今と変わらぬ場所にあったことが確認できます。
もちろん銭湯蓬莱湯は、バリバリ営業中と察せられます。
本屋前の公園は、この頃から「新宿区大木戸児童遊園地」だったとは意外でした。高層マンションが立てられてその際に作られた公園なんだとばかり思ってましたが由緒ある公園なのですね。
あと、現「ホテル新御苑」は最初はこっち側にあったのですね。
そしてそして。
びっくりしたのが、旅館長良川(地図上の表記は「旅荘長良川」)周辺に宿が多いこと多いこと。
私が知る限り、旅館長良川以外は、現在一軒も存続していないはずです。
当時この辺りに宿が多かったゆえんとは!?
長年の歴史から、内藤新宿のあったころの名残なのでしょうか?
ふーー。
そんなこんなで、ポールトルコの場所と店名の解明までたどり着きました。
次は、トルコ大木戸の姿を・・とまでは欲は張らないので、何とか四谷四丁目交差点から、煙突があった風景が見れないものか・・・。
次に、私はその足で、四谷図書館に向かうことにしました。
この旅はまだまだ続きます。
PS.ちなみに国会図書館に所蔵されていた「ポケットパンチOh!」は、1968年創刊号の6月号と11月号、1976年1月号と4月号でした。
4冊をすみからすみまで目を通しましたが、斬新なデザインや三島由紀夫のエッセイや戸川昌子や五木寛之の小説連載に、唐突に西川きよしが自分の性癖について熱く語ってたり、ユーミンがインタビューで当時既に婚約者だった松任谷正隆のことを聞かれて「婚前交渉はテキトーよ」なんて発言してたりで、
「読んじゃいけない。読んじゃいけない。情報を目で追うだけにしなきゃ。」
と自分を制するのが大変でした。
神田、御茶ノ水、浅草、大阪の歓楽街の特集は確認出来たので、新宿を取り上げた回がある可能性はあるものと・・・。
これは、古書店やオークション等で地道に当たりたいです。
→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その3
[追記]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)
はじめまして ソープランド大木戸の画像をお探しとのことですが、テレビ朝日系はぐれ刑事純情派の第2シリーズ
第21話の過去を盗んだ男に映ってます 私も近所に住んでいたことがありますので有りますので懐かしく読ませていただきました 自慢本店も美味しいと聞いて探したこともございます 寿司三ますの近くですのでご存知かもしれません お役に立てたら幸いです
凄いですね。
凄いですね。