書き散らし雑記:笹山敬輔「昭和芸人 七人の最期」読了

笹山敬輔「昭和芸人 七人の最期」 (文春文庫) 読了。
いやぁ、面白かった。
もともとは、アダチ龍光史で、時々その名を目にしながら、流行歌になったという風刺ソング「のんき節」くらいしかその芸や人物像を把握出来ずにいた石田一松に丸々一章を割いていることから購入したというところが大きかったのですが、他の6人、エノケン、ロッパ、金語楼、エンタツ、シミキン、トニー谷の活躍とその時の世相、そして芸人の晩年が、7人7色に見事に、躍動感持って描かれていて、夢中になりました。
著者は30代半ば。で、この文献収集と考察力はすごいなぁ。昭和の芸人たちを、平成の芸人だったり、バラエティ番組の1シーンだったりに突然重ねてくるのがまたうまくてぐっときました。
エンタツ・アチャコが、音楽芸と間のしゃべりで笑わす「万歳」から、ボケとツッコミのしゃべりのみで客を笑わす「漫才」を生み出し、「早慶戦」などの名作を残し、わずか4年ほどで漫才コンビを解消、戦後はライバルとして活動しながらも、時々二人で舞台に上がり「二人漫談」と称した筋があるんだかないんだかわからない話芸を披露したというくだりなんかは、漫才で出てきて(コンビ解消はしてませんが)「ガキの使い」のフリートークでアドリブ笑いのひとつの頂点を見せたダウンタウンと自ずと重なるわけです。
個人的にはエンタツ・アチャコの全盛期にもっと触れたいと思ったのと、トニー谷のヒールっぷりは全然知らなくて、逆にこの人の人となりと芸をもっと知りたいと感じました。
巻末の伊東四朗のインタビューがまた実に良くて、幾多の昭和の芸人たちを見てきた、最期も見てきた人の話の生々しいこと。
また、詳しくは語られませんが、長年てんぷくトリオとして芸を共にしてきたメンバー2人をたった10年の間に亡くすという心中は一体どんなものだったのだろうか。
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当時幼なかったけれど、三波伸介といえば、「笑点」「凸凹大学校」「スターどっきり(秘)報告」などでの司会や、「お笑いオンステージ」の1コーナー「減点パパ」で披露する実子から聞き出した特徴からアドリブのように似顔絵を書くのが大好きだった。
彼が急死する直前、久しぶりにテレビ局で会った伊東に「今度ちょっと話があるんだけど、一席設けてくれないか」と声を掛けたそうです。それはかなわないまま三波は亡くなってしまうわけですが、傍目から見て司会にタレントに大活躍だった当時の日記には、三波は飽くまで「喜劇王」になることにこだわっていた記述が多数あったそうです。
「無い物ねだりの贅沢だ」と言ってしまえばそれまでですが、その夢をかつての盟友伊東四朗と、かなえようと考えていたのでしょうか?
強ぉ〜烈に印象に残っている「電線音頭」でのベンジャミン伊東を始めとしたあの小松政夫との半ば狂気に満ちたコンビ芸を超えるものが、もしも三波とともに生み出されていたとしたらと考えるとわくわくします。
三波と伊東の歳の差は7つ。
三波が亡くなったのが満52歳(1982年)で伊東はまだまだ40代半ばであります。全くありえない「もしも」では決してなかったのではないでしょうか?
とても印象に残ったエピソードでした。
そんなわけで、繰り返し読み返す一冊となるかと思います。
また、参考文献の丁寧な解説も素晴らしく、本書で取り上げられた芸人に関して深掘りすることや昭和の笑芸界を知ることへの良き道しるべとなることうけあいであります。
あと余談ですが。
この著者、以前から機会があれば読みたいとずっと思っていた明治、大正、昭和の人気女性芸能人を「アイドル史」としてまとめた(奇術界からは松旭斎天勝も登場)「幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記」書いた人だったとはびっくりしました。