アダチ龍光さんと東久留米 [フィールドワーク編 その2]
(しかし、まさかあの日の数日後、世の中がこんなことになるとは思いもしませんでした。この、東久留米フィールドワークも遠い昔の出来事のような気にすらなります。)
さて。
近所の方にヒアリングをしようと、辺りを見回します。
ただ、なんせ龍光さんが亡くなったのは1982年。もう約30年も前の話です。
龍光さんの住まいがあったとおぼしき路地から畑の方へ戻ります。
「リカーショップしみず」がまた目に入りました。
昔ながらの米やと酒屋がコンビニに鞍替えしたというたたずまい・・・実に脈有りです。
店内に入り缶コーヒーを買います。
店番をしているのは40代後半くらいの女性。
お金を差し出し、
「昔、すごそこに手品師のアダチ龍光さん、本名中川一、屋恵子さん夫妻が住んでいたってご存知ですか?」
とさりげなく聞きます。
「えー、んー。ちょっとわかりませんねぇ・・・。私はここに来て20年なんですけどねぇ。」
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20年か・・・。ちょっと足りない。
お礼を告げ店を後にする。
コーヒーを片手にしばらく辺りを歩く。
すると角の大山製作所に人影が!
急いでコーヒーを飲み干し、50代前半の男性に声を掛ける。
「昔、すごそこにお住まいだった手品師のアダチ龍光さん、本名中川さんについて調べてるんですが・・・・。」
「ああ、なんか聞いたことあるな。でもウチのオヤジ、オフクロじゃないとわからないかもなぁ。でも多分そこの路地曲がったとこで間違いないよ。」
少し質問の方向を変えてみることにします。
「この辺に釣り堀があったと聞いたのですが。」
「ああ、それはウチのすぐ裏ですよ。」
「龍光さん宅の路地から釣り堀のある路地は通じていたのですか?」
「いや、通じていないよ。」
くだんの雑誌「新評」1978年1月号の記事を男性に見せ、
「ここに『駅前商店街の真裏』『東久留米駅から歩いてほんの一、ニ分のところ』とありますが、どう思います?」
「いやー。この辺は何もなかったからねぇ。東口の改札できたのもこの10数年の話だから、それまでは北口から歩いてたからねぇ。
そこのしみずさんのおじいちゃん、おばあちゃんからは話聞いた?」
「え!? 40代後半くらいの女性とはお話しできたんですが・・・。」
そうか、リカーショップしみずさんでもうひと粘りすべきだったのか・・・。
大山製作所のご主人(?)にお礼を告げ、再び辺りを見回す。
リカーショップしみずにもう一度おうかがいしようかと思ったけれど、あまりがっついて怪しまれてもいかんと思い、一度東久留米の駅に戻ることにする。
かつて釣り堀があったとされる大山製作所と龍光さん宅裏にも回ってみた。
古い住宅と新しい住宅が混在し、そして駐車場。
新しい住宅と駐車場がある画像右手側は、かつてあった何かが置き換わった感じがする。ここが釣り堀だったのだろうか。
さて。
駅に戻り、今度は反対側の出口の西口へ。
いざ、もうひとつの目的だった図書館で東久留米駅前商店街の資料を手に入れることに。
駅からバスに乗り、東久留米市立中央図書館へ。
あらかじめ目的とする資料は明らかにしてありました。
「東久留米市史」(東久留米市史編さん委員会 編/1979年3月刊)。
この中の第4章「東久留米の産業」に、商店街の歴史と地図が掲載されているのです。
端末で検索して、司書さんに問い合わせをし、「東久留米市史」はすぐ見つけることができました。
これはこれは面白い。
第4章「東久留米の産業」の商店街の歴史や地図が掲載されているページをコピーさせていただきました。
これが、昭和51年3月の東久留米駅前商店街の地図です。
龍光さんが亡くなる6年前。
もちろん当時、西口や東口はありません。
北口から北(龍光さん宅とは反対方向)へ向かって商店が軒を連ねているのがわかります。
「東久留米市史」から東久留米駅前商店街に関する記述を転載してみます(P946)。
東久留米駅前商店街(東本町・本町二丁目)
西武池袋線東久留米駅を中心に、69店からなり、比較的買回品の多い(31.0パーセント)駅前商店街である。駅から、喫茶店・果物店・菓子屋・書店・薬局と並んでいて、駅利用客の便を考えた店舗配列であり、不動産屋やパチンコ店もあって、典型的な駅前商店街の景観を呈しているが、近郊住宅地で通勤客の多い駅であるために、比較的に最寄品店も多く(29.3パーセント)、飲食店は少ない。しかし、やはり駅前であるために固定客は少なく、流動客や外来客(40パーセント)が多い。
駅開設は大正4年であるが、第二次大戦前は7店ほどに過ぎず、昭和30年ころになっても10店前後に過ぎなかったが、東久留米団地の開設された昭和38年以降、急激に店舗が増大したものの、なお駅直前に一般住宅があったり、開発の余地を残している。
図書館をあとにして、バスで東久留米駅に戻りました。
バスの車中、雑誌「新評」1978年1月号掲載の記載
アダチ龍光先生のお宅は、西武新宿線東久留米駅から歩いてほんの一、ニ分のところにある。
駅前商店街の真裏なのだが、ご近所にはまだいくらも畑地が残っており緑がいっぱいいだ。
なんでもこちらに越してきて11年になるそうで、先生の健康をおもんばかって、十条から移ってきたのだという。
が、誤りであるという確信が高まるにつれ、「もっと知りたい」「もう少し誰かから話が聞けないか」という思いがどんどん強くなって来ました。
「駅に着いたら、もう一度だけ龍光さん宅に行ってみよう。」
何だかもう少しだけ、東久留米の龍光さんに近づけるような、予感がしました。(つづく)
【関連コーナー】
アダチ龍光さんのこと