【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史
(title design/S.Takei)
ライブ活動休止から50年、我々にとっては武道館公演から50年。
ビートルズがグループとしては唯一この日本の地にやってきた日、6月29日をいよいよ来週に控え、CDリリースに特集本の出版にドキュメンタリー映画公開にテレビでの特別番組の放送に関連イベント開催にと何かと慌ただしくなって参りました。
雑誌「レコード・コレクターズ」にて2009年から連載をスタートし、現在も継続中の宮永正隆氏の「ビートルズ来日学」(DU BOOKS)が、満を持しての発売。
2段組400ページを超える大著ながら、読み進めるごとに明らかにされる生々しい事実や、まるでその場、その瞬間を体感しているかのような空気が伝わってきて、わくわくすることたまらないのであります。
さて。
そんなこんな読み進めること百数十ページ。
インタビュー相手は、ビートルズ来日時に運転手を務めた協同企画(現・キョードー東京)の肥田勲氏。
超厳戒態勢にて、羽田空港へ6月29日の明け方間近に到着し、永田町の宿泊先の東京ヒルトンホテル(現・キャピトルホテル 東急)に入って以来、ビートルズの4人は武道館との往復以外缶詰状態。
これにはさすがにストレスがたまります。
時は第1回目の公演を30日の夜に済ました翌7月1日。
【スポンサードリンク】
ここで、メンバーの脱出劇が始まります。
朝11時頃、まずはジョンが、続いてローディのマル・エヴァンスとともにポールがホテルを脱出。ジョンが原宿、麻布材木町、南青山で古美術を買いに、ポールが明治神宮、神宮外苑を車で回って、皇居へ二重橋前辺りまで歩いて、警官に「もうダメだ、戻りなさい」と5〜6分の散歩でホテルに帰された・・・ここまでは、誰でも知ってる有名なエピソードであります。
そして、そして。
それは「20章 ポール、そしてジョンの脱出」(P136)冒頭で、筆者から唐突に語られるのです。
『ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た 伝説の呼び屋・永島達司の生涯』(*)で、ポールがホテルを脱出した真の理由が明かされた時の驚きは今も忘れられない。
かいつまんでいえば「中村実というタレントの世話担当の社員がローディのマル・エヴァンスを四谷(本文ママ)にあった”外国人が喜ぶお風呂”に連れて行った。マルからその話を聞いたポールは翌日同行したいと強く懇願し、無理やり1階まで一緒に降りて来た。しょうがなく中村は二人を1階ロビーに待たせ、黒のプリンスを出した。玄関につけたプリンスに気づいた私服警官が近づきポールと押し問答になり、そのうちマスコミの中には気づく者も出始めた。刑事はやむなくポールを車に押し込み走り出した。読売の社旗を立てた車を先頭に何台か追っかけて来たため、まさか四谷に行くわけにいかず、やむなく皇居見学することになった」・・・と書かれているのだ。[*遁注]ビートルズを招聘したプロモーター、協同企画社長、永島達司の伝記。野地秩嘉著「ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た―伝説の呼び屋・永島達司の生涯」(幻冬舎)
突然のブッコミネタに「外国人が喜ぶお風呂」と書かれても一瞬ピンと来なかったくらいでありました。
つまり、ポールはホテルを抜けだしてソープランド(当時の呼称は「トルコ風呂」。日本で独特に発達した営業形態の風俗店)に行こうとしてたというのであります。
当時ポールは24歳。
「おい、マル!なんで昨日てめぇだけ、そんないいとこ連れてってもらってんだよ。オレも連れてけよ。で、誰に言えばいいいんだよ!」
そんなやり取りがあったのかもしれません。
協同企画の肥田勲氏は、
「僕は黒のキャデラック専門だったから。あれは4人全員が正式に動く時以外、使わなかったからね。」
と、ポール脱走劇の運転には関わらなかったとして、
「この時読売社が撮った写真を見るとポールがどことなく沈んだ顔つきにも見えてきます。」
の問いに
「そりゃ面白くないですよ。オフロ行くはずだったのに(笑)。」
と暗に事実と認めているようです。
では、肥田さんの協同企画の同僚にて首謀者とされる中村実氏の発言を追ってみましょう。
ちょうど10年前に出た月刊「PLAYBOY」日本版2006年6月号。
「[総力特集]ビートルズ来日40周年記念 ビートルズ・イン・ジャパン」に「ビートルズ日本滞在103時間全記録展プログラム」からの転載として、中村氏のコメントが写真とともに1ページを割かれてに掲載されています。
ポールに「抜け出すから外に連れてってくれ」と頼まれたんです。警視庁も見張っているからだめだと私は言いました。でも、ポールが目配せで出ようと合図をして、ロード・マネジャーのマル・エヴァンスとエレベーターに乗ってしまったんです。あわててついて来た警視庁の方に、どうしても外の空気が吸いたいと言っています、ちょっと出ていいですかと頼むと、許可してくれました。ポールは別の場所に行きたかったようですが、警官が同乗していたので、外の空気を吸いたいなら公園へ行けばいいと思って、神宮外苑へ連れて行ったんです。
(以下、略:P37)
「ポールは別の場所に行きたかったようですが」
「警官が同乗していたので」
10年越しにやっと言外の意にピーーーンと来ました。
では「ビートルズ来日学」に戻ります。
「吉原とかじゃなく四谷にそんなオフロがあったのですね。」
の問いに肥田さんは
「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあったの。周りは住宅街だから、お忍びで行くとこにはピッタリのとこ。」
と回答して、この話題は終わり、次のテーマに移ってしまいます。
おいおい。
移動の飛行機の乗務員の名前や、搭乗者、JALの法被のことは執拗に追っかけといて、この話題に関してはあっさりにもほどがあるのではないか!ポールの若さゆえのリビドーを50年の節目だからこそ史実としてもっと明らかにすべきではないか!
どうせやるなら
・中村実氏インタビュー:6月30日の夜と7月1日のポール
(※追記:中村実氏は故人でした。)
・マル・エヴァンスの相手をした姫インタビュー
・当時のお店の経営者、店長インタビュー
・(もし事前にポール来店を予約していたなら)7月1日のポールを待つお店の様子の証言者の声
くらい踏み込んでもよいのではないか!
・・・とも思いましたが、ま、デリカシーという言葉もございますしね・・・。
さて。
場所の話になりますが、四ツ谷の歓楽街だから、てっきり荒木町辺りを想像して読み進めていたのですが、
「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツン」
の言葉に、はたと思考が停止しました。
四ツ谷の大木戸の交差点って四谷四丁目交差点のことですよね?
かつてサンミュージックがあって、岡田有希子の例の件があったところ。
ほぉ・・・あの辺りにそういう場所があったのですね。
確かにそこからもう少し新宿の方へ向かえば、新宿2丁目があります。
ちょっと検索してみると・・・。
遊郭が、大正期に一か所にまとめられたのが現在の新宿2丁目の始まり。戦災で焼け、戦後赤線・青線となり現在のゲイの町へと遊里の歴史は変遷してきた。
(「日本美集落探訪」遊里を歩く 第1話 東京 城西編)
だそうで、「大木戸(四谷四丁目)あたりにも遊郭があったようだ」との記述も。
1966年当時、まだその名残があったということでしょうか?
・・・と。
まず、ここまでをFacebookに書きました。
このエピソードは、前述の永島達司の伝記で触れられたことで、知る人ぞ知る結構有名な話だったらしいのですが、「ビートルズ来日学」でもちょこちょこと「ポールが皇居に行くことになった経緯」に触れてきます。触れてはくるんだけれど
「しかし、ここではそれに関しては省略する。」(P314)
などと、サラッと逃げられてしまう。
裏が取れていることが前提で書かれているようなのであります。
さて。次の日。
まずはここまで書き殴り、ぶっ倒れるように布団に入り眠りに落っこちた夜が明け、寝不足で朦朧としながら起きると、Facebookのコメント欄に長年敬愛するノンフィクション・ライターの「ミスター・フィールドワーク」松沢呉一さんから情報が!
松沢呉一さんといえば、私の勝手な猛烈な片思いで、2003年リリースのブランの2ndアルバム「憧れと幻想」(いぬん堂)にライナーノーツを無理言って書いていただいたことがございます(いぬん堂牛戸社長が松沢さんと旧知の仲だったのです)。
以下、コメントを転載いたします。
よくぞ聞いてくれました(聞いてないってか)。サンミュージックの四谷寄りにかつてソープランドがありました。1990年代まであったんじゃなかろうか。ポツンと一軒だけ。
サンミュージックってもう移転したんだね。昔あった場所と、外苑西通りを挟んだ東側。今もあるかどうかわからないけど、小さい書店のある脇。
連れ込みっぽい旅館も近くにあったはず。今は反対側の裏道にラブホがあるけど。
おー!
めちゃめちゃ具体的な有力情報ではありませんか!
小さな本屋、あります。
古い旅館、あります。
外苑西通り挟んだとこにラブホ、ありますありますあります!
以下はわたしのレスです。
はい。小さな書店は今もあります。しかし建物がきれいになってますから、当時からは場所が変わっているのかもしれません。地図を作ってみました。この辺でしょうか?
そして近くに「長良川」という旅館が今も営業しています。これが「連れ込みっぽい旅館」のことでしょうか?
そのそばにいい雰囲気の銭湯があったのですが、昨日行ったら建物はそのままで廃業してて、中が雑貨屋さんになってて残念でした。
(画像クリックで拡大地図にリンクします)
そんなわけで、松沢さんのお話を元に周辺地図を作成、少しずつ「ポールが行きたかった場所」が見えてきました。
ちなみにここで触れた銭湯とは蓬莱湯。
松沢さんも時々訪れていたそうです。廃業してたとは前日その前を通るまで知りませんでした。しかも1年半以上前の2014年9月末で。
それまでも何度もこの前通ってたんどけどなぁ。
隣にあるコインランドリーは今も営業してるから気づかなかったのかなぁ。
さて。
そして、松沢さんから次のコメントが。
書店か長良川で聞けばわかるんじゃね? ワシはそういう聞き込みが得意中の得意なので、聞いたろか?
そして私のレス。
松沢さん地元ですよね?是非是非!
(注)実際は、松沢さんの地元ではありませんでした。
と言ったものの、これは
「知りたいことがあるのなら、知ってそうな人のところに行って聞いちゃえばいいじゃないか!というアドバイスなんだ。」
と気がつくと、私の足は四谷四丁目交差点の方へ向かっていました。
まずは、公園前の文象堂書店へ。
店内をしばらく本を探してるふりしてうろうろし、60代後半と思しき人のよさそうなお父さん(多分店主だろう)を確認。
「この年齢なら確実に知っているだろう」
と、今まで一度も買ったことのない「週刊文春」手にレジへ。
お金を払って本を受け取るタイミングで、
「ちょっと今、この辺の昔のことを調べてるんですけど。この辺りに”大人のお風呂屋さん”があったって聞いたのですが・・・。」
と口火を切りました。
「ああ、蓬莱湯さんだったら、やめちゃったよ。」
「いえ、この公園辺りにソープランド、トルコ風呂があったって聞いたのですが・・・。」
(文象堂書店さん前の公園がその場所では?というのは松沢さんの仮説でした。)
「ちょっとわからないなぁ・・・。」
「お店はもともと通り(外苑西通り)の向こう側にあったからねぇ・・・。」
「昔は、四ツ谷四丁目当たりまで、色街だったんですか?」
「いやぁ、わかりませんねぇ・・・。」
このお父さんがウソや隠し事してる様子には、とても見えなかったのですが、過去地元にそういうお店があったという事実を隠してるってことありますかね・・・。
松沢さんからは、
「トルコ風呂という文字が煙突に書かれていたと思う。」
という情報もいただいており、そんな煙突があったら地元の人が知らないなんてことがあるだろうか。あの時、奥に奥さんらしい人もいらっしゃったので、言いたくなかったのか・・・。
一発でなにか手掛かりが得られるものと思っていたら、全くの空振りに終わってしまいました。
気を取り直して、すぐそばの旅館長良川へ。
いざ、入り口に入る。
自動ドアは開くと「ピンポーン」とチャイム音。
「ごめんくださーい」
しーーーーーん。
ドアが閉まると「ピンポーン」。
しばらくしてまたドアが開いて「ピンポーン」。
「ごめんくださーい」
しーーーーーん。
そんなこんなを繰り返すこと5分ほど。全く音沙汰無し。
不用心過ぎ・・・・。
旅館長良川はまた来よう。
残念ながら2ヶ所とも空振りに終わってしまいました。
落ち込みながら辺りを歩いていると、お年寄りを一生懸命探している自分に気づきました。
手当たり次第
「この辺にトルコ風呂があったの知ってますか?」
と聞きたい衝動に駆られました。
数時間後。
食事を取りに外に出た私は、とにかく短い時間で食を済まし、足は再び旅館長良川に向かっていました。
ちょうど、旅館から出てくるおばあさんを発見。
「スミマセン。この旅館の方でしょうか?」
「え?そうだけど・・・。」
何だかめちゃめちゃ警戒されている様子。
「ちょっとおうかがいしたいことがありまして・・・。」
「いやいや、私はここに泊まってる人だからね!」
なんだよ・・・。
「今、中に宿の方っていらっしゃいます?」
「いるよ。」
さて、気を取り直して、いざ、入り口に入る。
自動ドアが開き「ピンポーン」とチャイム音。
「ごめんくださーい」
反応はないが、奥で掃除機か何かの音が聞こえるので人がいるのは間違いない。
「ごめんくださーい」
大きな布袋に洗濯物を抱えた男性の姿が見えて、こちらに気がついてくれました。
年は50代半ばくらいだろうか。おそらく旅館のご主人ではないでしょうか。
「お忙しい中、申し訳ありません。今この辺りの昔のことを調べてまして・・・。」
「はい。」
いきなりこちらの聞きたいことから入るのも不自然だから、まずは相手のことを聞くことから。
「こちらの旅館の創業は?」
「えっとねー、昭和29年。」
「長いんですねぇ。場所はずっとここで?」
「うん、そうだよ。」
いざ、本題へ!
「ところで、この辺りにトルコ風呂が1軒だけあったということを聞いたのですが・・・。」
「あ、うんうん。あったよ。ホテル新御苑のとこ。水晶ビル。」
「水晶ビルとは、具体的にどこに当たりますか?」
「その通り(外苑西通り)の向こう。水晶ビル、M◯◯ビルだよ。地下にトルコ風呂があって、もともとはその上が料亭だったんだよ。」
「大きな煙突があったって聞いたのですが・・・。」
「うん、あったよ。かつてこの辺は色街だったから、その名残りだったんだろうけど。ある時期からは料亭はやらなくなって、お風呂だけになったんだよ。」
「経営者は一緒だったということですか?」
「うん。そうだと思う。」
「トルコ風呂はそこ1軒だったんですか?」
「うん。」
「お忍びで行くところだったと耳にしたのですが、そんな大きな煙突があって目立たなかったのですか?」
「だってあの辺ってそれ以外、ボロボロの家がたくさんあったくらいで、ホント何もなかったんだから。人通りも少なかったし。」
「ビートルズが来日した時、それこそお忍びで来たって話があるんですが・・・。」
(正確には「ビートルズのスタッフが来た」または「メンバーが来ようとした」です)
「うん、そんな感じだと思うよ。巨人の選手もよく来てたって話だし。」
「90年代まで営業してたって話もあるんですが・・・。」
「うん。そうかもね。今のビルが建つまで、最近までやってたんじゃないかなぁ。」
「お店の名前とか覚えてらっしゃいます?」
「いや、わかんないなぁ。」
さすがに忙しい中、長い時間付き合ってられないという感じで、少しずつ私に背を向けて奥に向かおうとされる様子が感じられたので、
「どうもありがとうございました!」
と深くお辞儀をしお礼をし、旅館長良川を後にしました。
だ、だ、大収穫でありました!
その足で、四谷四丁目交差点を右に曲がり外苑西通りを大木戸坂下方面へ下ると、すぐに左手に「ホテル新御苑」(おそらく松沢さんが「今は反対側の裏道にラブホがある」とおっしゃったのはここ)が見えます。
(ホテル前を左折後、外苑西通りに向かって撮影)
ここを左に曲がり、ホテル新御苑入り口の前を通り、細い通りを挟んだ隣りのビル、M◯◯ビルこそが、我らが探し求めていた場所のようです。一面ガラス張りの作りであることが、旅館長良川ご主人の言うところの「水晶ビル」ということだったのでしょう。
現在は某企業の自社ビルとなっており、ウェブサイトによると「新社屋ビル竣工、本社を東京都新宿区四谷に移転」が1996年(平成8年)とあります。
(定礎には「平成八年十一月吉日」の文字がありました)
「90年代まで営業してた」という話に関しては、「90年代はじめまで営業していた」という可能性はありそうです。
そんなわけで、本日のヒアリングでポールトルコのあった場所は「おそらく」特定が出来ました。
gooに古地図と現在を照合させるサービスがあるのですが(goo地図>古地図)、昭和22年の航空写真では、正直何もわかりませんが、昭和38年の航空写真を見ると、確かに何か立派な建物があることがわかります。
昭和22年の航空写真(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)
昭和38年の航空写真(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)
ちなみに明治時代の古地図と照らし合わせると、この場所は「理性寺」というお寺だったとされます。
明治時代の古地図(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)
トルコ風呂と理性寺・・・なんともなんとも。
そんな訳で「裏・ビートルズ来日学」はまだまだ深掘りをしなければなりません。
・一体この店の名は?
・どんな規模のどんな店だったのか。
・地元の方はこの店のことをどう思っていたのか。
・煙突も写った当時の画像はないのか?
・90年代に廃業した経営者は今いずこへ?
・かつて花街であったこの一帯の様子とは?
興味は尽きません。
しかし、ポールよ。
もし当日11:00頃の脱出で目的を果たせたとして、当日のスケジュールは
12:30 開場
14:00 前座演奏スタート
14:05 ビートルズホテルを出発
15:00 ビートルズ演奏スタート
これで、トルコ風呂行こうって無理がありはしませんか?
(私は行ったことないけど)
せめて夜の部が終わってからの方が、警備も手薄でよろしかったのでは?
・・・・いや、僕らは24歳のビートルのリビドーにどうこう難癖をつけるわけにはいかないのであります。
最後に。
「アンソロジー」(リットーミュージック)から来日時のことを語ったポール言葉を引用します。
ポール 僕らはずっとホテルに閉じ込められてて、その間、いろいろな業者がやってきては象牙やら何やらいろいろなみやげ物を見せてくれた。みんな東京へショッピングに行くのに、僕らはホテルから出られない。一度抜け出そうとしたら警官が追いかけてきたよ。何とか外に出た時も、東京の警官隊の半分を動員して僕らにつけるんだ。僕は皇居を見に行きたかったんだけど、警察はそのアイデアにあまり乗り気じゃなかったね。(P215)
コラ。うそつけwww!!
[追記]
「ビートルズ来日学」にあった協同企画の肥田勲氏の発言
「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあったの。周りは住宅街だから、お忍びで行くとこにはピッタリのとこ。」
と旅館長良川主人の証言は合致しましたが、松沢さんの記憶にあった外苑西通りを挟んだ、文象堂書店、旅館長良川側にも看板なり何か印象に残るものが合った可能性は高そうです。引き続き追いかけたいと思います。
[追記2]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)
男なのですから、まぁ色々あると思うのですが、それをわざわざほじくり返すのはあまり感心しません。それが武士の情けってモンです。
楽しい記事を ありがとうございます。第3弾まで読みました。