龍光からさかのぼる、木村マリニー、マックス・マリニ、松旭斎天勝の流れ その2
「アダチ龍光さんのこと年表Wiki編」を更新。特に20歳前後の頃を中心に。
しかし、しかし面白い。
龍光が奇術の世界に入るきっかけとなった、師匠木村マリニー。
元々は木村紅葉という名で大阪で活動弁士として活躍。本名木村荘六。
「近藤幸三・著『奇術 その魅力 その世界』には、奇術師・木村荘六について次のように書かれている。大正2、3年の頃、新富座で、ポーランド生まれのアメリカ人奇術師マックス・マリニーに会い、その興行の司会を引き受けることから、木村荘六と奇術とが結びついた」(日本奇術博物館)
「荘六は、マリニーの公演の司会を続けるうちにマリニーの奇術をすっかり覚えてしまった。そして大正8年、プロ奇術師としてデビュー。芸名も木村マリニーとした。」(日本奇術博物館)
この木村荘六さん。
弟には木村壮八(洋画家、随筆家)、異母弟に木村荘十二(映画監督)がいて、さて次はこの荘十二さん。
彼が、手掛けた作品を「日本映画データベース」で調べたら、監督作品に松旭斎天勝主演のあの「魔術の女王」(1936年)があり驚く。またこんなところでも繋がった!。(他にも「エノケンの魔術師」(1934年)も)
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