アダチ龍光さんと東久留米
「私は子供の頃、アダチ龍光さんの近所(2軒隣り)に住んでいました。」
という方からメールを頂戴いたしました。メールの内容は次のように続きます。
10歳位までなので、あまり記憶はないのですが、数回遊びに行ったと思います。
東久留米駅の近くですが、商店街の真裏ではありませんでした
(裏は釣堀)
貴殿のHPでは”駅前商店街の真裏”となっていますので、何処かで移転され たのかもしれません。
やさしそうなお爺さんだった様な気がします。
何か思い出したら、またメール致します。
なるほど。
「東久留米駅の近くですが、商店街の真裏ではありませんでした」とされるのは私のここでの記述に対して。
これは、雑誌「新評」1978年1月号掲載の「人間模様・喜劇人たち:アダチ龍光・八十一歳・現役『手が震えぬうちは舞台に立ちます』」の木村勝美さんという方の記事の冒頭、
アダチ龍光先生のお宅は、西武新宿線東久留米駅から歩いてほんの一、ニ分のところにある。
駅前商店街の真裏なのだが、ご近所にはまだいくらも畑地が残っており緑がいっぱいいだ。
なんでもこちらに越してきて11年になるそうで、先生の健康をおもんばかって、十条から移ってきたのだという。
という文章に依っています。
果たして?
東久留米の商店街を当たると、古くから3つあることがわかった。
駅からかなり離れた滝山団地内にある「滝山中央名店会」は、「アダチ龍光先生のお宅は、西武新宿線東久留米駅から歩いてほんの一、ニ分のところにある。」には当てはまらないだろう。
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残るは西口の「かるがも商店街富士ヶ丘」か北口、東口駅前の「東久留米駅前商店会」のいずれかということになる。
「かるがも商店街富士ヶ丘」の「場所と構成員」には「東久留米駅西口より徒歩5〜6分。」との記載があり、おそらくは駅前すぐから商店を連ねる「東久留米駅前商店会」のある北口、東口側に龍光の家があったのではなかろうか。1976年(昭和51年)当時の商店街地図が掲載されているのだが、画像が小さ過ぎて釣り堀の存在が確認できない。
「東久留米駅前商店会」のサイトを当たる。加盟店一覧を確認するが、釣り堀はない。果たして。
そこで、「東久留米駅前商店会」のサイトにあった問い合わせフォームにメールを送信する。
1966年頃から亡くなる1982年(昭和57年)まで東久留米に住んでいた、手品師アダチ龍光氏について調べております。
ある雑誌の記事で、
「アダチ龍光先生のお宅は、西武新宿線東久留米駅から歩いてほんの一、ニ分のところにある。
駅前商店街の真裏なのだが、ご近所にはまだいくらも畑地が残っており緑がいっぱいいだ。
なんでもこちらに越してきて11年になるそうで、先生の健康をおもんばかって、十条から移ってきたのだという。」(雑誌「新評」1978年1月号掲載)という記載がございまして、おそらくこの駅前商店街とは「東久留米駅前商店会」のことかと存じます。
最近ある方から「私は子供の頃、アダチ龍光さんの近所(2軒隣り)に住んでいました。」というメールをいただき、(アダチ龍光さんの住まいは)「東久留米駅の近くですが、商店街の真裏ではありませんでした(裏は釣堀)」をいうお話をいただきました。
1978年当時で、
・東久留米駅から歩いてほんの一、ニ分のところ
・釣堀という内容から、何かおわかりになることはございませんでしょうか?
どんな小さなことでも結構です。お教えいただけましたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
望む、情報!
(つづく)
【関連コーナー】
アダチ龍光さんのこと