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【書評】


目次
「穴ノアル肉体ノコト」澁澤龍彦
「エロティシズム」澁澤龍彦
「蟲」江戸川乱歩
「芋虫」江戸川乱歩
「文鳥」夏目漱石
「痴人の愛」谷崎潤一郎



「穴ノアル肉体ノコト」澁澤龍彦

澁澤龍彦の眼にとって、そこに映る選ばれし対象物は、云ってみれば彼自身の夢想する世界を反射する鏡なのではないだろうか。
彼は浜辺に転がる巻き貝に螺旋の魔力を見出し、そこに中心探求の象徴を見る。それは入れ子の概念とも結びつき、巻き貝はとてつもなく大きな存在となって私たちの目の前に現れる。
彼の作品を読むことは、彼自身の夢想する世界に反射された光線を感じ取る作業であり、その結果、読者のモノを見る眼、その視界は確実に広がって行く。
この作品は、彼が喉頭ガンとなり

「手術によって気管の途中に穴をあけ、鼻からの通路を断ち切り、その穴から呼吸する」(本文より)

ようになったことを述べたエッセイである。ここで彼は己の肉体をも一個の鏡としてしまっている。

「男は女よりも肉体における穴の数が一つだけ少ないが‥‥(中略)‥‥(この穴は)私の潜在的な両性具有願望のはからずも実現されたすがたなのかもしれない。」(本文より)

何故彼は冷ややかな視点をここまで保つことが出来るのだろうか。
‥‥‥己の肉体をも一個のオブジェと見なすことによって彼の夢想世界は一つの完成形を見たのかもしれない。

彼はこの一ヶ月後、読書中に死去する。

【収録書名】「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」(立風書房)他






「蟲」江戸川乱歩

死体愛は人形愛と密接に結びついたテーマであると云えるだろう。愛する対象を死に至らしめ、人形とし、我がものとするのだから。

意志を失ったその白い肉体は、もう僕を嫌ったりなどしない。僕の口づけも黙って受け入れるし、××を××××するのにも抵抗することはない。
その肉体を思うがままに弄び、まさに永遠にその対象を我がものとすることが出来るのである。

だが、全面的に所有権を手に入れたと考えるのは錯覚でしかない。死してなお、その肉体は抵抗を止めようとはしない。無数の蟲をその硬直した肉体に這わせ、略奪された所有権から逃れるかのごとく肉体を腐敗させて行く。

これを異常性欲だと一言で片づけるのは、ごく簡単なことだ。だが、我々が「異常」だとしているものは、飽くまで量的な違いでしかなく、質的な違いではないのである。
死体愛を純粋な愛情の凝縮されたものと考えることは出来ないだろうか。そういった意味で、この作品は美しい輝きを放っている。

【収録書名】江戸川乱歩全集3(講談社)他






「文鳥」夏目漱石

急激な変化を好まず、日常を乾いた視点で眺めた文章、漱石の作品を一言で述べるならこのような感じであろうか。
そのため私には、彼の長編作品はどうしても退屈に思えてしまい、逆に漱石の魅力はこの「文鳥」のような短編小説にこそあるのではないかと思える。
ひよっとすると私は漱石の良い読者とは云えないのかもしれない。
まあ、そんなことは良いではないか。

私は漱石を「昼寝前の文学」と呼びたい。夏の昼下がり、縁側で座布団を枕にし、横になる。昼飯で満たされたお腹を癒やし、耳に風鈴の音を感じながら漱石を読む。
そして短編をひとつ読み終える頃、うとうとと眠くなってくる。何という贅沢。

夢が人々のもうひとつの日常であるのなら、漱石作品、特にその短編作品は格好の夢の入口への案内人、現実世界と夢を曖昧なものにしてくれる魔法なのではなかろうか。

【収録書名】角川文庫 他






「エロティシズム」澁澤龍彦

私は人々がエロティシズム、つまりに性についての考えを巡らすことは、決して無駄なことではない、むしろそれは生きていく上でとても必要なことなのではないかと考える。エロス=生、性。

「(性行によって)完全な満足に達しあえれば生の本能と死の本能とが融け合い、浄福の極致を招くことができる。そして社会生活も勤労生活も(向上し)‥‥(中略)‥‥社会人としての交わりも円滑に高まって行く」(高橋鐵)

そこで私は、このテーマを人間の2大本能である「種の保存欲」と「個体の保存欲」に結びつけて考えて行きたい。
性欲を種の保存欲と結びつける考え方、一見これは全面的に正しいと感じられるかもしれないが、私には良識者ヅラの意見としか思われない。
確かにコイスツ(性交)は生殖をもたらす行為ではあるが、それのみで語るのは少なくとも人間には当てはまらないと云うことは誰もが知っているのではないか。本文中で語られている単性生殖のゾウリムシが行う雌雄の愛の営みを見よ。
「人間の性欲は生殖欲から分離している」(岸田秀)のである。
私は「個体の保存欲」こそが性の欲求を解くカギとなるのではないかと考える。
「個体の保存=自分が何であるか明らかにすること」とすると、コイツスはいつ失われてしまうかわからない自己の不安のなかで、他者との関係性、つまりつながりの中でそれを明らかにする欲求と理解することは出来ないだろうか。
存在を訴えかけたい自分と、それを受け入れたいと思う他者。彼(彼女)もそれを受け入れることで自己の存在が明らかになる、こうした関係の中でこそコイツスは浄福の極致を招くのであろう。
こうした考えに至り、私は同性愛etc一般に異常と見なされている異性愛以外の関係を、ごく自然なものとして理解することが出来た。性欲が2者間(それ以上の場合もあるだろうが)の存在の確認作業であるのならば、両者の性別などほとんど意味をなさないのではないか。
神話の時代の両性具有のテーマから始まり、異性愛、同性愛、両性愛と細分化されていった人間の性関係を見て、私は、いつか再び全ての人間が両性具有に統一されることを夢想した。

性器を身体の下方へと追いやり、ひたすら隠そうとする人間とは対照的に、逆にその存在を積極的に押し出して飾り立てる「花」について述べる「花とセックス」から始まる本書は、エロティシズム全般の様々なテーマを私たちに提供してくれる。何も難しいことは語られていない。自分と照らし合わせて気軽に読める作品である。

【収録書名】中公文庫 他






「芋虫」江戸川乱歩

愛情関係におけるひとつの究極の形として、私は人形愛が挙げられると思う。人間を純粋でそれ自身が主張をしない一個の人形に見立てる愛の形である。
主人公の中年婦人は戦争で負傷し、両手、両足、聴覚、そしてものを言う力をも失った夫を己の性の玩具しとて愛する。
しかし、主人公にとって、夫には主張というものがあってはあらない。夫が他者へ訴えかけることが出来るただひとつの表現器官、眼、その存在は決して許されるものではない。
‥‥‥‥‥意識的にか無意識の内にか、主人公は夫の眼をつぶし、それは玩具としての完成形をみる。

この作品は発表当時、反戦小説だとして弾圧されたそうだが、私はエロ・グロの名を借りた純愛小説(この言葉はこういうものにこそ使われるべきではないか)として高く評価している。

【収録書名】日本探偵小説全集2・江戸川乱歩(創元推理文庫)他






「痴人の愛」谷崎潤一郎

人は誰でも道行く赤ん坊をかっさらい、人知れず育ててみたいと考える。その子が女の子なら自分の理想の女性へ育ててみたいと考える。
自分にとっての理想の女性、云ってみれば究極の美を手に入れることは我々男性にとって永遠のテーマなのだ。
さあ、丹精こめて育てよう。花に毎日水を与えるように、やさしさのシャワーで包み込んで‥‥‥‥‥。
だがその美の結晶は、いつしか自我を抱く。そして自分が作り上げたはずのその美の結晶は、私を征服しようとするだろう。
長年、私の愛情をむさぼり大きくなった彼女は、ぬけがらの親を食い尽くすのだ。まるで産卵期のメスカマキリが今まで連れ添ってきた夫をむしばむように。

それでも人は美への憧れをやめようとはしない。
‥‥‥さあ、丹精こめて育てよう。花に毎日水をやるように。

【収録書名】新潮文庫他


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