続 アダチ龍光さんと東久留米
(つづきです)
そうだよ!
話はそれるけれど、東久留米と言えば「めぞん一刻」の舞台設定のモデルになった場所なんだよな。
同じ場所の70年代、80年代の面影に引き寄せられているのは何だか不思議な因果を感じます。
さて。
東久留米駅前商店会のサイト管理をご担当のHさんからメールのお返事をいただく。
釣り堀ですが、以下マップ内「大山製作所」の隣(新川町1丁目3)にあったことは分かっています。
現在、1978年当時とは道路が大きく変わっております。
おー!
なんたる貴重な情報。
確かに東久留米駅前の龍光さんのお住まいの近くにあったとされる釣り堀は存在したんです。
では当時の駅前商店街と龍光さん宅の位置関係はどうだったのだろうか?
すかさすお返事で追加質問をさせていただきました。
東久留米市のサイトにございます当時の商店街の様子を拝見いたしますと、
(昭和51年(1976年)3月刊「東久留米市史」より)
http://www.city.higashikurume.lg.jp/civic_page/syouten/ekimae/ekimae.htm
商店は、線路沿いに広がっていたように見られます。この「大山製作所」の隣(新川町1丁目3)と雑誌記事中にございます「駅前商店街の真裏」という表現は合致いたしますでしょうか?
Hさんからのお返事をいただく。
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お尋ねの件ですが
「真裏」の解釈については、何とも回答のしようがございません。
商店会HPの全体地図を改めてご覧ください。
商店の分布はさほど変わってはいないと思います。
大山製作所周辺は、古いアパートや空き地でした。
なるほど。
「大山製作所周辺は、古いアパートや空き地でした。」
という記述は、「新評」記事の「ご近所にはまだいくらも畑地が残っており緑がいっぱいいだ。」と近しいと言って良いのではないだろうか。
では、
「商店の分布はさほど変わってはいないと思います。」
というところを追ってみよう。
メールで情報をいただいた方の
「東久留米駅の近くですが、商店街の真裏ではありませんでした(裏は釣堀)」
の真意や如何に!? (つづく)
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アダチ龍光さんのこと